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COLUMN

THE BEACHES ヒサシ the KID の「世界は常夏。」 【第1回】

2009年07月号掲載

THE BEACHES ヒサシ the KID の「世界は常夏。」 【第1回】


2009年、世界は常夏。

俺のミュージックライフに大きな影響を与えたファーストアルバムが3枚がある。

最初の1枚はTHE CLASH「THE CLASH」。高校一年生の時。俺は当時(1990年頃)まわりの大半が聞いていたアメリカンなハードロックが大嫌い過ぎて、間もなくして周りでも噂され始めるNIRVANAの登場すら最初はピンと来なかったほど。
初めてのバンドを結成した16歳の夏。スタジオなんてあるはずもない田舎での俺達の最初の練習場所は日曜日の工場。山奥にあるその工場の周りには民家もなく日曜日ならアホほど音を出せた。そこへメンバーが持ってきたアルバムがTHE CLASHのファースト。トンタタトトタタ・・・びっくりする程スッカスカのドラムイントロで始まる1曲目の「Janie Jones」を聞いて「洋楽=アメリカンなハードロック=嫌い」という図式しか知らなかった俺は初めて洋楽の壁を乗り越えた。

高校3年間、なんとなくのバンド活動でなぜか自信をつけた俺は地元を離れて名古屋で本格的にバンド活動を再スタート。それまでPUNKしか知らなかった俺を夢中にさせた「Loser」で幕を開けるBECKのファースト「Mellow Gold」(1994年)。不穏な空気の中でラップされるその曲に一発でノックアウトされて、これが俺の嫌いなアメリカのリアルタイムの音楽だと知った時にまだまだこの不穏な音の向こうに知らない音楽がたくさんある事を知った。

それから10年の月日が流れた。工場で練習を始めたバンドはバンド名を変え、メンバーを変え、何枚もアルバムをリリースしてアメリカツアーもした。だからと言って何処に行き着くわけでもなくまた次の刺激を求めていた。
その10年でたくさんの音楽を聴いた。嫌いだった音楽にも興味を持たせてくれる出会いもあった。全部知ったような気にでもなってたのか。すべてが退屈に思えていた頃に出会ったスリランカ出身のM.I.A.がリリースしたファースト「Arular 」(2005年)。素晴らしい音楽はアメリカやイギリスだけにあるわけじゃない。いや、そんな事はとっくに知ってた。誰も知らない山奥の工場で俺達が人知れず音楽を育み出したのと期を同じくして世界中にもそんな同胞のような同世代達も音楽を育み出していたんだっていう当たり前の事実。しかもそれは俺が10年間聴いてきたような音楽の影響を受けつつもそれとは違う魅力を放っていたわけだからそんな嬉しい衝撃はなかった。

俺はそんな彼や彼女らの音楽を探しに出かけては、2009年という2000年代も10年が過ぎようという節目の年、子供の頃には想像もつかなかった未来な今日にもまだ「知らないメロディー」や「聞いた事のないヒット曲」に出会う毎日を送る事が出来ている。

「Skream!」創刊にかけてファーストアルバムを3枚紹介してみた。でもこれを読んでくれた君にとっては何の意味もない3枚かもしれない。君にとってのTHE CLASHはこれから向かう夏フェスで出会う新人バンドかもしれないし、君にとってのBECKは夏フェスに行く金もないから行く事にした近所の汚いクラブでDJがプレイしたその曲かもしれないし、君にとってのM.I.A.は出かけるのも面倒で家でネットサーフィンしていたら落ちていたその曲かもしれないからだ。
でもその曲が開いてくれた扉の向こう側に歩き出した時、もしかしたらそんな名前に出くわす事があるかもしれない。「あ、昔見たフリーマガジンでなんとかKIDが書いていたバンドだ!」って。
ロマンチックでしょ?でも音楽って不思議とそんな風に繋がっていったりするものなんだよ。そんな素敵な出会いがこの夏、皆さんにありますように。で、そんな出会いのきっかけが俺達がこの夏リリースするサードアルバムだったとしたら言う事ないね(ここはただの宣伝です)。それでは、どこかでお会いした時には一緒に音楽を楽しみましょう!

THE BEACHES ヒサシ the KID