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INTERVIEW

Japanese

VIRGO × TOSHI-LOW(BRAHMAN/OAU)

2019年10月号掲載

VIRGO × TOSHI-LOW(BRAHMAN/OAU)

音楽×芸術×ライフスタイルの融合をコンセプトにした、アパレル・ブランド"VIRGOwearworks"とSkream!による企画"VIRGO'S WARDROBE"。毎回ゲストにゆかりのあるアーティストを招き、"VIRGOwearworks"を通して、ファッション業界と音楽との繋がりを考える。記念すべき第1回目は"VIRGOwearworks"を語るには欠かせない存在であるBRAHMANのフロントマン TOSHI-LOW氏を迎え、ディレクター YU氏との出会いから現在に至るまでの話を訊いた。

BRAHMAN/OAU:TOSHI-LOW
VIRGOwearworks:YU(ディレクター)
インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 上坂和也

-連載第1回目の対談のゲストは、VIRGO(VIRGOwearworks)にとってのキーパーソンであるTOSHI-LOWさんということなのですが、そもそもおふたりはいつごろからの仲なんですか。

TOSHI-LOW:それを言い出したらもう20年以上前で──

YU:お互い19、20歳のころだったから。

TOSHI-LOW:四半世紀は過ぎてるな。

-どういう状況で出会っていて、お互いにどんな印象を持っていたんでしょう。

TOSHI-LOW:会ったのはお互い、バンドマンとしてですね。

YU:印象の話になると、ろくな話にならないですけど。

TOSHI-LOW:うん、かっこ悪いバンドだなと。

YU:おい(笑)。
下北のライヴハウスで対バンになって、そこで初めて生でBRAHMANを観たんですけど、すでにすごいバンドでしたね。

TOSHI-LOW:まだ自分たちもお客が入る前のころで。ライヴハウスにお客が数人しかいない時代から仲良くなって、企画に呼んでくれたりしていた仲間なので。バンドの勢いが出てから出会っているのとはちょっと違う、もっと原理的な仲間というか。そこはデカいと思いますね。

YU:そうだね。

TOSHI-LOW:25~6年を経て、こうして洋服で付き合うことになるとも思っていなかったし。実際、若いころに音楽を通じて出会った人でもいなくなってしまう人はたくさんいて、全員が全員、成功という枠に入ったわけではないなかで、自分が好きなものを続けてきて、ここの場にいれるというのはとても喜びだなぁと。

-そうですね。当時からYUさんは、自分で何かを起こしたいという思いがあったんですか。

YU:特になかったんです。バイトをしながらバンドをやる繰り返しでした。ただバンドをやっているときから、洋服屋のバイトはずっとしていたんですね。本当は、バンドで結果出したかったですけど(笑)。バンドも一生懸命やっていたので、当時はブランドをやろうなんていうのは全然なかったんです。

TOSHI-LOW:いわゆる古着屋の店員ってやつだったんだよね。俺もバイト帰りにYUの働いている店に行って、よく服を貰ってきてた。そのころは、服を買える余裕はなかったからね。これだったらいいよ、って全然サイズの合わない靴をもらったりして。

YU:バンドマンが溜まるような店だったんです。

TOSHI-LOW:金はないけど、そういうところでみんなちょっとずつ集まりだして、知り合いを紹介してもらったりしながら、横の繋がりができていって。ああやって、自分の店じゃなくても場を作れるのはいいなと思った。ふらっと行ったら、別に約束してるわけじゃないけど誰かがいて。"じゃあ飲み行く?"っていう感じになって。でも飲みに行く金はないから、缶ビール買ってコンビニの前でたむろするくらいなんだけど、それが悲しいとかつらいとかは全然なくて。言ったら夢しかないからね。みんな生き生きしてた時代だったなって気がします。

-そのころの体験や経験はのちに繋がっている感じがありますか。

YU:当然、染みついているものや初期衝動的なものはずっとありますよね。僕はいったん、音楽をやめて潜っていた時期があるんで。そこから洋服のことを頑張ろうと思ってからは、15~16年になるので。今は洋服屋としての意識が強いかもしれないですけど、根底にあるものは音楽をやっていた当時の気持ちとか、そのときから第一線でやっている仲間と同じ席で酒を飲めるように頑張りたいというのはずっとありましたね。それがなかったら僕は、続けていられないと思います。

