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INTERVIEW

Japanese

小南泰葉

2014年03月号掲載

小南泰葉

Interviewer:天野 史彬

-ただ、今回資料に"感情を殺している人たちの思いを解放させたい"って書いてありますけど、今の世の中って、SNSなんかの影響で、ある意味、みんな好き放題感情を垂れ流している状況でもあると思うんですよ。その点についてはどう思いますか?

ネットではほんと、お前こんだけ言えんのに、面と向かったらこんなに穏やかで......"ブログであんなに毒吐いてたやないの!"っていう人が多いなと思っていて。結局出会った時には本音はまったく喋らず、上っ面だけで対応しちゃうから "なんだよ、この二重人格!"って凄く思うんですね。それに対しても凄く疑問だし、SNSの使い方が、自分目立ちたい、アピールしたい、みたいな......おかしくなってきてるというか。まぁ、"馬鹿だなぁ"って思いながら見てたらいいんですけど、それに踊らされちゃうのも本当だし。相手が見えないからこそ、日々のストレスかなんか知らないですけど、結構キツいことを言ってくるんですよ。(ネット上での)メッセージならなんでも言えるんですよね。"ちげーだろ!ライヴに来て暴れろよ。その感情出せよ!"って思ってます。

-じゃあ、あくまでも直接的な、面と向かってのコミュニケーションにこそ、小南さんは価値を見出してるんですね。

そうですね。一緒に笑って一緒に泣いて一緒に怒りたいんです。

-そんな思いの表れなのか、今回、サウンド面も凄く生々しいですよね。4曲それぞれが違った音楽的方向性を持ってる曲だけど、すべて体温を感じるというか、凄くダイレクトに伝わってくる音作りをしているなって思ったんです。これは意識されてましたか?

うーん......音作りに関しては、『キメラ』も『怒怒哀楽』も作ってる人は同じなので、その都度その都度爆発しながらやってきたんですけど、ただヴォーカルは、血管切れるぐらい叫び続けたというか。絶対これピーク・オーヴァーしてますよね。マイクが悲鳴上げてます、みたいなテイクでそのまま行ったり。声も情感任せに、感情を出そうと思ったので。もう、怒りの曲はぶち切れながら歌いました。

-確かに、ヴォーカルの振り切れ具来も凄いですよね。あと、今回はボーナス・トラックとして「水子ペテン師」という曲と「美少女戦士カメレオン」という曲のデモ・ヴァージョンも収録されていて、この2曲には"恥"という感情が付記されてますよね。この2曲に"恥"とつけたのは?

私の曲って、大概は怒ってたり哀しんでたりするんですけど、(発表していない曲含めた)たくさんのデモを聴き返していると、"恥"の曲もめちゃくちゃあるんですよ。むしろ半分くらい"恥"なんですけど。今まではそういう部分を全然出してなくて。「人肉饅頭」って曲があったり、「メス豚君はミキ」って曲があったり、「プテラノドンの炙り」って曲があったり......小南泰葉としては、これ絶対に出せないですっていう曲がめちゃくちゃあるんですね。なので分類すると、"怒"、"哀"、"楽"、"恥"なんです。だけど今回は、"小南の曲でそういうジャンルがあるんだったら、入れてもいいよ"っていう話になって。この2曲はすっごい昔の曲なんですけど、今後、日の目を見ることのないかわいそうな曲たちもちょっと救い出してあげようと思って入れました。

-『キメラ』までの小南さんの音楽って、小南さん自身と世界とがぶつかり合って摩擦していく、その中から生まれてくるものだったと思うんです。で、今回もそれは変わらないんだけど、ただ今回は、"今、この時代に生きている人たち"に向けられた曲が並んでるなって僕は思ってて。"恥"も含めて、今こうやって怒りや悲しみ、楽しみの感情を曝け出しながら歌ってくれる人がいるのは、凄く世の中に対して優しいことだし、救いになることだと思うんです。今、小南さんの中には自分の音楽で人を"救いたい"っていう思いはどのくらいありますか?

そうですね......1番最初に歌を始めた時は、自分のために歌っていて。自分が自分の音楽に救われたところから始まって......。そこから、自分の曲なのに、人も同じこと考えてるんだって思ったり、自分の言葉が人に刺さった瞬間とかがあって。この人にはこういう過去があるから、そこでクロスしてダブっちゃったんだって気づいたり、そういうのをたくさんたくさん経験したんです。自分は引き篭もってて、死にたくてたまらなかった時に曲を作って、やっと家を出ることができて、音楽活動をすることができたけど......でも、インターネットばっかりやってて、外に全然出てなくて、不健康に屋根の下で暮らしている人はたくさんいるだろうし。そういうのを見るたびに、私がその人の部屋の前にごはんを置いて、コンコンって扉をノックしてあげれたらいいなってずっと思ってきて。そういう思いはもう、ライヴでみんなから貰うお手紙の中にも凄く散りばめられていて。ほんとに、"小南の音楽に救われて生きてます"っていう、その言葉だけをガソリンにして生きてたので、そういうのを凄くたくさんたくさん吸収した後に、"ちょっと一緒に手を挙げてみない?"ってところまで、今来て。もっと一緒に恥ずかしいことをやりたいというか。......どんどん自分も変わってきてるんだと思います。完全なる生き辛さを感じている人たちに「やさしい嘘」を届けたいっていうのが前回(『キメラ』)までだったけど、次は、もう少し先に行きたいというか。扉の前にごはんを置くまでが前回だったけど、今度はその閉じられた扉の鍵をこじ開けたい、もっと踏み込みたい。なので、みんなに "オープン・セサミ"が効くといいんですけど。