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INTERVIEW

Japanese

亜沙

2019年01月号掲載

亜沙

Interviewer:杉江 由紀

時代は彼を選び、彼もまたこの時代の中で独自の立ち位置を確立するに至ったということなのだろう。今やアリーナ・クラスの存在にまで成長した和楽器バンドのベーシストである一方、その和楽器バンドがスタートする以前からボカロPとしての活動や、第三者への楽曲提供を続けながら、ソロ・アーティストとしてのキャリアを積んできた亜沙が、先だってセルフ・カバー・ベスト・アルバム『1987』を発表したことはまだまだ記憶に新しい。ここでは改めて、全23曲を擁するこの大作が完成していくまでの経過を探っていくこととしよう。かの「吉原ラメント」作曲者としても名を馳せる亜沙の、多才さを裏づけるような言葉たちがここにはある。

-和楽器バンドのベーシストでもある亜沙さんは、2018年9月にソロとしてのセルフ・カバー・ベスト・アルバム『1987』を発表されました。ここでは、改めてその内容についてうかがって参りたいと思いますが......こちらには「吉原ラメント」をはじめとしたボカロまたは他アーティストに作家として提供した楽曲たちが、ボーナス・トラックを含め全23曲収録されております。かなりの大作に仕上がっている印象です。

かれこれ、もう5~6年になるんですかね。時期的に言うと、僕は和楽器バンドを始めるちょっと前あたりからソロとしての活動を先に始めていたので、曲が結構溜まってきていたんですよ。それで、今回この『1987』ではここまで作ってきた曲たちをセルフ・カバーしてみることにしたんです。というのも、シンガー・ソングライターとしての自分ということで言うと、2016年に3枚目のソロ・アルバム『明正フィロソフィア』を出したときから歌い出したので、それ以前の曲は自分では歌っていなかったものも結構あったんですね。そういう意味で、今回は5年くらい経っているからキリがいいというのもあり、過去にVOCALOID曲として発表したものや、ほかのシンガーに提供したものなんかも含めて、いったんここで自分のソロとしての楽曲をひとまとめにしつつ、すべてを改めて自分で歌ってみることにしたんです。

-ちなみに、亜沙さんは過去に音楽大学の作曲学科に在籍していらしたことがあるのだとか。その当時に勉強した理論などは、これまで実際の作曲においても活用されてきたのでしょうか。

たしかに基本的なことは音大でやりましたけど、それはあくまでも基礎の基礎でしたからね。それに、僕は中退しちゃってるし(笑)。おまけに、僕の主専攻はDTMだったんですよ。やっていたのは機材やソフトの使い方の勉強がほとんどだったので、音大で勉強したことはそこまで作曲に役立っているということはない気がします。

-だとすると、もともとボカロPとしての活動を始められた際に亜沙さんが作曲家として特に意識されていたのはどのようなことでしたか。

まずは歌モノであること、ですね。子供のころにうちの母親がスピッツをよく聴いていたせいなのか、90年代に流行っていたメロディのいい音楽というのが僕の中には刷り込まれているところがあるんですよ。あとは、中高生になってからバンドに興味を持ったときもL'Arc~en~Cielみたいにメロディのきれいなバンドをすごく好きになったし、メロディが強い存在感を持っている音楽であること、というのは未だに意識しながら曲を作っているところがあります。

-ただ、一方で亜沙さんはベーシストでもいらっしゃいます。曲を作っていくなかで、プレイヤーとしての視点が入ってくることも時にはあるのでしょうか。

ベースという楽器は、基本的にそんな目立つものではないじゃないですか(笑)。そこは普段から和楽器バンドのメンバーも言っていますし、僕自身もそう思っているんですけど、ベースに限らずどの楽器も曲を構成するパーツのひとつでしかないような気がするんです。もちろん、曲によってはこの部分でこの楽器の音がすごく生きているというケースはあると思いますが。自分のベースについてもそうですけど、たいていの場合は曲やメロディを支える要素のひとつとして考えてます。

-同時に、亜沙さんは現状でソロ活動とパラレルで、和楽器バンドの一員としても動かれていることになります。つまり、ソロ・アーティストとしての亜沙、ボカロPであり外部に楽曲提供をする作家としての亜沙、和楽器バンドのベーシスト 亜沙、この3つのチャンネルをお持ちになっていることになるわけですが、それらの切り替えや棲み分けについてご自身の中でどのように考えていらっしゃるのかも気になります。

そこは意外と簡単ですよ。例えば、和楽器バンドに関しての自分は8分の1だと思っているんですね。だって、和楽器バンドはギターだけでもダメだし、和太鼓だけでもダメだし、尺八だけでもダメじゃないですか。あの8人がいるから成り立っているチームなので、僕は純粋にその中の8分の1として自分のすべき仕事をしている、ということなんです。一方で、これがソロの方になるとこれは100パーセント完全に自分の音楽ですからね。自分が好きなこと、自分が美しいと思うものをひたすら追求している感じです。じゃあ、作家活動はどうなのかというと......これに関しては、とにかく依頼主からの依頼ありきで動いているという面がやっぱり強いですね。

-なるほど。オーダー・メイドで依頼主の思いに応える必要があるだけに、かなり職人的な気質が必要になってくるわけですね。

そうなんですよ。ほかとはまったく違う感覚とか、難しさが作家活動には伴います。結局、和楽器バンドにしてもソロにしても自分たち、もしくは自分が主体となって物事を考えたり進めたりしていくわけですからね。その点、楽曲提供に関しては自分の主観だけでは作れないし、依頼主の意向や周囲の意見も取り入れていく必要があるので、音楽の仕事であるけどほかのふたつとは完全に別モノだし、気の遣い方も全然違います。まぁ、そんなことを言いながら今も3つくらい作家活動の案件が同時進行していたりはするんですけど(笑)。

-相変わらずお忙しそうですね。そんななか、今回のセルフ・カバー・ベスト・アルバム『1987』では外部に提供された楽曲も何曲かご自身で歌っていらっしゃいます。もともと制作段階では仮歌なども録っていらっしゃったのだとは思いますが、いったんは"嫁に出した"とも言える楽曲たちと再び向き合ってみたとき、そこで何か初めて気づいたことなどもあったりしましたか。

それはもちろんありますよ。"あれ? この曲、思ってたより歌いづらいなぁ"とか、そういうことが(笑)。

-人には歌わせているけれども、ということですか(笑)。

自分で歌うとなると、感覚はまったく違いますね。今回ボーナス・トラックとして入れた「天使の歌」に関しても、これはゲーム(PlayStation Vita用ソフト"Caligula -カリギュラ-")のために書き下ろしたもので、歌詞もゲームのキャラクターに寄せて作ったので、自分で歌ったときには"これ、ソロとしての曲だったらこういう歌詞には絶対なってなかっただろうなぁ"と思いました(笑)。