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INTERVIEW

Japanese

LEGO BIG MORL

LEGO BIG MORL

Member:カナタタケヒロ(Vo/Gt) タナカヒロキ(Gt) ヤマモトシンタロウ(Ba)

Interviewer:秦 理絵

LEGO BIG MORLが、バンド結成15周年イヤーに突入した3月28日に配信シングル「潔癖症」をリリースした。BPM210の高速ビートに'80sなエッセンスを取り入れたトラックに、清廉潔癖が求められる社会の風潮に対するアンチテーゼとも取れる歌詞を乗せたナンバー。そこにいるのは15周年というタイミングで、バンドの衝動と進化を両軸で体現する攻めのLEGO BIG MORLだ。今までの自分らしさを脱ぎ捨てることで新しく生まれる刺激を心から楽しんでいる。以下のテキストでは、バンドの歩みを3つのタームに分けてその歴史を振り返りつつ、現在のLEGO BIG MORLの強さを作り上げたものはなんなのかを探った。

-バンドを組んだときに15年間続くことって想像できていましたか?

ヒロキ:逆にそのときのほうが想像できてたかもしれないですね。何もわからないので。バンドをやるって決めたら、一生食えるんやろうなっていう根拠のない自信があったんですよ。無知と若さですよね。今思えば、そんなに簡単じゃなかったですけど。

シンタロウ:僕は2年後ぐらいまでしか思い浮かべられてなかったです。今も憧れている先輩バンドの背中を見てたので、そういう人が出てるフェスに出たいとか、ゆくゆくはフル・アルバムも出したいねって、ちょっと先の未来しか考えてなかったですね。

-それが気つけば、15年間でフル・アルバムを7枚も出してますからね。

カナタ:そうやねんな。それだけはすごいなと思います。こんなにアルバムを作れるようになるとは想像できてなかったけど。俺は、前にいたベースが抜けたあと、シンタロウが入ったときに、今後のバンド生活が見えたんですよね。

-ここから何かが始まっていきそうだというような?

カナタ:シンタロウが弾いてくるベースのラインで音楽が豊かになったし、それぞれの持ち味を発揮できるバンドになっていくんじゃないかなと思いましたね。

-改めて自分たちの15年間はどんな時間だったと思いますか?

カナタ:修行ですね。"いつまで経っても納得できへんな"っていう気持ちはずっとあるんですよ。

ヒロキ:親不孝な15年間でしたね(笑)。親だけじゃなく、"かっこいいね"って言ってくれる友達、先輩に対して恩返しをできてない状態というか。それは決してネガティヴな話をしたいわけじゃなくて。昔は豪邸を立てて、オンナを抱いて、みたいなバンドドリームを描いてたけど。だんだん現実的になれた15年なんです。地に足をつけられるようになった。ふわふわしてたとこから、背伸びぐらいになって、2019年に個人事務所を設立したことで、かかともつけられるようになったんじゃないかなと思います。

-シンタロウさんはどうですか?

シンタロウ:15周年って、正直そんなに大層なものじゃない気がするんですよね。ただ、転職せずに15年やれたんだなっていうのは思います。うまくいってたことばっかりじゃなかったし、良くないことも多かったけど、定期的に"何クソ"って思いながら続けてきたので。"これ1本で15年やってます"ぐらいの気持ちですかね。

-私なんかは何度か転職したほうのタイプなので、15年間ひとつの場所でやり続ける人は尊敬するし、もっと誇ってもいいのにと思いますけどね。

カナタ:どちらも勇気がいりますよね。続けることもやめることも。

-では、ここからはバンドの歴史をざっくり3つのブロックに分けて振り返ってみたいと思います。まずは2006年の結成から2012年ぐらいまで。注目新人としてメジャー・デビューを果たして、バンドの規模感が大きくなっていく時期です。

ヒロキ:絶頂と地獄があった時期だと思いますね。

-というと?

