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INTERVIEW

Japanese

Negative Campaign

2019年11月号掲載

Negative Campaign

Member:伊藤 秀太(Vo/Ba) 佐々木 勇人(Gt/Cho)

Interviewer:TAISHI IWAMI

本格始動から4年の月日を経てリリースしたセルフ・タイトルの1stフル・アルバムから一転、今度はわずか10ヶ月のスパンで、Negative Campaignが2ndフル・アルバム『Negative Campaign Ⅱ』を完成させた。前作のインタビューでは社畜からの逃亡劇、そして"マジョリティに対するアンチ"という結果的テーマについて話してくれた彼らが、今作の制作に至った原動力は"焦燥感"だと言う。行き場のない悶々とした日々、何か結果を得たところで消えることのない焦りと、30歳を超えたことで情熱や衝動への冷めた目が入り混じる独特の温度感。そこにスポットを当てて話を進めていくことで見えてきた、サウンドに内燃する想い。そこにはロック・バンドだからこその人間らしさと確かな希望があった。

-1stフル・アルバム『Negative Campaign』(2019年1月)は本格始動から約4年の月日を経てリリースしたことに対し、今回の2ndフル・アルバムは約10ヶ月でのスパンで。さらに3rdフル・アルバムも計画中とのことですが、ここにきて急にピッチが上がったのはなぜですか?

伊藤:30歳を超えて如実に焦りが。命を燃やせと心の中の自分が言ってるんです。

-どんな焦りですか?

伊藤:これから先、自分はどうなっていくんだろうって、10代のころに抱えてきた漠然とした闇がどんどん大きくなってきて、いよいよ抑えきれなくなってきたような。芥川的焦燥と言いますか......。僕の将来に対する漠然とした不安です。

-何をしてその焦燥は解消されるのでしょうか。音楽でセールス的な成功を収めるとか?

伊藤:そういったことも明白でなくて。もし仮に、僕らの音楽が世間的に売れたとして、でも今度はそれがまた新たな不安の種になる。恐ろしい輪廻ですよね。たぶん何をやっていてもすっきりすることなんてないんですけど、じっとしているのが一番つらい。音楽を作っていれば、"何かやってるぞ"って、気分にだけでもなれるので。

-前作のインタビュー(※2019年1月号掲載)では、伊藤さんとも佐々木さんも、凄まじい社畜から抜け出してバンドを結成し、マジョリティに対するアンチテーゼが制作の原動力になっているとおっしゃっていましたが、今はどんなモードですか?

伊藤:時速36kmの慎之介(仲川慎之介/Vo/Gt)君が僕らのことを"平熱のロック・バンド"だと言ってて。まさにそうだと思うんです。当人たちは焦って"何かやらなきゃ"って必死なんですけど、できることは限られてる。でも"音楽しかないんだ!"って熱い気持ちで成り上がろうとする根性も甲斐性もない。沸騰することのない情熱みたいな。

-佐々木さんはどうですか?

佐々木:伊藤君の言う焦燥や、かと言ってそこまで情熱的になれない感じはわかりますね。僕は作詞作曲には関わってないので、そんな伊藤君が曲で表すことに同調してやってる感じです。ギターのフレーズを作るときも、僕がどうしたいかではなく、今その曲には何が必要か考えてそこから広げていきます。"表現したい"という感情を一切出さないほうが、解決しない問題に対して効いているような気がするし、あとから聴いたときに"これで良かったんだ"って納得できる。個人として、そういう方向性を明確に見つけられたことで、少しは明るい気持ちになれたアルバムですね。

伊藤:"俺はこういうことが言いたいんだ!"とか"これしかないんだ!"ってひたむきにやってる10代や20代ってすごく美しいと思うんですけど、30代になるとつらいし悲しくないですか?

-そうですか? カッコイイと思いますけど。やりたいことを貫くのに年齢も何もないかと。

伊藤:おっしゃることはすごくわかります。でも、そこに冷たい目を持っちゃう自分がいるんです。

-その年齢的に振り切れない気持ちもわかります。

伊藤:だから"頑張るぞ"ってまっすぐやれない。どうしても自分を客観視したり、俯瞰的な視点になったりしてしまうんです。

-でも、音楽は大好きなんですよね?

