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INTERVIEW

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草野華余子

草野華余子

Interviewer:山口 哲生

-草野さんのこれまでのお話を聞いて、今回のアルバム『Life is like a rolling stone』の1曲目になっている、「それでも、まだ」の歌詞がすごく腑に落ちました。この言葉を本気で書く人なんだなって。

うわぁー! 嬉しい! 飲みに行きたい!

-(笑)"何も救えない音楽の中に/ぽつりぽつりと血潮を流し込む/この一滴が誰かに伝ったら/それがわたしの生きる意味になる"という。

そうなんですよね。結局、音楽じゃ何も救えなかったんです。これまで"音楽じゃ飯は食えない"っていうことを何回も曲に書いてきたし、私自身が誰よりもそれを知っているので。だけど、それでもまだJ-POPを歌いたいという意思表明の曲なので、アルバムの1曲目にしました。

-その意志がものすごく伝わってくる歌詞なんですけど、緊張と緩和といいますか。出だしは緊張しているんだけど、その次の"涙の数だけ強くはなれないし"から"時には起こしてみたい、ムーヴメント"で、ニヤリとさせて緩ませつつ、Bメロでまたちょっと締めて、サビはとにかくキャッチーにという緩急のつけ方がすごく面白くて。

作ったときの狙い、全部喋られて今びっくりしてます(笑)。

-(笑)

本当にその通りなんですよ。今回のアルバムのコンセプトは"純 J-POP"なんですけど、今、J-POPと言われているものって、いろんな種類があるじゃないですか。ボカロ発信のものがあったり、ダンス・ビート出身のものがあったりして、もう一概に言えなくなってきているJ-POPの中で、歌謡曲や演歌の流れを引き継いだ、純度の高いJ-POPを作ろうと思っていたんです。だから、そういった"純 J-POP"が最高だった時代──例えば、小室哲哉さんとかがものすごくパワーを発揮していらっしゃった、90年代のJ-POPの歌詞のオマージュを入れようと思って、そこを書きました。

-メッセージはハッキリと伝えつつも、自分の想いをただ書き連ねていくだけではなくて、そういったオマージュを入れていたり、俯瞰的な目線もある歌詞だなと思いました。

アルバムに参加してくれているヒグチアイとは10年来の親友なんですけど、私の歌詞って全部が真っ赤で、私はこうする! 絶対にこうなんだ! って、悪い言い方をすると押しつけみたいに感じる瞬間があるというのを、ヒグチアイは歌詞の先輩なので教えてくれて、なるほどなって思うときがありました。人が感情移入する隙間って、やっぱり俯瞰的目線から生まれるから、自分としてはこう思ってはいるんだけど、この言葉はどうなんだろうというのを考えられるようになってきたんです。そこは楽曲提供のおかげだと思っていて。だから、今回のアルバムは、シンガーの草野華余子に、作曲家の草野華余子が楽曲提供したという形が一番正しいかもしれないですね。今までは自発的に、自分の欲求だけで書いていたんですけど、今回はどうやったらファンのみんなが喜んでくれるだろうか、私が何を歌うとかっこいいのか、作家として見ていたところがあるので。

-でも、"純J-POP"というコンセプトでアルバムを作ろうと思ったのはなぜなんですか?

いろんな楽曲を提供させていただいてきたなかで、ファンのみんなが"華余子節"という言葉を生み出してくれたんですよね。いわゆる楽曲派と言われるオタクのみなさんとかが、"この曲、もしかして華余子さんかな......やっぱり華余子さんだ!"と言ってくれるようになったものってなんなんだろうって、自分なりに分析してみたんです。そしたら、なるほど、こういうことかっていうのが何個かあって。それを総合して呼ぶとなんだろうと思ったときに、J-POPだと思ったんですよ。1回聴いたら忘れられなくて、リフレインにすごく頼っているメロディでもなく、起承転結があって、ある程度クラシカルなところ。そこはある程度、自分の特色なのかなって。

-ご自身の作風が"純J-POP"でもあったと。

そうですね。すごく奇を衒ったリズムが出てくるわけじゃないけど、メロディの中にストーリーがあるというか。あとは、ちょっと専門的な話になりますけど、4小節ずつや、2小節ずつで区切らないところとか。「紅蓮華」のサビとかはそうなんですけど、そういう作り方をしている曲が多くて。バックトラックや演奏とか、ギターが歪んでいるかどうか、打ち込みとかがどうこうってのはあるんですけど、一貫してメロディはキャッチーだなと自分では感じるので、そこは絶対的にJ-POPかなと思います。

-そんな作品に、草野さんのかねてからの盟友の方々が多数参加されていて。とにかく豪華なメンバーですね。

私にはいろんなフィールドがあるんですよ。まずは、シンガー・ソングライターの界隈。今回のアルバムだと、ヒグチアイとか、それ以外にもたくさんのアーティストの方と出会ったんですけど。一番仲のいいアーティストでいうと、藤原さくらちゃんとはよく会っていて。ほとんど音楽の話はしないんですけど(笑)。そういった、歌を生業として曲を書いている女子の界隈と、バンドマンの界隈。感覚ピエロや、ココロオークションのメンバーにサポートしてもらっていた時期もありましたし、あとはmemento森の宮地(慧/Vo)君とか、ヒップホップ界隈に近い友達も多くて。あと、UNISON SQUARE GARDENの田淵(智也)さんや、堀江晶太(PENGUIN RESEARCH/Ba)君は、楽曲提供をしていくなかでクリエイター仲間として出会った方々で。そのすべてのフィールドが今の私を構築してくれているから、その全部を詰め込みたいなと思っていました。

-曲を作った時点で、"あの人にお願いしたい"というイメージがパっと浮かびました?

