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INTERVIEW

Japanese

亜沙

2019年01月号掲載

亜沙

Interviewer:杉江 由紀

-そんな「吉原ラメント」は、今回アルバム本編とは別にボーナス・トラックとしても収録されております。なんと、こちらはラスボスこと御大、小林幸子様との"亜沙 feat.小林幸子"名義になっているのですね。豪華です!

これは、「吉原ラメント」の5周年企画で実現したものなんです。この話が持ち上がる前から、幸子さんはこの曲を歌ってくださっていたのもあって、とても快く引き受けていただけました。非常にいい経験をさせていただけて、本当に感謝です。

-それから、亜沙さんの場合ソロで歌を本格的に歌い出してから約3年になるということでしたけれども、この『1987』を作っていくなかでヴォーカリスト、亜沙という存在の持つ資質とはどんなものであると感じられましたか。

うーん......自分の声質に助けられているなということはちょっと感じますね。というのも、僕は別にめちゃくちゃ歌が上手いとかそういうタイプではないので。そのぶん、この声質は僕にとっての資質なんでしょう。きっと。

-亜沙さんの声質は、深みや倍音がたくさん含まれている印象です。その声と、ご自身の作られる楽曲のマッチングの良さがよりいっそうの相乗効果を生んでいるのでしょう。

ありがとうございます(笑)。まぁ、歌い出したころと比べたら少しは声も出るようになってきましたし、この3年でヴォーカリストとして鍛えられてきたところもあるのかな?


ソロ活動にまつわるひとつの集大成として仕上がったと思うし、亜沙とこれから出会ってくれる人たちにとっての入門編としても最適なものになった


-あらゆる意味で、亜沙さんはここまでの時間の中でソロ・アーティストとしての経験値を上積みしてきたことになるのでしょう。今作『1987』は、そのことを証明するかのような大作に仕上がっております。せっかくですので、ここでアルバムのタイトルの由来についてもうかがってよろしいでしょうか。

"1987"というのは、自分が生まれた年なんですよ。でも、1987年生まれのミュージシャンって僕の周りにはなかなか見当たらないので"1987"にしました。だけど、1987年って歴史的に見るとあんまりいい年じゃなかったみたいなんですよ。

-どうやら、1月には中国の天安門広場でデモがあり、日本では国鉄がJRに変わり、韓国では大韓航空機爆破事件があったほか、世界的には人口が50億を突破した年になるそうです。日本の世相としては、1985年のプラザ合意を受けて1991年に始まるバブル崩壊へと向け、だんだんと経済が傾いていったころでもあります。

年代的には、ちょうど自分たちのころから"ゆとり教育"が始まったっていうのもありますしね。まさに僕ら、ゆとり第1号なんですよ。それも、中学3年の1年間だけがゆとり教育だったっていう(笑)。

-なんとも微妙な狭間だったのですね。1987年生まれというのは。

インターネットとか携帯電話も、みんなが使い出すようになったのは僕らが中高生のころなんですよ。だから、時代の転換期の中で育ってきた感覚は結構あるんですよね。そのわりに同い年のミュージシャンがなかなか見つけられないので、これは"1987年生まれがここにおるぞ"という意味も込めての"1987"なんです。

-そんな想いのこもった今作『1987』を完成させた今、亜沙さんは何かしらの感慨を得ていらっしゃいますか。

なかなかいい作品にはなったな、と感じてます。ソロ活動にまつわるひとつの集大成として仕上がったと思いますし、亜沙というアーティストとこれから出会ってくれる人たちにとっての入門編としても最適なものになったんじゃないでしょうか。

-こうしてひとつの集大成を作り上げた亜沙さんからすると、今ここから目指したい新たなる領域とはどんなものになるのでしょうね。

それを言葉にするのはなかなか難しいですけど、こうして表現活動をしている以上はよりたくさんの人に聴いてほしいとか、もっといっぱいの人に知ってもらいたい、というのは当然あるんですよ。とはいえ、今の時代は便利な配信サービスやストリーミングで最新の音楽もあれこれ聴けるし、YouTubeで昔の音楽にも自由に触れることができるわけですからね。人の趣味趣向が多方面に分散していっている状況があるだけに、僕は僕で自分が心から好きなもの、自分の美意識を投影した音楽というものをより深く追求していきたいですね。それをどこまで研ぎ澄ませていくことができるか、というところを限りなく極めていきたいと思います。