伊藤:ほんとに、めんどくさい人種ですよね。音楽が好きで、バンドが好きで、わざわざそこにこだわってる。でも、そういう音楽に対する情熱と人生に対するアティテュードが全然噛み合ってない。僕らが人から"平熱のロック・バンド"とか"捻くれポップ"と言われる所以がもろに表れた、そういうアルバムになったのかなと。

-なるほど。私はNegative Campaignの、そういう捻じれた部分が気になっているのかもしれないです。

伊藤:前作について、ある人が書いたレビューを読んだときに、"届けたい人たちに届いたんだ"って実感できたんです。漠然とした不安を抱え生活に虚無感を抱き、かと言って、極端ですけど、自らの命を絶つ勇気もなければ、それを打開して新しいところに踏み出す勇気もない。それでも時間は過ぎていく。だから少しでも人生を良くしたいとは思っている。みたいな。

-そういう意味では"悶々とした振り切れない方向に振り切ってる"から、すごく景色が開けるアルバムでもあると感じました。

佐々木:「スイカ」とか、僕はなぜか勇気を貰えたんだよね。

-「スイカ」の"頑張らなくちゃなれないようなものに憧れを抱くほどまともでもない"はキラーフレーズだと思いました。

伊藤:おお! 僕も我ながらすごく好きな部分なんですよ。すべてがここに詰まってると思います。ここまで話したことはなんだったんだよってくらい(笑)。

-全体の雰囲気はほのぼのしている中で歌ってることは辛辣。そのギャップもいいですよね。

伊藤:ドラマの"すいか"が大好きなんです。木皿 泉さんの脚本って、何気ない日常を切り取ったような、ほのぼのした描写の中に、"これ、土曜の21時にやるか?"ってくらいに辛辣なメッセージというか、触られたくないところを突かれているようなものがある。あのポップなのに痛い感じが、うまく表現できたように思います。

-60年代のポップスを思わせる曲調は前作にはなかった新たなバリエーションで。

伊藤:60年代、それも前半のポップスを参考にしつつ、サウンドはそこまで素朴な感じにはならないように、パリッとさせてギターもフェンダー系の歪みに。そこはおもいっきり見切り発車だったんですけど、うまくまとまりました。

-60年代繋がりだと「サンドウィッチガール」。このモータウン・ビートは、定番ですけど特徴的で注目は集まるからハードルが高い。

伊藤:60年代から時を経て、THE STROKESの「Last Nite」とかからインスパイアを受けてるバンドとかもいますけど、ここまで"頭悪いんじゃね?"くらい露骨にポップにモータウン・ビートを取り入れた曲も最近は少ないから、逆にやってやろうって。さらにメロディはモータウン・ビートの曲じゃないですけど、J.GEILS BANDの「Centerfold」に寄せて、ベタにしてみました。

-「セミロング~純情編~」も、60年代からのベタなロック・バラードを参考にしたんですか?

伊藤:まさにそうで、直接的なリファレンスは時代が進んで80年代。JOURNEYの「Open Arms」ですね。アウトロでちょっと転調するところから、細かいところも含めて曲の構成はそのまんまです。

-そして、前作との大きな違いとなると、ギターの音が重なっている点。サポート・ドラムと3人のバンドで演奏できる範疇を越えたことは、意図的なことですか?

佐々木:特に強く意図したことではなかったんですけど、今回はライヴで再現することを度外視して、"あったほうがいいな"って思った音とフレーズを入れてるんです。というのも、僕らはライヴハウスでガンガン盛り上げるタイプのバンドでもないし、伊藤の曲は家でCDを聴いて生活の一部になってもらうことが一番いいように思うんです。そこに曲の幅が広がったことが作用して、結果的にいろんな音が入ってるんだと思います。

-曲調の幅が広がり、音色も豊かになったことに加え、それぞれの音のバランスもすごく良くなってますよね。

伊藤:そこはそうですね。前作のインタビューでも触れていただいたように、相変わらず金モノはやたらデカいですけどね。

-シンバル・ノイズ(笑)。もはや安心しました。

伊藤:金モノがデカくていいって、たくさんの方に言ってもらえて嬉しくなっちゃって、こうなったらもう悪ふざけくらいにやってやろうって(笑)。