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INTERVIEW

Japanese

Miyuu

2020年03月号掲載

Miyuu

Interviewer:石角 友香

京都のお寺や神社でMAROON 5やBruno Marsのカバーを歌う動画をYouTubeで配信。国内外で話題を呼び、"YouTuber女子オーディション"でグランプリを獲得したことを契機に、シンガー・ソングライターとしての道を歩き始めたという、珍しいキャリアの持ち主であるMiyuu。EP、配信シングルや2作のミニ・アルバムを経て、ついに、1stフル・アルバム『BLUE・S・LOWLY』をリリースする。アコースティック・ギターの弾き語りからスタートした彼女らしく、オーガニックでゆったりしたテンポのナンバーが揃う本作。J-POPのシンガー・ソングライターとはひと味違う音楽性のルーツや、意外な10代の頃の素顔も話してくれた。

-Miyuuさんがクローズアップされたのは、京都のいろんな場所で洋楽カバーをしている動画がきっかけですよね。あれはロケに行って、あとで歌を重ねたんですか?

もともと自分で曲を作ったことがなくて、ライヴとかをしたこともなかったんですよ。公園でギターを弾いてて、バンドも特に組まずに、ずーっとひとりでやってて。でもあるとき、大阪の音楽の専門学校の子と仲良くなって、"作品を一緒に作ってみよう!"、"YouTubeにアップする?"となったんです。それで、"とりあえずレコーディングしてみたくない?"ということで、その専門学校のスタジオを使わせてもらって音だけ先に録ったんですよ。で、YouTubeにアップするなら映像はどこで撮る? ってなったときに、"せっかく発信するなら海外の人にも観てもらえるように、日本のきれいな景色を日本に来れない海外の人に向けて発信するの、面白くない?"というので京都に撮りにいくことになって、みんなで映像を作った感じですね。

-その頃は洋楽やJ-POPのカバーもですけど、ひとりで歌っていたと。

そう。なんでなんだろう? バンドとか、すごく憧れてたし好きだったんですけど、協調性があんまりないのか(笑)、そういう機会にあんまり恵まれなかった。

-専門学校の友達にバンドをやってる人も多かったのでは?

周りにいっぱいいました。私は普通の高校に通ってたんですけど、ちょうどアニメの"けいおん!"がすごく流行ってたときで。だから、女の子もみんな軽音楽部に入ってたんですけど、私は結果入らず(笑)。

-じゃあ最初からシンガー・ソングライターになりたかったというより、単純に歌うのが好きだったと?

歌うのがただ好きだから、最初はカラオケに行ったりしていて。でも、今でこそマイナーな洋楽も入ってるけど、当時のカラオケって全然洋楽が入ってなかったんです。私は洋楽を聴くのも歌うのも好きだったから、カラオケでは歌えないと思って。でも、"ギターがあれば自分で伴奏して歌えるやん"とひらめいて、そこからはよく夜中にひとりで、公園で歌ったりしてました(笑)。

-その頃からMAROON 5とか、Bruno Marsとかを歌ってたんですか?

ギターを始めたのが中学1年生で、そのときのきっかけがBOØWYをお母さんの車で聴いて、"あ、ちょっと楽器持ってみたい"っていうのでした。それでギターを買ったんです。

-BOØWYからアコースティック・ギターに(笑)?

なぜか(笑)。楽器屋さんに行くとアコギを勧められて。とりあえずギターが欲しいっていうので行ったので、エレキ、アコギの違いもそんなにわかってなかったし、木の温もりもあるし、アコギでいいかと思って買いました。そこからBOØWYの英語の曲に興味を持って、自分で訳したりして、洋楽を聴く流れになったんです。そのときずっと聴いてたのがMY CHEMICAL ROMANCEっていうバンドで。

-マイケミ(MY CHEMICAL ROMANCE)、復活しましたね。

そうなんですよ~! もう嬉しくて死ぬかと思った(笑)。しかも、LAの復活ライヴをファンが撮ってるのがフルでYouTubeに上がってて、もうヤバいんですよ! めちゃめちゃかっこ良くて当時のまんま。私、今まで3回ぐらい生で観てて。"サマソニ(SUMMER SONIC)"とかZeppのライヴとかを観たんですけど、もうそのときの気持ちが蘇りました。

-BOØWYは意外でしたけど、そのあとは洋楽育ちなんですか?

