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INTERVIEW

Japanese

FoZZtone

2012年07月号掲載

FoZZtone

Member:渡會 将士 (Vo&Gt)

Interviewer:沖 さやこ


-ははははは! なるほど(笑)。

企画も組曲も全部そうですけど、本当に面倒臭いです。でも、面倒臭いことをやると、出来上がるものが凄く素晴らしいものになるんですよね。デザインまで含めてみんなで重労働して、とにかく面倒臭いことを丁寧にやって……フィジカルな感動が明確だと思うんです。あらゆる作業が本当に面倒臭かったけど(笑)、それを楽しめたし、それが出来るってことが個性だなって思ってます。

-組曲を制作することにより、新たに見えた音楽の一面はありますか?

先人たちは尋常じゃないなって痛感しました。昔の物凄い古い機材で、全部一発録りで、エンジニアもProToolsみたいな便利な機械が無くて、勘で全部耳だけで機材をいじって作り上げている音で。今みたいに切って貼ってって作業が出来ない状態。でも“これがどんだけ高性能な機械を使ってもまったく出せない”って、うちのエンジニアさんが言ってて。テープ1本って回して“はい録って!”っていう状況で、あれだけのものをやってきたCRIMSONとかYESとか、THE WHOとか“何考えてんだろうなぁ?”って。今よりもっと面倒臭かったんだと思うんですよ。だから、今のミュージシャンって楽をしすぎなのかなって。今の時代は機材が発達して出来ることがいっぱい増えてきたから、もっといろいろやらないと怠慢じゃないかなと。ちょっと強迫観念みたいなものも出てきました。

-ケルト民謡、ラテン、サンバのリズムを取り入れていて、先程お話にもあったようにリズム志向という影響が出ていますね。

ドラマーさんがラテンが凄く大好きな人で。僕もCDを貸してもらって聴いて“超かっこいい! これパクりましょう!”って(笑)。バンドの核、踊らせるというポジションのドラムの人が、前向きに明るいハートでもって、まずメンバーを踊らせてくれるっていう現状を凄く感謝しているんです。それを体現したサウンドやライヴをしたいなと思っていて。僕らも踊りたいし、お客さんには踊ってほしい。歩きながら聴いてたら次第に歩調が合ってたとか、身体が動き出したくなったとか、それは音楽の持っている効能のひとつで。音楽を聴いて元気になるっていうことを具体的に詰めたいというか。

-disc mentalではSNSの発達による今日のコミュニケーションの在り方がテーマになっていますけれど。……私は83年生まれで、高校時代にネット文化と携帯文化の発展途上を体感しているんです。便利になっていく過程をリアルタイムで見ているがゆえに“これをコミュニケーションと言っていいのか?”と疑問に思う部分もあります。目を見て“会話”をする、温度を感じる、相手の微妙な体の動きを見る……発展して便利になったことで肉体的な感覚が足りないなと感じてて。渡會さんは音楽とコミュニケーションとインターネットの発達はどう作用していると思いますか?

凄い難しいな(笑)。SNSに関しては、特にTwitterですけど、“フォロー、リムーブご自由に”っていうのが僕は凄く嫌いで。怖がっているんだな、っていうことを凄くいろんな人に感じるんです。だからあらかじめ傷つかないための予防線をしっかり張った上で人に会いに行く。しかもそれも実際会うんじゃなくてネット上で会いに行く……凄い時代だなと思って。勿論、みんながそうしてるからそうしてるだけで、実際に会って楽しく遊ぶ友達もいるし、SNSはただのひとつの手段だし、っていろんな使い方をしている人もいるんですけどね。でも、音楽の話とかをSNS上でしてるのを見てると、いわゆる実際にライヴに行ったりする“音楽リア充”的な人たちの肉感たっぷりな“面白かった!”“楽しかった!”“最高!”っていう反応と、データ上でしか音楽と触れてない人たちの反応ってちょっとまた変わってくるなって感じるところもあって。でも、それでも、今まさに様変わりしている最中なんで、これからのコミュニケーションのあり方もどんどん変わっていくと思うんで……僕らはある意味凄く原始的にやろうと思ってます。今回の企画も全部“お客さんと文通しよう”っていうレヴェルのことだと思うんですよ。音楽自体は物凄く原始的なものですよね。打楽器のリズムで踊る。インディアンが太鼓を鳴らして踊るのと、クラブでウーファーがドコドコいって踊るのって同じじゃないかなって。……時代はきっとどんどん進化していって、面倒臭さをカットしていくと思うんですけど、実は音楽の本質って原始的な状態からあんまり進化していないんですよね。だから音楽の中の面倒臭さをカットしてしまうと音楽じゃなくなっちゃう気がするんです。コミュニケーションの形も、そこに付随するときは原始的であったほうがいいなと。

-なるほど。disc mentalはSNSを題材にして、ネットや携帯電話で便利になった世の中で育った若い子に問題提起する内容になっていると思います。“若い年長者”が“若者”にこういうことを言うことは大事ですね。

僕とかの世代って“俺オヤジ程度の人間にならないよ、上行くぜ”って言ってたんですよね。バブルのときの人たちってそうで、僕が小学校時代に見た20代、30代くらいの若い人が当時の50代とか60代の人たちのことを“あいつらなんか置いてって俺らは社会を回してく”みたいな、物凄く気概に溢れてるなと思ったんです。でも僕の知り合いの二十歳くらいの子たちって上を見ないんですよね。“親父を心から尊敬してる”とか“親父の半分くらいまで行ければいい”みたいな……ちっさ!!と思って(笑)。結構普通にみんなそういうこと言っちゃうんですよ。早めに結婚して、早めに安定して……社会が不安定だからっていうのもあるんでしょうけど、個人的にはそういうこと言ってほしくないなって。disc mentalでは今の10代、20代前半の子たちに向けて、俺もおっさんぶってみようかなーって思ったんですよね。“お前らよりちょっと長く生きてるから言うけど、お前らちょっと違うぞ”っていうのを言ってあげるのも大事かなって。