ヒロキ:華々しくデビューさせてもらったけど、結局、ミュージシャンには結果が必要なんだっていうのをだんだんわかってきて。制作のつらさがあったんですよ。

-過去のインタビューでは、この頃に作った『Mother ship』(2010年リリースの2ndフル・アルバム)とか『Re:Union』(2011年リリースの3rdアルバム)は、かなりプレッシャーがあったというような話をされてました。

ヒロキ:周りからというよりは、自分たちで勝手に感じてたプレッシャーですよね。1作目(2009年リリースの1stフル・アルバム『Quartette Parade』)はインディーズからの初期衝動で作れたんですけど、そのガソリンがスッカラカンになって、新しい環境で0から作っていくなかで、自分の身の丈を知ったんです。

シンタロウ:初めて"いい曲ってなんやろう?"っていうことを考え始めたんですよ。それまではライヴハウスで好きなようにやってたけど、新しく聴いてくれる人が増えていくなかで、自分たちが思ってるだけじゃないかっこ良さを考えたりもして。

-当時、小林武史さん(『Mother ship』)、レミオロメンの前田啓介(Ba)さん(『Re:Union』)っていうプロデューサーを迎えたことで、より歌の訴え掛ける力が増した、広がりのある曲にもアプローチできたことは、意味もあることだったのかなと思いますが。

カナタ:小林さん、前田さんに絞られた時期でしたからね(笑)。小林さんは、俺の中で"音楽の父"的な存在なんですけど......。

ヒロキ:バッハやんな、それ(笑)。

シンタロウ:あえて突っ込まなかったわ(笑)。

カナタ:そんな感じの人なので(笑)、すごく尊敬してたんです。だから、『Mother ship』で一緒に音楽制作をやらせてもらえたことで、こんなにも自分たちの曲が華やかになるんだっていう衝撃は大きかった。ただ、インディーズでは自分たちが納得できるものを自由に作ってたけど、初めての本格的なレコーディングだったから、自分たちの力のなさを痛感して、"こんなもんだっけ? 俺"って、だいぶ凹みましたね。

-変なたとえですけど、中学でトップの成績だったけど、高校に入学したら同じレベルの人ばっかりで挫折を知る、みたいな。

カナタ:そうそう(笑)。プロの世界とはこういうことか、みたいなことを味わいつつ、自分たちのスキルアップの時期やったかと思います。

-では、ふたつ目のブロックは2013年から2016年までの話を聞かせてください。ヒロキさんが事故で負傷してしまい、一時ライヴ活動ができなくなったけど、新しい曲作りのやり方を摸索する時期でした。よく止まらずに進み続けましたよね。

シンタロウ:結果論ですけど、それしか方法がなかったんです。事故の次の日がライヴやったんですけど、そのときに、小林さんとか事務所の人がたくさん来てくれて、"お前らはこれをドラマにしろ"って言われたんです。"ドラマにしろ"なんて言うと、ゲスく聞こえるかもしれないけど、"あいつが戻ってきたときに返り咲けるように曲を作れ"とか、"バンドを再構築しろ"っていうことを前向きに言ってくれて。それが大きかったんですね。それまで曲作りはキンタ(カナタ)に任せてたけど、自分もデモを作るようになって、そこでミュージシャンとして自信がついたんです。

ヒロキ:上から目線で言うわけじゃないけど、この時期はシンタロウさんの覚醒期ですよ。

カナタ:うん、たしかに。

ヒロキ:めっちゃ簡単に言うと、今まで会議でも静かにしてたタイプだったのに、急に意見を言うようになったみたいな。

シンタロウ:そういえば、その頃、"お前リーダーやれ"って言われたんですよ。それまでリーダーはいなかったんですけど。

ヒロキ:それは事故る前じゃない?

シンタロウ:そうだっけ?

ヒロキ:うん、小林さんに言われたんですよ。完全に消去法でしたけどね(笑)。

カナタ:"まぁ、キンタはないな"みたいな感じだったしね。

一同:あははは!

-カナタさんは、この時期はどう振り返りますか? 作品としては、『Wait?』(2014年1月配信&ライヴ会場限定リリース)と『RAINBOW』(2014年4月リリース)っていう再出発シングルを含む『NEW WORLD』(2014年10月リリースの4thアルバム)ができる頃ですけども。

カナタ:『Re:Union』を作り終えた時点で、自分から出てきたものをまとめるっていう流れに限界を感じてたんですよ。感覚が鈍ってきたっていうか。そういうのもあって、『NEW WORLD』で、シンタロウがデモを出してくれたから、"これを絶対に高めてやろう"っていう気持ちに振り切れたんです。余計なことを考えなくなってきましたね。

