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LIVE REPORT

Japanese

小南泰葉

2014.04.01 @渋谷clubasia

Writer 天野 史彬

人間の感情そのものを歌い、鳴らし、その爆発を表現すること――小南泰葉が新作EP『怒怒哀楽』で試みたこのコンセプトは、つまるところ"人生賛歌"としての小南の音楽の覚醒を意味していた。"怒"、"哀"、"楽"、それに"恥"を加えた4つの感情を赤裸々に、ダイレクトに歌うこと。そして、その音楽がリスナーに届いた時、そこにある繋がりの中にこそ、抜け落ちていた"喜"の感情を見出すこと。『怒怒哀楽』に込められたこれらの想いは、正しさも間違いも、光も影も、人間の感情の中にあるすべてを受け入れ、愛し、放とうという、デビュー当時から一貫して彼女が追い求め続けている命題に対するひとつの回答だと言える。だからこそこの作品は、それまでのキャリアの集大成的作品だった1stフル・アルバム『キメラ』を経て、またここから新たに歩み出していく"第2期・小南泰葉"の始まりをも告げていた。

そんな、彼女のキャリアにおいてもリスナーにとっても祝福すべき作品となった『怒怒哀楽』のレコ発ワンマン「"怒怒哀楽"劇」が、渋谷clubasiaにて行われた。開演時間、客電が落ち、小南の登場かと思いきや......まず出てきたのは"タコ"だった。タコ? そう、タコ。当日会場に来れなかった人たちには意味不明かもしれないが、ライヴは元劇団四季のベテラン俳優・下村尊則が出演・プロデュースした劇「リトルマーメイド」をフィーチャーし、ライヴの最初と最後に挿入するというアクロバティックな演出が施されていたのだ。しかしながら、突然、ゴージャスな"タコ"姿(役名は海の魔女"アースラ")で現れた下村尊則の、美声を轟かせる迫真の演技には、かなりあっけに取られた(正直、あまりに突然のことであっけに取られ過ぎて、舞台上で何が行われているのか、理解するのに時間がかかった......)。

「リトルマーメイド」がイントロダクション的な部分のみで一旦終わり、小南が舞台上に現れた。直前まで舞台上を占拠していたど派手なタコとは打って変わり、飾り気なしの、凛とした佇まいで舞台中央に立つ小南。ピンと張り詰めた空気が会場を覆う。序盤はアコースティック・セットで幕開け。アコースティック・ギターと、ピアノと、歌。シンプル極まりない編成であるにもかかわらず、そこには確かに"静かな爆発"のようなものがあった。小南泰葉というたったひとりの人間の、その小柄な身体の内側から止め処なく溢れるように湧き上がる歌と、音と、感情。聴き手一人ひとりがそんな小南の鳴らし歌う1音1音に抱きしめられ、溺れていくような、深く温かい空気がフロアを支配する。冒頭を飾った静謐な美しさのある「カラスの兎」、刺々しいメッセージ性を放ちながらも楽しげで表情豊かな「パロディス」、まるで耳と心臓を一度にガツッと殴られたかのような、ゴツゴツとした手触りのアコギの音色が力強く響いた「美少女戦士カメレオン」、可愛らしく優しげな癒しを伴っていた「キャットダイバー」、そしてアルバム『キメラ』の、ひいては小南の表現の"核"とも言える名曲「やさしい嘘」......などなど、曲調もメッセージ性も様々ながら、そのすべてを最小の編成で色彩豊かに表現してしまう、小南の多面な表現力の凄まじさたるや! 豪勢な飾りも、大仰な舞台装置もいらない。やっぱり、"人"なのだ。人間が本気でその内側にあるものを曝け出せば、ありとあらゆる音も言葉も色も風景も表現できてしまうのだと痛感させられるような、そんな本質だけで形作られたような生々しいステージ。なぜ、小南はこれほどの表現力を持ちえるのか。それはきっと、彼女が人間の内側から溢れてくるあらゆるすべての感情の可能性を信じ、愛しているからだろう。小南には怒りも悲しみも楽しみも、綺麗なものも汚れたものも、自分の内側にあるそのすべてを表現するに足る理由と確信があるのだ。

