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Japanese

大森靖子

Skream! マガジン 2014年08月号掲載

2014.06.27 @歌舞伎町 ロボットレストラン

Writer 天野 史彬

アルバム『絶対少女』以降の大森靖子に対して自分が感じてきた畏怖のような感情の、その正体はなんなのだろうかと、去年の暮れに彼女に1度インタビューさせてもらった時からずっと考えていた。で、その答えがやっとわかった。この日、新宿・歌舞伎町のど真ん中にあるロボットレストランで行われた弾き語りライヴを観て、確信した。そうか、もはや大森靖子は"自分"なんてものを求めていないのだ。この社会の中で誰もが血相変えて求めようとする自己の幸福や居場所、自己実現がどうこうなんてものを、もはや求めていないのだ。ちょっとここで、9月にリリースされるメジャー・デビュー・シングル『きゅるきゅる』に寄せられた本人のコメントを引用しよう。

"私は強い自己実現力を持って活動してきて、やりたいことをやって、欲しいものを短期間でたくさん手に入れたけど、自分も思いもよらないような、そんな凄い所に行きたくなっちゃったし、自分の極限をちょっと浅くみてたなって色んな人が気付かせてくれたので、生きたくなっちゃったんです。"
そう、今の大森靖子は、もはや彼女自身が抱いていた"自分"を超えている。で、勘違いしてはいけないのは、これは決して"自己否定"や"自己嫌悪"ではないということ。彼女の自我はもはや彼女の作る音楽に溶け出して、混ざり合って、もう元の形がわからないくらいに一体化しているのだ。自分、自分、自分――そんなエゴに絡めとられているうちは絶対に辿り着くことのできない孤立無援の場所に彼女はいるから、だからあんなにも慈愛に満ちた優しい顔を、聴き手に向けながら歌うことができるのだ。これは何かを背負う覚悟をした人にしか辿り着けない境地だ。だから、いつも自分のことばかり考えてしまう私は、大森靖子に畏怖のような感情を抱いたのだ。

この日、ライヴの行われた歌舞伎町のロボットレストランは、総工費100億円(!)をかけて作られたという、巨大ロボットや女性ダンサー・チームによるショウを見せる、今や外国からの旅行客には東京の観光スポットとして知られている場所である。新宿・歌舞伎町(若者は大人になったら行ってみよう★)のど真ん中に、穏やかな自然光とは無縁の人工的な明かりをギラギラと煌かせながらデーンと立っている。とにかくお金を惜しげもなくつぎ込んだことは想像に容易い、煌びやかな照明と派手な装飾によって隙間なく満たされた店内に、"ロボットレストラン"とあくまでカタカナ表記にこだわったロゴが、"日本"を体現しているような気もする。お金って、あるところにはあるんだね。

そんな一風変わった場所で、お花畑でのavexとのメジャー契約締結から約2週間経ったこの日、大森靖子はその身ひとつで歌っていた。ポップでハイ・テンションなバック・トラックを背に歌われた「きゅるきゅる」から始まり、そのカップリングの「私は面白い絶対面白いたぶん」までは怒涛のようなスピード感で駆け抜ける。「私は面白い~」では赤と青の2体のロボットも登場。その後、女性ダンサーたちの和太鼓演奏を挟み、そこからはギターの弾き語りスタイルで演奏。ステージ(と言っても、観客の座る椅子席や関係者用の立ち見スペースと地続きのフロア)の中央には3000枚のCDが敷き詰められていて、彼女はそれを踏み散らしながら歌う。印象的だったのは「新宿」。何度も聴いてきた曲だが、"あたし新宿が好き 汚れてもいいの"というラインが改めて胸に突き刺さった。このギラギラと輝く、日本の欲望と歪さと豊かさと貧しさと性とエンタメの集積地のような新宿でひとり、大森靖子は"汚れてもいいの"と歌ったのだ。これは覚悟の歌だ。汚れる覚悟、まみれる覚悟、背負う覚悟の歌だ。数年前に初めて大森のライヴを観た時、1人で来ている女性客が多かったことに驚いた。その時、きっと大森の歌は、彼女たちの、友達にも恋人にも家族にも言えない想いを救い上げているんだろうと思った。あの時のことを思い出す。今、大森靖子はもっと大きな舞台で、あなたの想いを救い上げようとしている。この日、大森は歌いながらステージを歩き回り、時に観客ひとりひとりの表情を覗き込み、時に男性客の頭を優しく撫で、時に観客やカメラマンにマイクを向けながら歌っていた。それはまるで、この日、ロボットレストランに訪れたすべての人の顔を覚えようとでもするかのように。そして、そのすべての人と語り合おうとでもするかのように。その時の大森の表情は、本当に穏やかで、包み込むような優しさに満ちていた。それは"自分"のその先に行き着いた人だけが見せることのできる、他者に向けられた本当に優しい笑顔だった。

私が担当した『絶対少女』タイミングのインタビューで大森靖子は語っていた。"私は音楽家なので、曲作ってライヴして日常が終わるので、(自分のことで)そんなに歌うことなんてないじゃないですか(笑)。自分のことを歌おうと思うと、音楽熱みたいなものしか歌うことがなくなる。だから、いつも見たこととか聞いたこととか気になった言葉を歌ってるんです"――この言葉を聞いた時、その"音楽熱"も歌っていいんじゃないの? 曲を作ってライヴをする、そのあなたの生活の中にしか見えない景色もきっとあるのだから、それも歌っていいんじゃないの?と、私は思ったのだ。しかしこのライヴを観た今なら、そんな考えが大森靖子という表現者の前では極めて甘ったれた考えなんだとわかる。何度も書くが、彼女は"自分"を超えている。"自分"と世界との繋がりを超えている。彼女はもう、その存在自体が音楽だ。きっと大森靖子は、この国のポップ・ミュージック・シーンの中で、今、誰よりも孤独な存在なんじゃないだろうか。でも大森はその孤独も受け入れたんだろう。正直、もう"メジャー・デビュー"という言葉に胸躍らせる時代ではなくなった。でも大森靖子は別だ。今、こんなにも"売れてほしい"と臆面もなく願えるアーティストはいない。売れてほしい。本当に売れてほしい。大森靖子の孤独には、それだけの価値と希望がある。

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