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INTERVIEW

Japanese

hotal light hill's band

2014年06月号掲載

hotal light hill's band

Member:藤田竜史 (Vo/Gt) 村上友香 (Vo/AG) 小野田尚史 (Dr)

Interviewer:奥村 小雪

-そのカフェとのコラボ・スイーツとして"ホタパフェ"があるというのをオフィシャル・サイトで拝見しました。

藤田:そのカフェでライヴもやってるんです。あと友香は料理をやっているので、それでオリジナルのバンドのパフェを作ってお客さんに食べてもらったりだとか。色々やってますね。パフェ作ってお客さんに食べてもらうバンドは他にはいないんじゃないかな(笑)。

-プロフィールに、心のふるさと"蛍が丘"から小さなラヴ&ピースを唄う――とありましたが、この"蛍が丘"というのは実在する場所なんですか?

藤田:空想ですね。僕たちが最初に作ったオリジナル曲の名前なんです。その時はまだhotal light hill's bandじゃなくて"ネロ"っていうバンド名で活動していて。それで「蛍が丘」っていう曲を作って、そこから今のバンド名になったという。

-バンド名を名付けたのはandymoriの小山田壮平(Vo/Gt)さんとのことですが、これにはどういった経緯があったのでしょうか?

藤田:僕が東京でライヴをし始めたのが17歳くらいのときで、その時1番最初に対バンしたのが彼のバンドなんです。そこからずっと仲が良くて今でも友達ですね。何かしらキー・ポイントの時にいつも会って、話をしたり曲を一緒に作ったりしてて。彼に"ネロって言葉には暴君っていう意味があるから良くない""ハバネロとか辛いから、歌のイメージに合わない"って言われて。僕はフランダースの犬をイメージしてつけたんですけど、世の中的にはちょっと暴君のイメージが強いから変えようって話になって。"「蛍が丘」っていう曲がすごく良いから、その曲からバンド名をつけたらいいんじゃない?"って言われて、その通りだなって思ったので。蛍が丘=hotal hill's bandっていうのはちょっと微妙なんで、hotal light hill's bandにしようってなって。

-バンド名って大事ですもんね。

藤田:そうですね。バンド名がすべてだなってその時思いました。お店の看板と一緒なので、何を売ってるのかとか、何を言いたいんだろうとかが表れると思います。hotal light hill's bandっていう名前でよかったなって思いますね。

-皆さんが音楽を始めたのはいつ頃からですか?

友香:私は10代の頃に柏の路上でやり始めたのが最初です。アコギを始めて、友達と2人で路上ライヴを始めました。Something ELseとかそうゆう系の音楽が好きで、そのコピーとかをずっとやってました。

藤田:僕は楽器を始めたのはたぶん5歳くらいかな。父親がすごいTHE BEATLESを好きなので、僕にピアノをやらせたがったんですよね。THE BEATLESをずっと練習してました。で、途中でサッカーに浮気して(笑)、音楽を全くやらなくなるんですけど、中学のときにゆずがめちゃくちゃ流行って。そこで僕も中1になってからアコースティック・ギターを買って、また音楽に触れるようになって。

小野田:僕は高2の終わり頃にクラスで"バンドやろうぜ!"みたいなノリになって。ちょうどバンド・ブームというか、GLAYとかL'Arc-en-Cielとかがすごい流行っていた時期だったんです。みんなが"俺ベースやる!ヴォーカルやる!"ってなったときに、残ったのがドラムだったので、その時に始めたのがきっかけですね。自分的にも指は太いしギターはできないなと思って、歌いたいけどすごい音痴だから歌は無理だなって。

-他のお2人のことも分かれば教えて下さい。

藤田:僕、徳田君のことは何でも分かるんですよ(笑)。高校1年生の時から一緒だったんで。徳田君は、中学2年生のときにGUNS N' ROSESのビデオをサッカー部の先輩から借りたんですよ。それがきっかけでハード・ロックにはまって、ギターを始めて。僕は高校1年のときに軽音楽部に入ったんですけど、その時に徳田君はすでにエレキ・ギターをめちゃくちゃ弾けたんですよ。僕はアコースティック・ギターしか弾けなかったんですけど、軽音楽部に入ったら"LUNA SEAのコピバンやろう"って言われて(笑)。LUNA SEAって何?みたいな(笑)。徳田君はLUNA SEAが大好きで、1人だけめちゃくちゃ上手くて。僕は全然何もできなかったんですけど、どんどんLUNA SEAに汚染されてって(笑)。

-汚染って(笑)。

藤田:いや、今でも本当に好きなんですけど、もうまんまとハマッてしまいました。高校3年間は本当にLUNA SEAに捧げたくらい。

-LUNA SEA好きなバンドマンの方って結構多いですよね。

藤田:LUNA SEAが好きな人は本当にセンスがいいって思ってます(笑)。LUNA SEAって今聴いても純粋にかっこいいんですよ。音もすごい太いし、すごいシンプルなことをやっていて、高校生からでもすごいコピーしやすいんですけど、その裏には構築された世界があって。だからLUNA SEAを好きって言う人は間違いないと思っていて、バンドのセンスがいいっていう持論があります。(友香に向かって)小倉君はどうだった?

友香:小倉君は、もともと吹奏楽部で......。

小野田:何やってたんだっけ?コントラバス?でもベースをずっとやってたみたいなこと言ってたよね?ウッド・ベースも弾けるし......小倉君は謎(笑)。

-友香さんと小倉さんは同じバンドをやってらしたんですよね?

友香:そうですね。専門学校が一緒で、その流れでポップな感じのバンドを組んでました。

-hotal light hill's bandの作詞作曲の多くは藤田さんが手掛けてらっしゃいますよね。初めて作詞作曲したのはいつなんですか?

藤田:初めて作詞作曲をやったのは、小6のときかな。「観覧車」っていう曲を作りました。インストで。