-余計なことを考えないぶん、"自分たちはこういうのはやらない"っていうような変な縛りや、制約がなくなってきた感じもしました。

カナタ:そうそう、そういうのはなくなりましたね。基本、繰り返しが嫌なバンドだったんですよ。それが、俺の思想でもあったんですけど。『NEW WORLD』ではそういうこともやってるし、一度、自分の外側を取り外せるきっかけになったと思います。

ヒロキ:改めて初期衝動的な感覚を味わえた作品でしたね。

-では、最後に2017年から現在までのブロックの話を聞かせてください。まず、この時期は『心臓の居場所』(2017年リリースの5thアルバム)という作品を作ったことが大きかったと思います。

ヒロキ:あぁ、あの作品は僕らすごく好きですね。

-LEGO BIG MORLとは何か? という、ひとつの到達点に立った作品ですよね。

ヒロキ:まさに。『心臓の居場所』は、10周年っていう節目やったから、ほんまにここでいい作品を作られへんかったらやめようぐらいの気持ちで作ってたんです。売れる売れへんは自分ではどうしようもないことだから、そういう数字じゃなくて、1年後でも2年後でもちゃんと聴きたいと思えるアルバムを作りたいって気持ちでしたね。

シンタロウ:あれほど生命を擦り減らして作ることって、そんなに何回もできないと思うんですよね。バンドを10年続けたことで、お互いに対するリスペクトも強くなったから、みんなのいいところを最大限に生かせるようにもなった。っていうのもあって、ようやく自分たちのスタイルが固まってきたなと思いました。

ヒロキ:今が一番バンドの結束力があるんですよね。

カナタ:『心臓の居場所』に関しては、『NEW WORLD』から2作連続で、同じプロデューサーでやってもらったのがデカかったですね。ポップ寄りなものではなく、マイナー調というか。昔からそういうものを目指したバンドではあったので、それが確立した作品だと思います。

-あと、この時期は10周年イヤーを終えて、自分たちのプロダクションを設立、アサカワ(ヒロ/Dr)さんが脱退という出来事もありましたけど、そのあたりはどう消化していますか?

カナタ:もちろんレーベルや事務所っていうのは大切な組織ではあるから、そこから独立することに関して、何も気にしていないと言ったら嘘になるけど。今はそれがないとダメだとは思ってないんです。だいちゃん(アサカワ)が抜けたことも大きなことだけど、そこで精神が崩れるほど弱くはない。バンドを15年やり続けたことで、自分たちの中にチリツモになってるものがあるんだと思います。

ヒロキ:今振り返って思うのは、周りから見たイメージと、僕らの内情は反比例してるんですよね。華々しく見えたデビュー当時は地獄の日々だったし、2013年頃は事故ってるくせに、逆に僕は希望を抱いてたんですよ。で、2019年にメジャーから離れたけど、個人事務所になったことで、逆に地に足がついて、新しい夢も広がってるし。

-追い込まれるたびに強くなってきたバンドなんでしょうね。外的な環境の変化に立ち向かいつつ、自分たちの中でも"変わりたい"っていう気持ちがあって。そのタイミングごとに、どんどんバンドをバージョンアップさせてきたというか。

ヒロキ:うん、次もまた試練がくるんでしょうね。

カナタ:あとは、たぶん飢えがあるんだと思います。それがなくならないから、音楽をやめられない。続ける理由が生まれるんだなって。

-"飢え"ですか。実は今日のインタビューでは、いろいろな困難があったなかで、LEGO BIG MORLがバンドを続けることができた理由はなんなのか? っていうのを知りたいと思ってたんですよ。まさに、その答えを今聞けた気がします。

カナタ:その答えで言うと、俺らは言葉にはしないけど、行動に出すタイプなんですよ。例えば、ヒロキが事故ったときは、シンタロウが自分から曲を作ってくるとか。俺が曲を書けなくても、ヒロキが歌詞を書き続けてくれるとか。

-そういうメンバーがいたからこそ、バンドを続けることができた。

カナタ:そうですね。

ヒロキ:僕らはよく"メンバーのバランスがいいね"って言われるんです。ひとりが作詞作曲をやるようなワンマン・バンドも、それはそれでいいと思いますけど、うちはそうじゃない。全員でやる。誰かが止まっても、誰かが手を動かしてるから、続けられるんです。