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INTERVIEW

Japanese

BUDDY TANDEN

2018年07月号掲載

BUDDY TANDEN

Member:遠井地下道(Vo/Ba) 食パン(Dr)

Interviewer:加藤 智裕

ex-イギリス人の遠井地下道率いるパンク・バンド、BUDDY TANDENが初の全国流通アルバム『CHOU SUUPAA GUDDO MOONINGU MASUTAA』(通称:ちょすぱ)をリリースする。今作は、クラウドファンディングを見事成功させてのリリースとなり、このインタビュー含め、彼らが大事にする"繋がり"が形になった作品となっている。フロントマン、遠井地下道の人となりが溢れた今作について話を訊いた。

-2ndアルバム『CHOU SUUPAA GUDDO MOONINGU MASUTAA』の完成、おめでとうございます。まずは、Skream!初登場ということでバンドのことをうかがっていけたらと思います。2016年12月25日にBUDDY TANDEN誕生ということですが、どういった経緯で結成をされたのでしょうか?

遠井:新宿の居酒屋でオリジナル・メンバーが集まって、"ちょっと、やってみようか"みたいな感じで。まぁタイミングかな、すべて。

-もともと知り合いだったんですか?

遠井:そう。元ベースのゴキミ。はヴィジュアル系のグルグル映畫館やメトロノームのシャラク(Vo)さんと一緒に3ピース・パンク・バンド(GalapagosS)をやったりしていて。彼とは10年来の付き合いで、一緒にツアーも回ったりしていたんだけど、そのときのバンドが解散するとなって"バンドやめようかな"って言っていて。"やめるなんて言うなよ。じゃあオレとやる?"って話して。まずはここがある意味種というか、そこで自分ヴォーカルのバンドをやろうかなってなって。

-それまで遠井さんがヴォーカルのバンドはなかったんですか?

遠井:あった! 10年ぐらい前に、2~3年間で10個ぐらいバンドを作って、全部潰れた(笑)。1回で解散とか、ライヴせずに解散とか、だいたい喧嘩して解散みたいな。で、バンド向いてないなと思って、"バンドやーめた"って弾き語りを2年ぐらいしているときに、前のバンド(イギリス人)と対バンして、その打ち上げで"加入して!"って言われて"オッケー!"って(笑)。"はい、今決まりましたー"ってひと笑いとって。そのあと、スタジオ練習があるときに、"これ本当に行ったら面白いかなー"って思って。それでこっちも本気にしていなかったし、たぶん向こうも本気にしていなかったから、勝手に行って"おはよう"って入っていったら、すごく驚いていて。なんも曲わからないけど"何からやる?"みたいな(笑)。そこからイギリス人に入って紆余曲折あって8年ぐらいやり、最後の方はわりと中心で活動してた。ほとんどの窓口とか、2012年から新宿LOFTで1週間深夜に行っているフリー・フェス([イギリス人presents 前代未聞の新宿LOFT一週間ブチ抜きフリーフェス "私をロフトに連れてって"])があるんだけど、自分がいた最後の2年ぐらいは、出演する全60バンドぐらいをオレがブッキングしてたし(笑)。全バンドの紹介、司会もやって、タイムテーブルも全部決めて、デザイナーとも打ち合わせして、とほとんどやってたから、そのへんの界隈では、オレがヴォーカルをやっていて、リーダーとして動かしているって勘違いしている人も結構いて。でも実はヴォーカルでもリーダーでもないし、歌も書いてないし、あとから入ったメンバーだし(笑)。肩身の狭い思いをしてたのね。誤解される気まずさっていうのはあった。だから変な話、もうちょっと堂々とやりたいっていうのはあったかな。

-遠井さんがちゃんと表に立って、自分がやっているんだよっていうのを見せたいというか。

遠井:"オレすげぇだろ"ってのを見せたいってのはないけど、やったぶんだけちゃんと堂々と喜べる、メンバーともちゃんと分かち合えるバンドをやりたいってのは信念的に芽生え始めていたから。BUDDY TANDENは、オレが作詞作曲をして活動を回しているから、"いい"って言われれば"そうだろ!"って胸張って喜べるし、ライヴを褒められてもメンバーに直接言えるしで、そういう透明性の高いバンド活動を今はできてる。

-今は楽しいと。

遠井:うん。超しんどいけど(笑)。まぁ自営スタイルはなんでもそうだよね。町の八百屋さんみたいなもん(笑)。

-そのあと、2017年末に食パンさんが加入されたということですが、当時から食パンという名前だったのですか?

食パン:最初は本名(平野颯一朗)でした。

遠井:そのあと一瞬、"パンチ平野"に(笑)。"アフロにして"って言ったんだけど、そしたらパンチパーマで帰ってきて(笑)。

食パン:アフロ専門店に行ってきたんですけど、それでスタジオに行ったら"パンチじゃねぇかよ"って笑われるっていう。

遠井:たしか清志郎(忌野清志郎)さんがマネージャーに、言い方は忘れちゃったけど"髪型アフロに変えてこい"って言ったっていうのを雑誌で読んだことがあって、面白いなぁって思って。

食パン:そうなんですか!? なんか居酒屋で"お前、暗いからアフロにしてこいよ"って言われて、ちょっとムカついてました(笑)。

遠井:身近な人間を良くしていくというね。無茶ぶりもあるけど。

-食パンさんは遠井さんとはどういう繋がりがあったのですか?

食パン:全然、知り合いとかじゃなかったんです。先輩の福井コウダイ(ドカンズ/Vo/Gt)さんが紹介してくれて。そのとき僕は何もバンドをやっていなかったんです。

-ちょうどドラムを探していたタイミングだったんですか?

遠井:それが、当時のドラム(大川大納言)から急に、"ライヴ参加をできない"と言われて。仕事が忙しいと。でもオレはそれをシカトしてどんどんライヴを入れていってたんだけどね(笑)。でも、だんだん"じゃあ、もういいや"ってなっていたときに食パンと出会って。