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LIVE REPORT

Japanese

あいみょん

Skream! マガジン 2020年01月号掲載

2019.12.17 @横浜アリーナ

Writer 石角 友香 Photo by 永峰拓也、鈴木友莉

10月11日の三郷市文化会館を皮切りに、地元兵庫県の神戸ワールド記念ホールなど、追加公演も含み過去最大規模の全26公演となったホール&アリーナ・ツアーは、すべてソールド・アウト。サブスクリプション・サービス時代のヒット・アーティストであることは間違いないにせよ、2019年の年の瀬も迫ったタイミングでのあいみょんには、そうしたイシューを超え、純粋に曲と生きるスタンスに共鳴するファンが大半であることを痛感した。今回は2019年ラストとなる横浜アリーナ公演初日をレポートする。

会場の内外でアーティスト・グッズのタオルを広げて記念撮影するグループ、開演が迫ってきても長蛇の列が続く物販、フォト・スポットも盛況で、ちょっとしたフェスのようなムードが醸し出されている。

ざわめきが怒濤の歓声に変わったのは、暗転後赤い幕が開き、イントロが鳴り、すでにあいみょんもバンドも位置についていたその瞬間だ。「ら、のはなし」というピアノや鐘の音がクリスマス・シーズンにフィットする選曲が心憎い。6台のミラーボールが放つ光は夜空に瞬く星のようでもあった。どちらかと言えば歌詞の内容は相反するイメージで、彼女の歌声も淡々としている。そこからセンシュアルな「今夜このまま」で柔らかなムードに移行。これまで以上に、曲の主人公が立体的に立ち上がるように、声の表現力を増していることがアリーナ規模でも明確にわかる。男性の一人称と女性の一人称の違いだけではなく、同じ女性でも甘やかだったり、強めだったり、各々の楽曲の主人公の気持ちやキャラクターに没入できるヴォーカリストとしての進化は、この日の全編で実感できたことだ。

左右のヴィジョンにあいみょんが大写しになってからは、センターもアリーナもスタンドも、歓声はさらに大きくなる。アリーナだが、椅子席のライヴで、オペラ・グラスを借りている人もそこそこ見かけた。その光景は普遍的なコンサートの様子に近く、歌を聴き、心待ちにしていたアーティストの生の姿を見るという、世代を超えたエンターテイメントの姿でもある。アーティスト・パワーにも様々な種類があるけれど、あいみょんのそれは今も昔も色褪せない種類のそれだ。

恋愛についての曲を、必然性を持って数多く作っているあいみょんだが、ライヴの前半は特に恋愛の様々な時期、角度、心の変化にフォーカスした曲が続いた。洒脱なファンクネスを纏ったグルーヴィな人気曲「愛を伝えたいだとか」での、バンド・アンサンブルの抜き差しはツアーを経て仕上がっている様子で、ギター・カッティングと跳ねるベースに乗せて、少し突き放すようなあいみょんのヴォーカルも映える。リリース当時からレパートリーの中で異彩を放ちつつ、人気の高いこの曲がライヴで完成を迎えたようで嬉しくなった。「二人だけの国」ではエレクトロニックなサウンドが新鮮で、背景に縦書きの明朝体で歌詞を映し出すなど見どころ満載。漢字が多い歌詞と先端のサウンドの組み合わせもユニークで、浮世離れした詞を乗せたふわっとした歌唱とも相性がいい。

最初のMCでは"アリーナでも会話できますね"と話すと、最も遠くのスタンドから絶叫が聴こえ、"死ぬ間際みたいな声!"と場内を笑わせる。ファンに親子、兄弟姉妹、友達、カップル、夫婦どんな人たちが来ているのか尋ねつつ、"あいみょんきっかけでご結婚された方がいるという噂もありますが?"という問いかけには一瞬間が。"思い上がってますね"とまた笑わせたが、カップルは今後そういうことも大いにあり得るだろう。