そうですね。でも、イレギュラーなものもあって。ヒグチアイとは"いつかデュエットしたいね"、"そのときがきたらしよう"という話をずっとしていたし、memento森の宮地君とは、去年緊急事態宣言が出ていたときにリモート飲みをしていて、"1曲作るか!"っていうことになって。じゃあ、電波に乗せて作るから、"Wi-Fi"っていう曲を作る! っていうところから始めて、ミックスも福岡にいる岸田(岸田教団&THE明星ロケッツ/Ba)さんと遠隔でやりとりして、1曲完成させたんです。そんな偶然みたいなものもありましたけど、この曲はこの人にお願いしたいというのは、自然と出てきました。

-その中でも岸田教団&THE明星ロケッツの岸田さんは編曲、演奏、エンジニアと様々な形で参加されていますね。ご本人も"全面的な参加"とコメントを寄せられていて。

大喧嘩しながら作ってました(笑)。親友と呼べる人なので、歯に衣着せぬじゃないですけど、言われたくないこともいっぱい言ってくれるんですよ。"歌詞の真意が伝わりにくい"とか、"これだけいい曲を書けるのに売れなかったんは、お前の歌やな"とか、レコーディング中に言われたりとかするから、何くそ! って思ってたんですけど。

-なかなか手厳しいですね(苦笑)。

でも、的を射てるんですよ。岸田さんはおべっかで褒めたり、テンションを上げるために嘘を言ったりしないから、とにかく信頼してるんです。すごくはっきり言ってくれるし、音楽ってまどろっこしく気を遣いながらやるものでもないのかなって。もちろん、初めての方とお仕事をするときは、社会性を持ってちゃんとしなきゃと思うんですけど、私と岸田さんの間柄となると、言葉の殴り合いみたいになるというか(笑)。私は、最近は岸田さんのプロジェクトも手伝っていて、彼が最初に曲をあげてきたときに、"つまらんメロディ書いてきてんな?"とか言うし(笑)。

-(笑)お互い思ったことをはっきり言い合うと。

そうそう。でも、嫌な気ひとつしないんで、そこはすごくやりやすかったですよ。"めっちゃいいと思うねんけど、ここ、1音だけ変えてくれへん?"の"めっちゃいいと思うねんけど"がいらないから(笑)。

-たしかにそれは楽ですね。

お互い何も言わなくても、MIDIのデータを聴くと、どうしてそうなったのかがわかるんですよね。そこは堀江晶太君もそうなんですけど、修正をするときも"どっちがいいと思います?"、"こっち"、"なるほど、歌メロを引き立たせたいのね"っていう。そういうやりとりができたし、楽しかったですね。

-先ほどお名前が挙がった中からお話を聞いていくと、ヒグチアイさんとは「カランコエ・モノディ feat. ヒグチアイ」という曲を作られていて。おふたりの歌声とピアノとストリングスが美しいミディアム・ナンバーですが、内容としては生きていくことを歌っていて。サビの"ただ死に場所を探して"という歌詞もかなりインパクトがあります。

私とヒグチアイが歌うならどんな曲だろうというディスカッションをしていたときに、やっぱり"死生観"だなと。私は、死ぬ場所は自分で決めたいと思って生きているんですよね。生きて生きて、生き抜いた先で、息絶える場所は自分で決めたいというのが私の思想であって、生きるほうから死を見ているんです。けど、ヒグチアイの場合は、常に死という存在が隣にあって、いつか死ぬ日まで生きていきたいという。だから、言っていることは同じなんですけど、捉え方が逆なんですよ。それが混ざり合う曲になればいいんじゃないかなって。それで、ヒグチと歌うからヒグチに似合う曲を書いたんですけど、やっぱりデモの段階ではヒグチのほうが歌うのが上手かったんです。それを岸田さんに相談したら、"このままだとヒグチアイの持っている「死」に飲み込まれるぞ"と言われまして(笑)。

-パンチのある表現ですね(笑)。

私の声はわりとドンシャリで刺激的な声をしているので、ヒグチアイのふくよかで丸い声に飲み込まれてしまうと。じゃあ、ここは"我が生涯に一片の悔いなし"のラオウ("北斗の拳")形式でいこうということで、エモーショナルに歌いました。なので、オケに対して私の歌はパワフルで、ヒグチアイは淡々としているという対比の見えるデュエットになってますね。