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INTERVIEW

Japanese

ザ・チャレンジ

2018年04月号掲載

ザ・チャレンジ

Member:沢田チャレンジ(Vo/Center) チャレンジオノマック(Vo/Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

2016年にメジャーでの活動に終止符を打ち、フリーランス・バンドとしてリスタートを切った、ザ・チャレンジ。精力的に活動をしていたが、2017年末に活動休止となり、現在メンバーはそのカラフルなサングラスを外して、それぞれの活動に勤しんでいるところだが、このたび、2016年から2017年の間にライヴ会場限定でリリースしていた曲を集めたミニ・アルバム『SUPER HITS』がリリースされることとなった。バンド名に相応しく、より音楽的な挑戦が色濃く、これぞパーティー・チューンたる楽曲から新機軸的な曲までの全6曲が収録され、そのあとへの期待感も上がる内容となっている。活動休止中のところを特別に、これまでのこと、今後のことについても語ってもらった。

-今回のリリースは、活動休止するときには決まっていたんですか。

沢田:ザ・チャレンジは2016年にメジャーを卒業してフリーランスでやろうとなったんですけど、そこから2年間、ライヴを中心にやろうと決めて会場限定でCDを出していたんです。全国流通せず、会場だけで売っていて。それが6枚溜まったんですよね。活動休止をするというとき、そのまま休止しても良かったんですけど、やっぱり全国津々浦々までライヴで回れなかったので。CDを買えなかったという人たちも結構いたから、それをコンパイルして出すっていうのはやってもいいかなと思ったんですよね。今回、ラスト・ライヴが2本(2017年12月15日に東京キネマ倶楽部で開催した"LOVE♡LOVE♡LOVE♡LOVE♡LOVE♡SONG"ツアー・ファイナル公演と同年12月24日に下北沢GARAGEで開催した"ザ・チャレンジ 配信ワンマンライブ「ザ・チャレンジ 2010-2017」")あったんですけど、その片方("LOVE♡LOVE♡LOVE♡LOVE♡LOVE♡SONG"ツアー・ファイナル公演)の映像も特典でつけられるということもあって。それも届けたかったので、出すことにしました。

-こういう機会ですので、活動を振り返ってみたいと思うんですが、2016年にメジャーを卒業してフリーランスになるというときは、自分たちの力でもう1回やっていこうという気持ちだったんですか。

沢田:そうですね。ザ・チャレンジというバンドは、沢田チャレンジがチャレンジしたいという気持ちで、Twitterでバンドをやりたいとつぶやいたことに、メンバーが乗ってくれたバンドなんですよね。そのなかで、バンドをやるからにはフェスに出たいとか、全国流通のCDを出したいとか、その先にメジャー・デビューしたいというのもあって。そういうなかでいろんなチャレンジをして、メジャー・デビューまでいったんです。メジャーにいくと、いろんな人たちが周りに出てきて。僕たちも、そんな若造っていうわけではないんですけど、やっぱり結構振り回されることはあったよね。

オノマック:うん。

沢田:テレビに出るとか、メジャーだからこそできたこともたくさんあったんですけど。活動していくなかで、"あれ? 自分たちは誰に向けて曲を作っているんだっけ?"とか、"なんのために音楽をやってるんだっけ?"とわからなくなったことがあったんです。メジャーでは、"こういうのをやってほしい"というリクエストがくることもあって。そうすると、その人たちのために作っている感じというのが、自分の中で出てきてしまってですね。そこで、目標が何かがあやふやになっちゃったから。これは1回、メジャーはやめた方がいいかなっていうので、卒業をしたのが当時の簡単な経緯なんです。

-大きなフェスにもひととおり出演して、特に2016年に"RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO"に出たときには機材が届かないというトラブルに見舞われつつも、いろんなバンドの助けがあって。その経緯がSNSで共有されて話題にもなりましたね。

沢田:あのおかげで、半年くらい話題が尽きず、機材届かない芸人みたいな感じで、いろんな人に挨拶すると"大丈夫だった?"って言われて。結果的においしいみたいなことになってましたね。そのあとも、その年の冬のツアーで北海道に行ったんですけど、北海道のみんな今度こそちゃんとやるぜっていったら、今度は大雪で飛行機が飛ばなくてライヴがキャンセルということもあったりとか。でもおかげで、北海道のファンとの絆が深まってね。

オノマック:お互いに熱くなったのもありましたね。

-最初のインディーズ時代に、「メジャーデビュー」(2014年リリースの2ndミニ・アルバム『みんなのチャレンジ』収録曲)という曲を作って、それがちゃんと実を結んでメジャーに進出し、かき回していって。そしてイチからスタートを切ったのが、2016年ですね。そのときは、どんな思いだったんですか。