洋楽に限らず、自分が好きな曲はとことん聴くって感じでしたね。マイケミは私の最初の洋楽経験なんですけど、そのマイケミを辿っていってルーツになってるアーティスト、そのときだったらTHE SMASHING PUMPKINSとかも聴いて。歌詞カードの最初に載ってるライナーノーツを読むのが大好きだったんですよ。

-そうすると必然的に90年代のオルタナにいきますね。

そうですね。で、中1のときに買ったのがレギュラーの右利きのギターだったんですけど、高校生のときにNIRVANAの"MTV Unplugged"(MTVの音楽番組)のライヴをYouTubeで観て、"うわ、レフティ弾いてるやん"と。授業中に携帯で観てたんですけどね(笑)。それを観て絶対レフティのほうがかっこいいと思ったんです。で、通販で試し弾きもせずにレフティのギターを購入して、高校2年生ぐらいから弾き直して練習しました。

-ちなみに、オリジナルはいつ頃から作り始めたんですか?

オリジナルは大学に入ってしばらくした頃だから、19歳くらいからですね。きっかけはYouTuberオーディションを見つけたこと。就活を始めるタイミングだったんですけど、"自分は何をしたいんだろう?"とか、"何に興味があるんだろう?"とか、自己分析をするじゃないですか。そのときに、結構飽き性なので物事が続かないけど、音楽はBOØWYを聴き出してから歌うのもギター弾くのも大好きだったので、なんか音楽をライフワークにできたらいいなと思って。でも、技術的に何かを勉強してきたわけじゃないから、あわよくば歌を歌ったりできたら素敵だなっと思いつつ就活してたらオーディションの情報を見つけて、もう歳も歳だし(笑)。

-えぇ(笑)?

オーディションって12歳くらいの人が受けるイメージがあって。若い子が受けて、周りが育てていくみたいな。だから、歳も歳やし、無理やったらそのときはそのときやろって感じでいくつか応募してみたんです。すると"YouTuber女子オーディション"から電話がかかってきて、"審査で東京に来てください"って。"これ、自分の曲があったほうがいい感じかな? そっちのほうがプラスになるんかな?"と思って、ちょっと自分で作ってみようというのが初めてだったので、作曲はすごく遅いタイミングからです。

-最初にオリジナルを作るとき、歌詞はすぐ書けましたか?

逆にメロディが全然生み出せなくて。中学生のときから歌詞というか、思った感情を書くノートみたいのがあって、そこにずっと書いていたので、言葉はすらすら自分の中から出てきたんですけど、なんせメロディつけるのが難しかったです。"あぁ、このメロディめっちゃいいやん"と思ったら、今までに聴いてきた曲だったり(笑)。それが結構大変でした。でも、3曲入りのデモをオーディションの審査で作って渡しました。

-コードを覚えたりしていても、いざ作るとなると大変でした?

というか、最初の頃は全部同じような曲になってしまって。手癖がすごいから、今も曲を作るときに"あ、おんなじやん"ってのがいっぱいあって、アレンジャーさんと"ここを変えて"とか相談してる感じなんです。

-意識的にこういうテンポの曲を作ろうとか考えないと、どうしてもギターを持ったときの手癖が出てしまうと。

そうですね。Michael Kanekoさんとやってる番組(MUSIC ON! TV "ZOOM UP!")で最近ゲストに来たアーティストさんが、ギターとかを持ってると手癖でどうしても同じようなコードを弾いちゃうから、アカペラで1回曲を作るっていう人がいて、"あ、それ面白いな"と思って最近ずっとボイスメモでアカペラ録りまくってるんですけど(笑)、今度は逆にコードをつけられないということになって、ちょっと勉強中って感じです。

-ちなみに、2018年リリースのミニ・アルバム『COME ONE, COME ALL』を聴いて、今回の1stフル・アルバムを聴いたんですけど、以前よりももっとオーガニックになりましたね。

そうですね。それをテーマにしたくて。基本的にはギターの弾き語りでデモを作るんですけど、"この楽器をこうしてほしい"っていう伝え方をまだよくわかってなくて、以前はアレンジを任せっきりになってたんです。でも、今回は基本的にアコギと自分の声だけのデモからあんまり遠ざからないように、スタジオにアレンジャーさんと一緒に入って、こういうふうにしたいってその場で伝えて作っていった曲が多いので、デモからかけ離れてない曲が多いですね。

-音の隙間も多いし、こんなテンポ感でやってる人も珍しいというか、ものすごくゆったりしてますね。

ははは(笑)、そうですね。全体を通して結構ゆったりになってるかもしれない。前のミニ・アルバムまでは先行配信とか、タイアップをつけてもらった曲とかを集めたミニ・アルバムって感じだったんですけど、今回は最初にこういうアルバムにしたいっていう企画書みたいなやつを自分で作ったんです。今回のアルバムは朝日をテーマにしてるんですけど、"朝日がゆっくり海の上に昇っていくような、ストーリーがあるようなアルバムにしたい"ってまずみんなとの会議のときに話して。こういう曲を入れていきたいんだとか、全体的にスローなテンポがいいとか、合間には打ち込みの曲を入れてみようとかっていう話を、その企画書ありきで進めさせてもらったのが前までと違うところかなぁと思います。