アルバム『瞬間的シックスセンス』の中でも、彼女が悔しさをガソリンに書いた「ひかりもの」では男女問わずシンガロングが起こった。ハイティーンから20代前半ぐらいの世代には特に、若さゆえに裏切られたり、痛い目にあったりする現実に自分を重ね合わせているファンが多いのだろう。圧は強めだが、恨み節にならないあいみょんの歌いっぷりが逆に凄みを感じさせた。曲が終わり、暗転すると彼女ひとりを後方からピンスポットが照らし出し、弾き語りで「生きていたんだよな」をさらっと歌い出す。セリフ部分が明確に聴こえて身体が強張るような緊張感が走ると同時に、最後に自分の意志で飛んだ女の子と傍観者の視点が交錯して落涙してしまう。悲しいだけではない感覚を立ち上がらせるこの曲のすごさは、回を重ねるごとにまだまだ研ぎ澄まされている。そして、スペシャルな選曲として、敬愛する岡本太郎の太陽の塔のもとで歌って、恥ずかしくない人間でいたいという「Tower of the Sun」。スタイルとしては吉田拓郎のような字余りフォークだが、若いリスナーでなくても、新鮮に聴こえたはずだ。それにしてもあいみょんの音楽的なレンジは広い。さらにもう1曲、ピアニカを加えての「恋をしたから」ではあいみょんのアコギの繊細なプレイも素晴らしかった。弾き語りは曲の骨格が明快で歌が聴こえるので、アリーナ規模でも、いやむしろアリーナでは会場全体が集中してステージを見つめていて、目の前の人に届けるような歌と共にひとつの世界が完成していた。

さらには懐かしいナンバーをバンドのアコースティック・セットで聴かせる場面も。女の子や、女の子を持つお母さんやお父さんにもつくづく響いたであろう「おっぱい」。成長と恥ずかしさと、恋への助走。それがどれだけ愛しいものか、それを突き詰めて歌にできるあいみょんの才能や妙な偏見のなさに感動した。おっぱいなんてワードを母性寄りじゃなく、まっすぐに愛しく書ける女性シンガー・ソングライターなんて今も昔もいたのだろうか。

後半は広いアリーナをロック・スターばりに沸き立たせるタームに突入。「夢追いベンガル」ではハンドマイクで歌いながらステージ左右の花道から走り、スタンドのファンとハイタッチするたびに会場全体から悲鳴が上がる。一転「マリーゴールド」では、メロディの美しさと情景が浮かび上がるような曲展開をじっくり味わわせてくれた。

最後のMCでは"4年前頃はライヴハウスでもお客さん10人とかだったのが、今そのライヴハウス何個分? 1万3,000人ですか? ほんまにありがたい。私は会場が広くなるほどみんながめちゃめちゃ近くなってると思うんですよ。今日初めて動いてる私を見る人もいると思うんですけど"と生で会える人が増えるなら存在が遠くなるわけじゃないという実感を真摯に話した。実際そうなのだ。恋すること、生きること、憎んだり、愛したり、そのすべてを妥協のない言葉と音で捕まえて歌うあいみょん自身は、人としての変化こそあれ、ひとつでも多く作品を残したいだけなのだと思う。

目下の最新曲「空の青さを知る人よ」でのニュートラルで温かい声から、レア・グルーヴ感満載の「満月の夜なら」を経て、"ずっと大事に歌ってきた曲です"と紹介した「君はロックを聴かない」では、ファンに歌うことを促すまでもなく、サビのシンガロングはこの日マックスに。今やあいみょんの歌で"恋を乗り越えてきた"ファンも多いだろう。きっと"この曲いいから聴いて"と友達に勧めたファンもいるだろう。そうした確かな積み重ねがこの日の1万3,000人という結果、今回のツアー全公演のソールド・アウトにも繋がっている。

ラストはここにいる全世代がクラップしてダンスする「GOOD NIGHT BABY」。女の子からすれば焦れったいような愛おしいような男の子の気持ちが、ライヴでの再会を願う気持ちと重なってアリーナ中が最大の愛情を溢れさせている。洋楽的なポップ・ナンバーということもあり、どこか海外の、年齢を重ねてもライヴに足を運ぶ、様々な年齢のオーディエンスが集まるライヴを思い出した。曲ごとにライティングや背景のヴィジョンなどイメージの広がる演出こそあったが、アミューズメント的な演出はない。何よりあいみょんの楽曲が聴き手の心に映像を投影するからだ。本編のみ22曲。あっという間の2時間だった。

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