序盤のアコースティック・セットの後、バンド・セットのステージに突入。「嘘憑きとサルヴァドール」から、ヒリヒリと切り裂くような轟音が響き渡る。高いプレイヤビリティを誇るバンドが繰り出すグルーヴィかつメロディアスな音塊の中心に立ち、自らもギターをかきむしり、叫ぶように歌う小南は、繰り返し"渋谷ー!!"とフロアに呼びかけ、携帯で"3355411"と打てば"死にたい"になるが、それを二乗すれば"生きたい"になるという都市伝説から生まれた『怒怒哀楽』のリード・トラック「3355411」の演奏前には、"死にたいを生きたいに変えたい"と語る。続く「足枷」の"ハローハローハロー"のコーラスではフロアにも声を上げるよう呼びかけ、「Soupy World」も大合唱。オーディエンスとの一体感を貪欲に求めていく小南の姿がそこにはあった。そして、一緒に拳を掲げ、声を張り上げて歌うオーディエンスの、その一人ひとりの表情を確かめるようにステージに前方に乗り出し、フロアを眺める小南のなんとも嬉しそうな表情といったら! もう本当に本当に幸せそうで。筆者がこの日のライヴで何よりも印象に残っているのは、そんな小南の笑顔だった。先にも書いたが、EP『怒怒哀楽』において本来"喜怒哀楽"であるはずのそこから"喜"の感情が敢えて抜き取られたのは、音楽をオーディエンスに届け、わかち合うことにこそ"喜び"は見出せるのだという小南の想いがあったからだ。喜びは自分ひとりの中にではなく、他者との関わり合いの中にこそ見出される――誰よりも孤独がもたらす痛みを音楽に込めてきた小南だからこそ、この結論に辿り着くのは必然だったのかもしれない。孤独な心と心がぶつかり合う、それこそがコミュニケーションであり、人と人が生み出すことのできる喜びなのだ。『怒怒哀楽』リリース時のインタビューで小南は、自身の音楽を"人生賛歌"だと語った。なぜ、生きることの哀しみを歌い、負った傷の痛みを歌い、滴る血の苦さを歌い続ける彼女の歌が人生賛歌になり得るのか。この日、小南とオーディエンスとの間に生まれた熱狂にこそ、その答えはあったと思う。フロアとステージが一体となった狂騒状態の中、小南の歌からは、喜びや楽しみだけの一面的なものではなく、怒りも哀しみも、傷も痛みも孤独も、そのすべてに対する祝福と祈りが降り注いでいるようだった。

もちろんアグレッシヴな楽曲だけでなく、「Trash」や「終わりなき炎症」といったメロディアスなロック・バラードも披露。そこにある力強く真っ直ぐな歌とメロディに心を掴まれる。そして、この日は新曲も披露! タイトルは「蜘蛛の糸」。これがまたアッパーな楽曲で、途中の高速掛け合いが難しくも楽しい1曲。今後ライヴの中で定番になっていきそうな曲だ。ラストは「視聴覚教室」、「パンを齧った美少女」、「世界同時多発ラブ仮病捏造バラード不法投棄」を立て続けに演奏して終了。最後までアグレッシヴに、陽性のフィーリングを感じさせるステージングで駆け抜けた。『キメラ』のツアーと『怒怒哀楽』の制作を経て、小南の音楽にはかつての何倍もの熱量が生まれたことを強く実感させられる、まさに新たなフェーズに突入した小南泰葉を強く実感できるライヴだった。

......そして忘れてはいけないのが、「リトルマーメイド」劇の後半。ライヴのアンコールはなかったが、劇の続きはしっかり披露された。ライヴ終了後、再び舞台上に現れた下村尊則演じる魔女アースラ。そして衣装チェンジした小南も人魚役として登場。小南演じる人魚は、人間の王子に恋をする。そして、魔女アースラに契約を迫られる。3日間、人魚を人間に変える魔法をかけてやる代わりに、彼女の声を捧げろと。そして、3日間で王子と結ばれることができなければ、その身すらアースラに捧げなくてはならないと。結果、契約を交わし人間へと生まれ変わった人魚は、この先どうなるのか。王子と結ばれるのか、それとも......というところで、劇は終わり。"え、これで終わり!?"と戸惑いの雰囲気が会場を覆ったが、この物語の続きはどうなるのだろうか。6月の東名阪ツアーで明らかになる......のだろうか? もしかしたら、この物語には、小南流のオリジナルな結末が待っているのかもしれない。その美しい歌声を守りたければ人間となることを諦めなければならないし、人へと生まれ変わり恋を実らせたければ、声を失わなければならない――これは、人魚でなく小南自身の表現者としての存在意義にも直接的にリンクしてくる問題なのかもしれない。とにかく、次の彼女のアクションに期待が高まるばかりだ。

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