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INTERVIEW

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木下百花

 

木下百花

Interviewer:秦 理絵

木下百花が本名名義でリリースした初のフル・アルバム『家出』は、誤解を解くための作品だ。元アイドルという経歴、アーティスティックに構築されたkinoshita名義のソロ活動、破天荒で型破りなパブリック・イメージ。そういう一面的なイメージではなく、もっと複雑で生々しい素の自分を解放させたこの『家出』という作品で、木下はようやくソロ・シンガー・ソングライターとしてのスタートラインに立つことができた。セカイイチの吉澤 響ら辣腕のサポート・ミュージシャンを迎え、"本当に自分が好きな音楽はなんなのか?"という命題に向き合った全11曲で、木下は、"生きることは楽しむこと"、そんなシンプルな人生哲学にも手を伸ばす。

-今年から本名名義で活動を始めましたけど、どんな心境の変化があったんですか?

NMB48っていうアイドル・グループを卒業して、ソロ活動を始めたところからお話すると、最初は......なんやろな、のらりくらりと言うか、働きたくないなって時期もあったんですよ(笑)。でも、ずっと家に引きこもってるわけにもいかへんし、どうしようかな? と思ったときに、やっぱり自分が好きなものは音楽かなって思ったんです。ただ、自分にはなんにも知識がなくて。アイドルでいることなんてすごくちっぽけなんです。業界をちょっとわかるぐらいで。学ぶことって、愛想を振り撒くことぐらい。空っぽだったんです。

-なるほど......。アイドルにはアイドルの背負いものがありますからね。

自分はそういう人間だと思っちゃったんですよね。で、音楽を始めたときに、何も知識はないのに、見てる人からしたら、ずっとやってる人だから、初めからできるように思われる。変に一部で知名度があるものやから、ゼロからスタートを許してもらえないっていうギャップもあったんです。それで、大人の力を借りて、kinoshitaっていうアーティスト名義で活動を始めたんですけど。自分で曲は作るけど、アレンジャーとかエンジニアとか、全部決まっていた方たちと一緒に......一緒にっていうか、大人が全部ガチガチにやってくれるみたいな感じで。それはそれとして完成されたものになったんですけど。自分が好きで聴いてたものって、そうじゃなかったのに、と思ってたんです。あんまり名前を出したくないんですけど、私の始まりは踊って......なんですよ。

-踊って?

踊ってばかりの国。

-いいバンドじゃないですか。なんで言いたくないんですか。

すっごい好きだから(笑)。もともとバンドを聴き始めたのがゆらゆら帝国で、自分が(音楽を)やりたいと思ったきっかけが踊ってばかりの国だったんです。なのに、以前のソロの音源は、私が聴いてた音楽とはまったく違うことになっちゃって。でも、"こういうものなのかな?"って。自分に知識がないから、自分のやろうとしてることって間違ってるんじゃないかと思ったりして。わりと流されて、すごく完璧な音源を作ってたんです。

-そこから何か変わるきっかけがあったんですね?

そのあとに、今のアルバムのレコーディングで参加してくれるメンバーに出会ったんです。まず、ドラムのセカイイチの吉澤 響さんと知り合ったときに、私のデモ音源のほうを聴きたいって言ってくれて。

-完成されたアルバム音源ではなく?

はい。"この子、どういうものをやりたいんだろう?"って思ってたらしいんですよ。で、それを聴いてもらったら、"僕はこっちのほうが好きやし、百花さんがやりたいことがあるんやったら、そっちをやるべきやと思うよ"って言ってくれたのが、すごく変わるきっかけですね。そこで、"自分のやりたいものを作っていいんや"っていう初歩的なところを気づけて。名前を戻すきっかけになったのも、そういう会話からなんです。本当の自分の名前でゼロからやりたいと思ったのがきっかけで。

-響さんとの出会いが相当大きかったんですね。

そのへんから自分の周りで関わる人たちがどんどん変わっていきましたね。今は(様々なアーティストのライヴ制作、ツアー・ブッキング、プロモーター、イベント企画/運営に関わる)エイティーフィールドの青木(勉)さんがチームにいてくれてるんですけど。最初、青木さんにめっちゃキレられたことがあったんです。

-何があったんですか?

