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INTERVIEW

Japanese

FUNKIST

2017年09月号掲載

FUNKIST

Member:染谷 西郷(Vo) 宮田 泰治(Gt) naoto.grandcabin(Ba)

Interviewer:高橋 美穂

-だから、自分自身の感性をピュアにしておいて、何でも吸収できるような状態にしておかなきゃいけないっていうか。

染谷:そうですね。アルバムの3曲目に「BEAT of LIFE」っていう曲が入っているんですけど、それはスペインでフラメンコを見て......ストリートでフラメンコをやっている人たちもいて。フラメンコってストリートでもできるんだ!? って。日本では見ないじゃないですか、ストリート・フラメンコ・ミュージシャンもダンサーも。そういうのを見るなかで、宮田の父はフラメンコ・ダンサーで、僕の父はフラメンコ・ギタリストなので、フラメンコには子供のころから慣れ親しんでいたけど、コアな音楽だから、バンドで表現するのは難しいと思っていたんです。でもnaotoがスペインにどっぷり入って、フラメンコのビート感を吸収して、スタジオで弾き始めたんです。

-おふたりのどちらかではなく、naotoさん発だったっていうところが面白いですよね。

染谷:そう、どっかで諦めがあったんですよ。コアすぎるから簡単にはできないって。でもnaotoは弾き始めたから、や、やっていいの!? って(笑)。

naoto:不思議だったんですよ。ルーツがあるのに触れてないから。僕もそんな弾けるわけじゃないんですけど、やっていたらふたりが乗っかってきてくれて。そのデモ音源がすごいんです。やっぱりルーツにフラメンコがあるふたりなんだな、って。こんなに!? っていうところまで発展しちゃったんです。そこから曲として作り上げていったっていう。

-そのバージョンも聴きたいですね。

naoto:僕のパソコンの中にはありますよ。

染谷:Skream!をご覧のみなさんに抽選で差し上げましょうか(笑)。

-(笑)こういったジャンルの音楽が、しっかりバンド感に昇華されているのが新鮮でした。

染谷:ありがとうございます。今のメンバーは3人とも、どっちかというと8ビートが苦手なんです。こういう土着系の方が得意だから。曲作りのときに、絶対に踊らせるっていうのがテーマとしてあって。でも、これは日本のみんなは果たして踊れるんだろうか? 攻めすぎたんじゃないか? 俺らは気持ちいいけど......っていうポイントは、探ったよね。

-ライヴでお客さんが踊ることで、楽曲も変化していきそうですよね。

染谷:9月から始まって12月までツアーがあるんですけど、ファイナルのころにはアルバムと違うものになっているんだろうな、っていう楽しみもあって。アルバムを再現するっていうのも大事なことだけど、僕らの場合はライヴでやりとりしながら曲がどんどん進化していくっていう方が自然で。そういう意味では、今回アルバムのラストに「Time has come」っていう曲が入っているんですけど、シングルでリリースしているので、2年前にレコーディングしていて。今ライヴでやっているのと、だいぶアレンジが違うんですよ。でも、それが今聴くと泣けるっていうか。2年間で俺らここまで来たんだ! っていう距離感がわかるんで。だから、そういう違いもツアーに来てもらうときに楽しみにしてほしいですね。「BORDERLESS」っていう一番新しい楽曲から始まって、最後に「Time has come」――時は満ちたっていうメッセージを込めて入れたんですけど、それは俺らにしかわからない2年間の歩みや景色が、ここですごく見えたんですよね。

-「BORDERLESS」は新しいんですか?

染谷:最後に完成しました。12曲できあがっているなかで、これを凌駕するリード曲を作りたいっていう、明確な想いがあって。基本的にはどの曲がリード曲でもいいくらいの気持ちでいつも作るんですけど、今回はそれの1曲目に君臨できる曲を作ろうと。メッセージ性とか方向性、音楽性、全部込みで、これがFUNKISTです! って言い切れるものを。

-これは、10年前の曲「BORDER」(2008年リリースの2ndシングル表題曲)ありきで作ったんですか?

染谷:ありきではないんですけど、どういうタイトルがいいかなぁとかいろいろ考えていくなかで、アルバム・タイトルを"BORDERLESS"にしたいって、今年の頭くらいからイメージができて、メンバーに話していて。逆に、なんで"BORDERLESS"にしたいのかなって考えていたんですけど、10年前に『BORDER』をリリースして、自分自身が南アフリカと日本のハーフで、アパルトヘイトが中学校3年生まであったんです。肌の色の違う人たちとは恋愛禁止っていう国で、親はそのルールを破って僕を産んでくれたっていう背景があって。10年前は、音楽でそういう壁なんて壊せるって信じていたし、それを叫んでいたと思うんですね。そこから10年経って、世界中で音楽を鳴らしてみんなで踊っているときに、心の中で、"な、簡単に繋がれただろ?"って思ったんです。今でもそういう人種、宗教、いろんな壁があるけど、ひとつの音楽で一緒に笑い合えるんだぜっていうのは、証明したっていうと大げさだけど、少なくとも僕たちがライヴをしてきたなかでは、見てきたものだったから、"BORDERLESS"――間に壁なんかないって、今だったらちゃんと言い切れる。だから俺は"BORDERLESS"っていうタイトルにしたかったんだなって思いました。