沢田:僕たちは事務所機能も、所属していたユニバーサル ミュージックに置いていたんです。結果的にマネジメントもやめることになったので、これを機に自分たちでやろうということで、僕たちのデザインをやってくれている会社に籍だけ置かせてもらって。そこのスタッフをお借りして、マネージャー的なことをやってもらいながら、2年弱自分たちでやってきたんです。フリーランスでやるというのも、それはそれで僕たちなりのチャレンジだったんですよね。

-活動的にはメジャー前のインディーズ時代とあまり変わらないですか。

沢田:差はないですね。ただやっぱり、最初にやっていたころとは規模感が違うから、物販ひとつとってもどこに置くんだ問題とか、運ぶのどうするんだ問題とか、そういうのが大変なんだなっていう。当たり前のことなんですけどね。それでフリーになって最初の年に、年間50本くらいライヴをやったんです。ツーマン・シリーズ(2016年4月~11月に開催した"ザ・チャレンジ 10番勝負 2016")とか。あれでもう、かなり疲れましたね。

オノマック:疲れてる人が多かったですね(笑)。

沢田:フリーランスになったから、立ち止まったら終わるって思っちゃって、とにかくライヴを月に4本とか入れて。メンバーは他にもバンドをやっていたり、仕事を持っていたりする奴もいるから、今週は北海道で来週は大阪で、と毎週末飛び回る生活を1年やりました。それはそれで、バンドマンとしての体力はついたんですよね。

オノマック:そうですね。

沢田:ただちょっと疲れたなっていうのはありましたね。

-まぁみなさん、ピチピチに若いバンドっていうのともまた違いますからね。

沢田:ではないので(笑)。都道府県全部回るとかはもうできないのでね。

-それよりは、楽曲作りとか、それぞれのライヴをひとつのライヴとしていいものにするというのに重きを置いて活動していくというふうにはなりますね。今回改めて『SUPER HITS』に収録した曲を聴くと、すごく素直になったというか。音でも歌詞でも、自分の原点のようなところを出しているなというのを感じました。

オノマック:さっきの話でもちょっと出たんですけど、メジャーでは締め切りというか、ここまでにこれだけの曲を作りましょうというのがあって。それを終えてからの曲たちは結構、しっかりと1曲、1曲作っていった感じもあって、愛着がより深い感じがあるんです。

沢田:チャレマック(チャレンジオノマック)は、今回の曲が全部好きだって言うよね。

オノマック:スタジオでみんなで作っていく感じだったんです。メジャー時代の、手練れたちが集まってバンバン曲を作っていくのも良かったんですけどね。今回は、それぞれが作ってきた元ネタに対して、スタジオでみんなでああしようこうしようと言いながら作ったんです。時に行き詰まったりもしながら作っていった曲だから。

沢田:もう1回ザ・チャレンジでやるんだったら、5人で作るのをやろうよっていう。でも3ヶ月スタジオに入ったけど、1曲もできないこともあったもんね。

オノマック:ありましたねぇ。

-そういうときって、焦りもあるんですか。

沢田:つらかったですよ、僕は。やっぱり全員のOKを貰うのは大変で。みんな、ザ・チャレンジがどうなっていけばいいのか、模索中だったから。うちのドラチャレ(ドラゴンチャレンジ/Dr)とかは結構ブラック・ミュージックが好きだったりするから、今はそっちのブラックな要素が入ったリズムをやりたいっていうのがあって。Bruno Marsとか言い始めたからね。でも、俺とかチャレマックの中に、Bruno Marsは(笑)。

オノマック:まったくない(笑)。

-そのブラック・ミュージックの要素は、いいエッセンスになっているし、東京っぽいロックやポップスに落とし込んでいるのでは。

沢田:僕らが2010年にザ・チャレンジを始めたときと、音楽シーンが変わったなというのがあって。あのバンドが復活したとか、こんなシーンができたとかがたくさんあって、僕たちの近くにも、シティ・ポップと呼ばれるジャンルがバーンと出てきたんです。そういう人たちの音楽も、僕はすごくいいなと思ったし、そういう人たちがルーツにしてるものもそもそも僕は好きだったりして。でも、ザ・チャレンジがここでシティ・ポップやってどうするんだっていうのもあったから(笑)。やっても、そうならないしね。

オノマック:まぁまぁ、そうですね。

沢田:でも、そういうエッセンスも取り入れてみたりして。またいろんなものを取り入れてやろうっていうのはありましたね。