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INTERVIEW

Japanese

SWANKY DOGS

2014年02月号掲載

SWANKY DOGS

Member:洞口 隆志 (Vo/Gt) 川村 聡 (Ba/Cho) 長谷川 快人 (Dr/Cho)

Interviewer:沖 さやこ

-地方都市でのバンド活動を良い方向に転がしてらっしゃる。

洞口:最初バンドを始めたときは上京したいねという話もしてたんですけど、ちょっとずつツアー・バンドとかと出会って、打ち上げの席で話すようになったり、地元のライヴハウスの人と話すようになってからは変わってきて。よっぽど頭抜きん出た才能や衝撃的な音楽をやっていないと、ある程度出切ってしまった音楽シーンのなかから抜けてくるのは難しいと思うんです。僕らとしては地方にいたほうが、著名な方々とライヴができることも多かったり。そういう人たちには著名である理由があるんですよね。それで"お、これは盛岡にいたほうが熱いぞ"みたいなところを知ってしまったというか(笑)。それと、盛岡から発信できる想いみたいなものを、地元のライヴハウスの人と話すようになって。人口が少ないことや地方ということを――強み、ではないですけど、地元の土地柄と一緒に音楽を発信できるんじゃないかなと思ってます。

-盛岡といえば、 "いしがきミュージックフェスティバル"も街全体を巻き込んだ地域密着型の音楽フェスですよね。そういうところでもいま盛岡は面白い場所なんじゃないかと思っていて。

洞口:"いしがきミュージックフェスティバル"のメイン・ステージは盛岡城跡公園なんですけど、盛岡駅から市内各所にステージが立ってて、そういうのがエリア内に全部で10ヶ所以上あるんです。普通のお店やショッピングモールの前にステージがあって、そこで爆音出してたり(笑)。他の都市ではあんまりないようなフェスなんじゃないかなと思います。ツアー・バンドで仙台止まりのバンドもいるけど、Changeができてからは――社長の黒沼さんがかなりのパワーを持った人なので(笑)、ツアー・バンドも黒沼さんに会いに来るためにツアー日程を組んで来たりして。地元のバンドはそういうツアー・バンドを生で見ることで、僕らみたいなちょっとツアーを回っていたり、自主で音源を作っていたりするバンドも増えてきて。Changeができて11年経って、色々な先輩バンドの積み重ねがあってこそ若い世代がバンドをできる環境になってきてる。バンド人口は年々ちょっとずつ増えてきてますね。関わってくれたバンドも僕らのことを盛岡のバンドだと認識してくれて、盛岡から音楽を発信していくことに意味があるように気持ちもシフトしてきました。

-それだけ周りの支えがあるいい環境なんですね。今回バンド6年目での全国リリースですが、この経緯は?

洞口:今回プロデュースをex. No Regret Lifeの小田和奏さんにお願いして。僕らが高校を卒業するタイミングでやったライヴのゲストとして、ノーリグが出たんですよね。そのときに初めて和奏さんと会ったんですけど、特に会話はなくて。その後も僕らはバンドを続けて、それからしばらくしてノーリグがツアーで盛岡に来たとき"お前らまだちゃんとやってたんだな"と話をしてくれて。

-皆さんのこと覚えてらっしゃったんですね。

洞口:そうなんです。それでノーリグが解散をするちょっと前くらいのときに、和奏さんがひとりで盛岡に弾き語りに来て。そのタイミングで和奏さんとChangeの黒沼さんとノブさん(Changeスタッフ)と打ち上げで喋ってて......そしたら黒沼さんが和奏さんに"SWANKYのCD手伝っちゃえよ"って(笑)。そしたら和奏さんも"あー、やりますよ"って。最初はそんな軽い感じだったんですけど、その話がちゃんと固まってきて。それまではのぶさんも、いままでの僕らの音楽的なレヴェルや人間的なレヴェルだと"(全国流通は)まだだ"とストップをかけてたんです。でも"せっかく何年も頑張ってきて、繋がりも全国でちょっとずつ増えてきたところだから、いいタイミングなんじゃない?"という話にみんなでなってたときに、丁度和奏さんが手伝ってくれるという話が加わって。だから全部のタイミングが良かったって感じなんですよね。

-そうだったんですか。Changeの皆さん様様で。

長谷川:本当にそうなんです(笑)。

洞口:僕らから和奏さんに頼めないこともないんですけど、やってくれるように心を動かすパワーがある人が一発で喋ってくれた(笑)。勿論僕らの繋がりもあるけど、それこそ盛岡の力で和奏さんを動かせたところもあったと思います。