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INTERVIEW

Japanese

THE ORAL CIGARETTES

2014年07月号掲載

THE ORAL CIGARETTES

Member:山中 拓也 (Vo/Gt) あきらかにあきら (Ba/Cho) 鈴木 重伸 (Gt) 中西 雅哉 (Dr)

Interviewer:沖 さやこ

A-Sketch、HIP LAND MUSIC、SPACE SHOWER TV、MUSICAがタッグを組んだロック・オーディション"MASH A&R"の初代グランプリであるTHE ORAL CIGARETTESが、A-Sketchから4曲入りシングル『起死回生STORY』で満を持してメジャー・デビューする。2013年は地元奈良だけではなく関西全土をホームにするために、関西を中心に精力的なライヴ活動を展開。「起死回生STORY」はグランプリ以降の環境の変化やリアルな心情が込められたエネルギー溢れる楽曲だ。これまでの活動を辿りながら、バンドにかける想いをメンバー全員に訊いた。

-山中さんとあきらさんが高校在学中に軽音楽部で前身バンドを組んだのが、事の始まりだったようですね。

あきら:高校のタイミングで初めて拓也と仲良くなって、RED HOT CHILI PEPPERSのコピー・バンドを組んだんです。そのとき拓也はベースで、俺がヴォーカルで。その延長線上でオリジナルをやり始めて、大学行くタイミングで解散してしまって。でも"もう1回バンドやりたいなぁ"と、名前をTHE ORAL CIGARETTESにしてバンドを始めて。そのときに拓也がギター・ヴォーカルで、俺がベース・コーラスになりました。

-鈴木さんが加入なさった経緯は?

あきら:シゲちゃん(鈴木)はそもそも(山中と)同じマンションに住んでいた幼馴染で、"いいギタリストいるでー"と連れてこられて。そしたらなかなか背の高い、クールな子で"ギタリストっぽい!"と。でもそのときシゲちゃんはベースをやってたらしいんです(笑)。だからみんなバンド経験はあるけど、このバンドから初めての楽器を触ったんですよね。......で、ドラムはいろんな人とスタジオに入ったけどなかなか決まらんくて。それで後輩の子に声を掛けて、ようやくバンドとして動き出す。それが2010年の6月、初ライヴをしたときです。それで自主デモを作って、各地のライヴハウスにも全部自分たちで連絡してツアーを組んで、ツアーから帰ってきたらあんだけあった貯金もなくなって......(笑)の繰り返しのような時期で。で、そうこうしているうちに就職活動の時期になって、そのタイミングで拓也が入院して。

-MASH A&Rにエントリーした、2012年の9月ですね。

あきら:それで拓也がやっと退院したときに、ドラムが就活でバンドをやめていき......。

山中:僕らも結構"もうアカンかもしれへん、解散もあり得るな"と精神的にもみんなヤラレてるときにMASH A&Rから"合格したので最終選考に来てください"と連絡が来て......これはやるしかねえ!!って(笑)。

あきら:それで丁度マサやん(※中西)のバンドが解散して"あの人に頼んでみよう"とサポートで入ってもらって。何本かライヴもこなしたあとに正式メンバーになってもらって、今の構成になりました。

中西:当時オーラルのメンバーは20か21くらいだったんですけど、"俺らが奈良を盛り上げていく"という意識がすごく強くて。そういう熱意を持っているバンドだったので、誘いを受けたときも二つ返事でOKしました。

-MASH A&Rにエントリーしたのは入院中の山中さんだったんですよね。病床でバンドのために行動なさったのはすごいことだと思って。

山中:そのとき本当にしんどくて、ずっと40度くらいの熱があって......医者に行ったら"すぐに入院してくれ"と言われて。でも次の日ライヴがあるから断ろうとしたら"入院するか死ぬか、どっちがいいですか?"って......劇症肝炎の一歩手前やと。本当に死ぬ、と思って。その入院がツアー期間とかぶってたから当然全部キャンセルしなきゃいけなくて、あきらとシゲがツアー先全部車で回って謝りに行ってくれて......罪悪感しかなくて。しんどいなりに"バンドのためになんかでけへんかな"と病室にパソコンを持ってきて"ちょっとでもオーラルが業界の人の目にとまるきっかけがあればな"と、オーディションにいっぱい応募して。"受からんでもちょっとでも見てもらえる機会があればいいや"くらいのテンションで。......その前にバンドの2年くらいのプランを立ててて、そこに"A-SketchかHIP LAND MUSICのどちらかの目にとまる"という目標があったんです。

-へえ! まさしくそれが形になったのがMASH A&Rですね。

山中:HIP LANDの社長のインタビューを読んでいい会社やなと思ってたし、サカナクションみたいな音楽が世の中に広く知れ渡る空間を作れてることもすごいと思って。A-Sketchは(所属アーティストの)PVがどれも大好きで。PVからもめっちゃアーティストのことを理解してることがわかるし、アーティストに寄り添ってるなと思ってて。僕らは自分たちで全部スケジュールを立てて活動してきたから"僕たちの意見もちゃんと聞いてくれてしっかりと話し合えるところがいいな"と、漠然とA-SketchかHIP LANDの目にとまったらいいなと思ってたんです。それでいろんなオーディションを調べて応募してを繰り返してたら(MASH A&Rを見つけて)"え!?"って(笑)。これしかない!と。

-描いていた夢が現実になるなんて運命的です。そしてめでたくグランプリを獲得して、バンドとしての意識の変化などはあったのでしょうか?

山中:意識が変わったのはオーディション以降というかその前かな? 僕が入院するまではバンドのスタイルもふらふらしてて、自分自身が何をしたいのかわからんくて、迷ってて。それで僕は入院してたときに自分がどういう人間かをめっちゃ考えたりしてて......。いろんなことを乗り越えたからかもしれないですけど、そこで各々の意識や人間性がはっきりした。オーディションのときには絶対負ける気がしない、どこから出てくるかわからない自信がみんな強くあって。だからライヴも"会場も巻き込んでやるぞ"という想いもめっちゃ増して、モチベーションも変わって。そこからはずっと同じ考えでやっています。

鈴木:"このときにはライヴできるやろ"と思ってても、全然(山中が病院から)出て来ぉへんかって。"このくらいにはライヴできるかな? ああ、まだなんや"がずっと続いて。やっと9月に出てきて"やっとライヴができる!"と思ったらドラムが抜けて......ずっとフラストレーションで。それでマサやんと9月の末から一緒にやりはじめて、10月からライヴでも叩いてくれて、12月にそのオーディションがあって......その2ヶ月くらいはライヴのフラストレーションがいい形で出ていってたと思うんですよね。丁度。今までライヴができることが当たり前みたいになってたのが、ステージに立てることがすごいことなんだというのに改めて気付けて。ライヴに対して真剣に向かえるようになりましたね。