ライヴですごく投げやりになった時期があったんです。まだ名前を戻す前で。自分で何をしたらいいかわからへんってなってたときに。青木さんが、鬼のような顔をして私のライヴを観てたんです。で、終わったあとに、"もっと好きなことをやればいいのにもったいない"って言ってくれて。青木さんに怒られたのは、それが最初で最後ですね。そうやって言われたことで、ちゃんと自分の好きなことに自信を持つようになったんです。

-木下さんのやりたいことは、ソロを始めた当時からずっと変わってないんですか?

そうです。バンドとか、いろいろやったんですけど、結局は自分の好きやったものに戻っていったというか。今思ったら、最初からこれをやっておけば良かったって感じるけど、たぶんその間の、自分がどうしたいかわからないっていうのがないと、きっとわからなかったことなんやろうなと思います。

-今回のアルバムを聴くと、たぶん木下さんの好きなものって、決して完成された美しさではないけれど、歪で矛盾だらけで、だからこそ美しいっていう音楽ですよね。

そうなんですよね。ずっと周りの人たちが自分に完璧なものを求めてるって決めつけてたなって思います。それが違ったんだなって、やっとわかったんです。

-本名名義で最初にリリースしたのが「ダンスナンバー」でしたけど、あのときはすでに気持ちは振り切っていたんですか?

「ダンスナンバー」は、kinoshita名義とフルネームに戻す間ぐらいの期間に作ったから、どっちの要素も入ってるんですよね。今回のアルバムは2曲だけアレンジャーの方にお願いしていて、まず、「ダンスナンバー」を、宮野(弦士)さんにお願いしたのが最初だったんです。私、未だにコードを知らないままで、ギターのストロークとかも全然わからないんですけど。なのに、ちょっと難しいことをオシャレっぽくやったら、おもしろいんじゃないかっていうところから作り始めた曲で。ただ、kinoshita名義と違うのは、アレンジャーを決めるにしても、ちゃんとスタッフと相談をして、この曲には、この人が合うっていうことを自分で決めて作っていけたことなんです。

-次にリリースした「少しだけ、美しく」のほうも、出羽良彰さんをアレンジャーに迎えましたけど、木下さんの声と詞との相性がすごくいいです。

きれいなアレンジですよね。ちゃんと私が好きだったギター・サウンドが入ってるんです。荒いけど、すごく美しくて。そこがすごく好きです。出羽さんを迎えたことで、この曲は生きたなって思いますね。実は今までアレンジャーというものに対して、恐怖心もあったんです。自分じゃなくなっちゃうんじゃないかって。でも、「少しだけ、美しく」で、すごく私っぽいなと思うものができて、今までの自分が救われた気がしましたね。

-「少しだけ、美しく」はギター・ロック寄りですけど、アルバム全体としては、70~80年代のポップ・ミュージックを踏襲してるところも多いのかなと思いました。

あ、そうなんですかね。ちょっと古いらしいんですよ(笑)。

-逆に今はそれがトレンドになってきてるところはありますけど。

たぶん私がそのへんを好きなんですよ。でも、あんまりアーティスト自体を掘り下げて聴かないから、ジャンルとかはわからないんです。だから、自分では意識してなくて。

-わりと自然にこういうサウンドになっていったんですか?

そうなんです。たぶん歌モノだから、どこか懐かしい雰囲気が出てるんじゃないかな。あとは、伊東(真一/HINTO/SPARTA LOCALS)さんのギターの影響も大きいですね。伊東さんとハルさん(岡部晴彦/Ba)は頼んでもないことをやるというか(笑)。ドラムは自分が思ってる延長線上のものをやってほしいんですけど、竿は、自分が好きだったら、予想してないことをやってくれても、それがいいみたいな感じなので。そのバランスがすごく良かったんです。