-YUさんが音楽を1回やめられて潜っていた時期、TOSHI-LOWさんは会ったりしていたんですか。

TOSHI-LOW:会ってないですね。

YU:3~4年会ってなかったんです。僕自身、ほとんど誰にも会ってなかったかもしれない。

TOSHI-LOW:あぁ、消えちゃったなっていううちのひとりだった。

YU:今思えば、僕が勝手に居づらくなって離れてしまったんですよね。その充電期間も、いろんな大事なことを知る期間になったので、良かったかなと思いますけど。

-そこからVIRGOへはどう繋がっていくんですか。

YU:当初一緒に立ち上げたやつがいたんですけど、最初はその彼が"やりましょうよ"って言ってくれて始めた感じではありましたね。それが2000年ごろだったんですけど、そのころっていわゆるストリート・ファッションのバブルが終わりかけの時期で、どこかうしろめたい気持ちもあったんです。

TOSHI-LOW:裏原ブームみたいなものがあって、誰もがそこに乗っかれた時代があったんですよね。本当にうまくいった人はひと握りだけど、みんな洋服屋さんを始めて、みんなデザイナーで、みたいな小さなブランドがたくさんできた時代があって。いい悪いは別にして、作ったものが売れちゃうみたいな状況があったんだけど、その終焉のあたりだったかな。

YU:だから逆に、今から始めるのもいいかなっていう思いもあった。

TOSHI-LOW:ただそこで、"俺も実はブランドを立ち上げたんだ"っていうのは周りに言いづらいだろうなと思う。お前がやるの? 今更? みたいな。

YU:それは周りにも言われたし、経営的なところでも大丈夫なのかっていうのはありましたしね。そういううしろめたさや怖さもありましたけど、ただ先のことは考えずにひたすら日々更新しながらやっていた感じでしたね。

-裏原宿などでいろんなストリート・ブランドが立ち上がったころっていうのは、ブランドとバンドの関わりが密接な感じはあったんですか。

TOSHI-LOW:密接だったと思うし、ストリート・バブル的なものがあって。言ってみれば、大したことないバンドが持ち上げられたり、大したことないブランドが売れちゃったりということがあって。もちろん自分もその渦中にいたんですけど、段々とそこに居心地の悪さを感じるようになってきて。みんな浮かれてるけど、これは違うんじゃないかって。要は、自分たちはカウンター・カルチャーだったわけですよね。90年代初頭のYUと出会ったころは、東京のストリートが動き出す感じがあって。前のバンド・ブームが終わってライヴハウスがもぬけの殻になって、だけどそこに今何かが面白いんじゃないかってハードコアだったりスケーターだったり、ファッションを新しく始める古着屋の店員だったり、俺らみたいなのが集まりだして、後の"AIR JAM"ブームとか、裏原ブームに繋がっていく変革の前夜だったんです。だから東京がわさわさしていて、揉めごとも多かったけど、面白くて。ストリートにいる意味がすごくあった。

YU:たしかに、面白かった。

TOSHI-LOW:見るもの見るもの教科書通りじゃないし、誰もが新しいものを得ようとしてきてるから、新しいことをやってる人たちがすごく斬新だったし、勉強になったしね。そこで知り合った人たちはみんな面白かった。で、2000年になるころには、ブランドには行列ができて、バンドも小さなライヴハウスだったところから大きな場所でやるようになっていって。俺、一番嫌だなと思ったのが、最初は自分たちがかっこいいものを作るんだって思いでやっていた人たちが、GUCCIの帽子とかを被り出したんですね。たしかにGUCCIの帽子はむちゃくちゃかっこいいんです。でも、それとは違うかっこいいものを自分たちでTシャツにプリントして作るよって始まったものだったと思うんですよね。それが、金を持ったらやっぱりハイブランドがいいんだってなっていくのは、違うなっていう。そこから俺も、華やかなところにいるのが嫌になったし、"これ、お前が着ると売れるから"ってブランドの着せ替え人形みたいにされるのも嫌だったんですよね。それで気づいたら服が、真っ黒になっていったりして。

YU:(笑)

TOSHI-LOW:ボロボロのジーンズにTシャツだけになったりもして。もうなんでもいいやってなっていたころに、潜っていたYUが出てきてVIRGOを立ち上げて、そこでまた出会うんですよ。で、YUは今さらブランドを始めて、しかも誰にも会ってないうしろめたい気持ちもあって、こっちはもう洋服業界なんかどうでもいいし、服なんかなんでもいいやって思っていたときに引き合うんですよね。で、飲みに行って話をして。

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