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INTERVIEW

Japanese

mihoro*

2021年01月号掲載

mihoro*

Interviewer:吉羽 さおり

高校在学中の2016年から音楽活動を始め、地元岡山や大阪、東京で精力的にライヴを行ってきたシンガー・ソングライター mihoro*が、初の全国流通盤になるミニ・アルバム『Re:』をリリースした。2019年には、AbemaTVのリアリティ・ショー"白雪とオオカミくんには騙されない"に出演したことで、同世代の認知度も上がったmihoro*だが、何よりギターをかき鳴らして10代の感性で素直に描く、恋模様や自分のこと、ムカつくあいつだったり、はたまた「ラーメンが食べたい」という直球の曲だったり、ユーモラスで、シリアスで、それでいて嘘がない透明感のある曲が、多くの人の心に触れるものになっている。mihoro*とはどんな人なのか、自身の音楽の始まりからアルバムへの思いなど話を訊いた。

-mihoro*さんが自分でギターを持って音楽を始めたのは、いつ頃だったんですか?

小さい頃からずっとスポーツをやっていたんですけど、中学3年生の夏に部活を引退して、何もすることがなくて暇になったんです。そのときに、お父さんの使っていたギターが家にあったので、それを勝手に使って始めたのが最初でした。

-音楽には興味があったんですか。

もともと小さい頃からピアノをやっていて、10年弱くらいやっていたんですけど。ピアノはずーっと嫌で、楽しくなかったんです。音楽もめっちゃ好きというわけではなくて、でも、漫画やアニメも全然興味がなかったので、他にやりたいなってものがなかったんですよね(笑)。そしたらそこにギターがあるなという。

-それでギターでも覚えてみようかなっていうところからのスタート?

そうです。でも、最初は覚えようとかも思っていなくて、ただお家でやっていただけだったので、ずっとコピー(カバー)する曲の歌詞を書いて、コードもただ"C"とか書いてもわからないので、歌詞の上にタブ譜を1個ずつ書いてました。最初はユーミン(荒井由実/現松任谷由実)の「やさしさに包まれたなら」のコピーをやってみようと思って......それはお父さんが"ギターやるなら、これ"ってくれたものだったんですけど。いきなりバレー・コードが出てきちゃって、めちゃめちゃ難しかったから、1日でやめて。そこからちょっと期間が空いて、また何か弾いてみようかなと思ったときに、miwaさんの「ヒカリへ」という曲が、コードが5、6個でできるものだったのですぐにできたんです。簡単なコードだったからというのはあるんですけど、"私ギターできるかも"って調子に乗りました(笑)。

-(笑)

そこからは簡単な曲をカバーしたりしましたね。

-自分で曲を作ろうっていうのは何がきっかけですか?

高校1年生の夏に、初めてライヴハウスで歌うことになったんです。それでライヴハウスに出るなら、自分の曲がないとダメだろうって思って──それまではライヴハウスに行ったこともなかったので、ライヴハウスってみんな自分の曲をやっているものだと思っていたんですよ。それで出ることが決まってから、1ヶ月でなんとか作りました。そのときは2曲作ったんですけど、曲の作り方もわからないので、とりあえず歌詞っぽいことを書いてみて、知ってるコードを当てて作ったという感じで。

-初めてライヴハウスに出て、自分の曲をお客さんに聴いてもらうわけじゃないですか。そのときの感触は覚えてますか?

お客さんも多いわけではなかったんですけど、どうだったかなぁ。緊張はしましたけど、そんなに覚えてないんですよね(笑)。そのときに、ライヴハウスの方に"こうしたらいいよ"ってアドバイスを貰ったり、また呼んでもらえたりもしたので。こうしたほうがいいよというアドバイスはちゃんと聞いて、練習をしてまた出させてもらってって感じでした。

-高校生の頃に、シンガー・ソングライターになりたいなという気持ちはあったんですか?

まったく思っていなかったんです。高校に入って普通に部活にも入って、その頃は体育教師になろうと思っていたので。

-また全然違う夢があったんですね。

音楽はただお家で楽しんでいるくらいだったんです。ただいろいろあって高1の夏に部活をやめてしまって。体育教師になりたいけど、それだとちゃんと部活動をしていないのは厳しいのかなと思ったんですよ。でも、今さら他の部活には入れないしなって、フラフラ~っとしていたんです。そのフラフラした時期にも、ギターだけはずっとやっていたので、シンガー・ソングライターをちゃんとやろうって思ったのは、高3のときですかね。

-それまでは自分で楽しんだり、ライヴハウスに出たりするくらいの活動ですか。

高校2年生のときに70本くらいライヴをしたんです。高2の終わりくらいになると、進路についての話が出てくると思うんですけど。当時はまだ体育教師になる夢は諦めてはいなかったんですが、"今までどおりにライヴとかをやろうと思うなら、体育教師になるには実技や実習も多いから疲れちゃうし、毎週のように県外にライヴに出るのは無理だと思うよ。どちらかにしたほうがいいんじゃない?"って言われて。そうだよなと。じゃあ、もう運動もやっていないし、1年間ライヴをしたし、来年もまたライヴするし......"ライヴします!"って言って。それで高3のときにちゃんと音楽をやろうと思ったんです。

-その頃はもう曲はたくさんあったんですか?

