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INTERVIEW

Japanese

LUNKHEAD

2013年09月号掲載

LUNKHEAD

Member:小高 芳太朗(Vo/Gt) 山下 壮(Gt) 合田 悟(Ba) 桜井 雄一(Dr)

Interviewer:沖 さやこ


-わたしもこれまでの人生で大事な人を何人か亡くしていて。どんな声をしていたかも少しずつ忘れていく自分もいて。そんな自分に罪悪感を抱いたりもするんですが、『メメントモリ』はそれを肯定も否定もせず、しっかり寄り添ってくれるような気がしたんですよね。皆さんもボビーさんがお亡くなりになっておつらかったと思いますが。

小高:俺はあんまりつらくはないんすよねぇ。

-え、本当ですか!?

小高:……ボビーは死んだことすらネタに出来るというかね。悲しいというか迷惑だなとは思いますけど。“このクソ忙しいときに何死んどんねん!”みたいな。……まあ、死んでも悲しくならないくらいのものを残してくれたと思います。いまだにネタに尽きないですから。

合田:不思議な感じなんですけどね。飲んでる時にボビーの話になるとケタケタケターって笑って、絶対湿っぽくならないんです。それは彼のすごさなんですけどね。

小高:すごいよね!? なかなかないですよあんな人。

山下:骨まで拾ったのになぁ。

-お亡くなりになってはいるけれど、生きてるような感じなんですね。

山下:やっぱ、そういう男やったんですよね。勿論死んでほしくはなかったですけど。

-もともとLUNKHEADは生きていることを歌っているバンドだと思っていたんですけど、今作を聴いて“いつか死ぬということを忘れない”というメメントモリの思想は、そのまま生きていくことに繋がっていくんだなと感じて。

小高:今までは、生と死を別のものとして歌ってきた気がするんです。でもそれがこの1年で繋がっているんだなと思うようになって。ボビーは死んだというか突然いなくなった感覚なんで。多分本人もなんの準備もしてなかったし。故人の意識がなくなったとしても、俺らの中ではボビーは生きていて。それまでそういうのはメルヘンチックな表現やと思ったんですけど、そうじゃなくて物理的に実際自分らの中で生きてんだなっていう感覚があって。魂というのはひとりのものじゃなくて繋がり合ってて、ちょっとずつみんなに分け与えてて、その共有し合った魂は生き残っていくんだなと思ったんです。で、逆に、すげえ大事な人が死んだときに、その人と共有してた自分の魂も死んじゃって。誰か大事な人を亡くしたときに自分の中のどこかがちょっとずつ死んでいくんだな……と。生きることは死に続けることでもあるのかなと思って。ちょっとずつ自分の中の何かが死んでいっても、それでも生きていかなきゃいけない……というのが、今までとちょっと違うのかな。だから、生き残った人に対しての言葉になったのかなと思います。

-その“メメントモリ”は歌詞でなく音の面も?

小高:いや、音の面はとにかくハッスルハッスルー! 俺はかなりデモの段階でかなりしっかり曲の構成を作っちゃうんですよね。バンドをずっと続けていくようになるとマンネリしたり、それでやり切ったーって解散するバンドもいるじゃないですか。でもこのバンドは逆で。俺はこのバンドだから、このメンバーだから(音楽やバンドを)やれてるのかなと思うんですよ。たとえばかっちりデモ作ったら、普通だったらそれを演奏されるかもしれないじゃないですか。でも全員想像を絶することをやってくるんで、自分でイメージを作り上げてから“俺の想像を裏切っちゃってよ!?”的な無茶ぶりが出来るんですよ。マンネリ皆無。

山下:ま、年々無茶ぶりがひどくなるという(笑)。“ばーって感じ”とか“だーって感じ”とか。“スッゴイのお願いね”とか。

小高:“ポップでキャッチーでクレイジーなやつ!”とか、そんな無茶ぶりは他の人には絶対言えん(笑)。桜井さんが“ここどうしようかなー”とか言ってたら俺が“オラオラな感じじゃないっすかね?”と言って、そしたら桜井さんが“あなたイケイケかオラオラしか言わないじゃないっすかぁぁぁ!!”

一同:(爆笑)

合田:基本的に最初は歌詞がないので、デモの雰囲気を汲み取るわけですよ。でものちにどういう歌詞が乗るのか分からないから、風景が見づらいこともあってちょっと迷ったりするんですよね。だから歌詞があるほうが絶対やり易いんです。でも今回は歌詞の内容がこんな感じなので、最初から歌詞があるとそっちに引っ張られたかもしれない。だから逆に面白いアルバムだなと思います。