高校生のときに50曲弱くらいはあったと思います。

-高校生の頃に作ったもので、これは自分の転機になったなという曲はありますか?

「ラーメンが食べたい」(2017年リリースの1stデモ音源/※完売)を作ったときにTwitterに載せたんです。そのとき全然フォロワーはいなかったんですけど、たくさん"いいね"とかリツイートをしてもらって、ちょっと伸びたんですよ。あと「遊んでたの、知ってるよ。」を作ってライヴハウスで歌っていたんですけど、高校2年生になってMVを作って。それがたくさん観てもらえたので。その2曲は最初のほうに作っているけど、いろいろな転機にはなっているのかなって思います。

-それは、こんなにたくさんの人が自分の曲を聴いてくれているんだなっていう驚きも?

SNSにはカバー動画は載せていたんですけど、それまで自分の曲は載せていなかったんです。それが、そんな伸びる!? とは思いました(笑)。でも、そのときの動画を間違って消しちゃったんです。急いで載せ直したんですけど、それは最初ほど伸びなかった(笑)。

-(笑)そうやって自分が作った曲にリアクションがあることって、励みになりますね。高校時代はどんなバンド、アーティストが好きだったんですか?

もともと音楽は何も知らなくて、普段よく聴いている音楽っていうのもなくて......あ、小さい頃から嵐が好きで、J-POPしか知らない感じでした。ギターを始めた頃も、どういうアーティストやバンドがいるかはわかっていなくて、"Mステ(ミュージックステーション)"とか音楽番組に出ていて、そこで歌っている有名な曲くらいしか知らなかったんです。でも、YouTubeを観ているときにたまたま阿部真央さんのMVを観て。それまで名前すら知らなかったんですけど、"これやりたい、これかっこいい!"となって、阿部真央さんの曲は全部できるんじゃないかってくらいコピーしました。

-阿部真央さんの何がmihoro*さんに刺さったんですかね。

"かっこいい女性"だったんですよね。今もそうですけど、かっこいい女の人になりたかったんです。当時は"シンガー・ソングライター"という言葉すらも知らなかったですけど、ギターを持って歌っている女性アーティストはかわいいイメージの方が多かったので、その中でこの人かっこいい! って、それにやられてしまって。

-そうだったんですね。では、ここからは曲作りについてお聞きしていこうと思うのですが、普段、曲はどのように作ることが多いですか?

今も曲の作り方というものがちゃんとはわかっていないんですけど。今までずっと歌詞を書いて、それにメロディをつけてというのをやっていたんです。ただ、「遊んでたの、知ってるよ。」を書いたときは、歌詞も何も考えず、コードも決めてない状態でレコーダーの録音ボタンを押して、スッキリするまでずーっと歌って。その20分くらい歌い続けたものをあとから聴いて、歌詞を直したり順番を変えたりしてできた曲だったんです。そういう作り方をしたのは初めてでした。基本的には、歌詞から作る曲が多いんですけど、たまに同時進行や、先にフレーズだけ録ってというのもあるので。最近は、これという形を決めないで作ってます。

−「遊んでたの、知ってるよ。」はなんでそういう変わった作り方をしたんですか。

"わー、もう嫌だー、あー!"っていう状態で(笑)。

-何かあったんですね(笑)。そういうふうに、自分でいっぱいいっぱいになって、曲に吐き出すことってそれまでもあったんですか?

なかったと思います。わーってなっちゃったら別のことで発散するみたいな感じだったので。

-「遊んでたの、知ってるよ。」ができたときの感触としては、それまでと違うものがあったんですか? 新しい感情の出口を見つけたな、みたいな。

ただ20分録り終えた状態の、まだ何も完成してない状態のときに"私、この曲はずっと歌うだろうな"っていうのは思いました。

-それくらい強い曲だったんですね。そうやってできた曲がMVにもなって、たくさんの人に聴いてもらう曲にもなりました。

そうですね。でも、きっと、パッと聴いたときに情景が浮かびやすすぎるくらいに書いているので。わかりやすいから、伝わったのかなって考えているんです。だからと言って、これから書く曲を全部そうしたいなとは思わないんですけど。

-きっと、あのときにしか出ない気持ちだったからこそ、強い曲になったんだと思いますよ。だからこそ、たくさんの反響があって。

でも、最初は全然聴かれてなかったんですよ。今もですけど、わーっと勢い良くピークがきたというよりも、2017年から3年くらいかけてずーっと聴いてもらっている曲になっていて。

-それすごいことだと思いますよ。

YouTubeのコメントも、絶えず新しいものが増えていたりするなって。

-それだけ聴いている人に触れるものがあって、自分に何かそういうことがあったときに、またその曲に帰ってくることも起きているんだと思いますよ。"これ私のことじゃん"っていう。

SNSのことを歌っている曲でもあるので、今まさにハマっているんだろうなとは思います。YouTubeのコメントは、みなさん結構自分のことや自分の体験を書いてくれる人が多いんですけど。それを見ていると、Instagramのストーリーのことを書いていたりして。曲を作った当時、ストーリーがあったのかどうか覚えてないんですけど、その頃はInstagramよりTwitterを使っている人が多かったんです。なので、作ったときとはちょっと状況は変わっているけど、それでもこの曲にハマってくれているんだなって思いました。