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INTERVIEW

Japanese

sympathy

2018年12月号掲載

sympathy

Member:柴田 ゆう(Vo/Gt) 田口 かやな(Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

-たしかに、「赤いスポーツカー」、「今年も夏が終わる」がモダンなポップスの感じもあるので、よりその勢いが引き立つ、今のsympathyのバンド感が伝わる曲にもなったなと思いますね。その「赤いスポーツカー」、「今年も夏が終わる」の2曲は、かなり印象的にも新しい曲だなと。

柴田:「赤いスポーツカー」と「今年も夏が終わる」は私が作っていて。「赤いスポーツカー」は、実は1~2年前にはできあがっていたんですけど、私自身が当時あまり気に入ってなかったんです。帰り道に口ずさんでて、勢いでできちゃった曲だったので。これは世に出さなくてもいいかなっていう気持ちだったんですけど。みんなが"絶対出した方がいい"って言ってくれて。"そう? じゃあ"という感じでした(笑)。そしたら、めっちゃ良くなったっていう。

-アレンジの感じも当時から今のような、都会的な感じをイメージしていたんですか。

柴田:あまり考えてなかったですね。ここはこうしたいとか、短めの曲で最後まで勢いで駆け抜ける感じというくらいで。この曲は、イメージ的には病弱な女の人のイメージをしていて──

-え、そうだったんですか。

柴田:ジブリのアニメとかで自宅療養するとか山で療養するとかあるじゃないですか、ああいう感じで。あと車のCMとかで崖のところを走ったりするあの感じが掛け合わさったんです。窓の外を見ると壮大な海があって、きれいな月が浮かんでいて、看護師さんと医者が見ているところから逃げ出したくて。延命をとるか、恋をとるかっていうイメージなんです。スポーツカーで逃げ出す、駆け落ちするかっていうイメージで作った曲なんですよ。

田口:意外じゃないですか? 私もそうですけど、他のメンバーも、もっと夜の街の高速道路とかをスポーツカーが走ってるイメージをしていたんですけど。山で療養をしていてっていう話を聞いて、"えぇー!? そうなんや"みたいな(笑)。

-たしかに(笑)。この都会的なサウンドとスポーツカーのイメージってそんな感じですよね。

柴田:そうですね(笑)。ただ私の中でのテーマとしては、今をとるか未来をとるかっていうイメージで作った曲だったので。これは恋愛の曲として外せないなと思って、今回のアルバムに入れたんです。

-恋愛っていうことでは柴田さんが、アルバムのコメントを出していたじゃないですか。それが、パンチがあってすごく印象的だったんですよね(笑)。特に結びの"愛と絶望を教えてくださり ありがとうございました 今迄の男共。"っていう。

柴田:はははは(笑)。絶対に印象に残るコメントを出したいなって。自分的にも時間が経つと気持ちを忘れちゃうし。だから、絶対に忘れないような言葉にしようって思ったら、長文で、毒を入れたようなものになって。男共の"共"っていうのは、付けたかったです。

田口:ひとりじゃないんだね。

-いろんな経験があってこういう曲たちが仕上がったんだなっていうのは、わかります。

柴田:そうですね。いろんなことがあっても、愛することはやめられないっていうのはキーワードなんです。この"共"っていう言葉は、軽蔑も愛情も、憎みもあるけれど、愛を教えてくれた人たちで。それでも、私は愛することをやめられないなって思ったので、絶対にこの"共"というのは入れたかったんですよね。

-その、いろんなことがあっても愛することはやめられないっていうのは、このアルバムだと「最後の人」によくその感じが出てますね。

柴田:これは田口の曲なんですけど、できたのを聴いて家でずっと泣いてました。"いい曲すぎるー!"って。

田口:ありがとう。

柴田:それぞれが作詞作曲をするので、それぞれが経験してきたことや、文学や音楽的な影響はわかれているんです。全然違うから、まったく違う曲や才能に、感動するっていうか。この「最後の人」は、私はこんなふうに素直には書けないので。聴いていても、自分のことに重ねられる音楽ってこんなに染みるんだって実感したんです。これは絶対にアルバムに入れたいし、残したいなって思ったんですよね。

-先ほど柴田さんが話していたようなことがすごく歌詞になっていたので、そこはシンクロするところなのかなって思っていたんです。

田口:そうですね、同じ方向性があるかな。

柴田:めちゃくちゃびっくりしたのが、私が失恋して、それも散々な振られ方をしたときにこの「最後の人」がきて。そのテーマが許すことだったんですよね。あぁ、すごくいい歌詞を書くなって、自分に重ねながら聴いていたんです。音楽があったから、田口が書いた「最後の人」があったから救われたときはありましたね。

-田口さんは、どういう思いでこの曲を書いていたんですか。

田口:これは私の主観的な部分もあるといえばあるんですけど、それを客観的に見て書いていて。ひとりの人間として恋愛をして、恋愛の始まりから終わりがあって、でも恋愛の始まりや終わりを書くことはあるけど、終わったあとのことって......。

柴田:執着する曲はあっても、"許そう"っていう気持ちにはなかなかなれないかな。

-終わったばかりだと特にそういう気分にはなれないですね。ふたりの日常にあったリアルな描写とかもあるからなおさら。

田口:そう。そこを描きたいなと思っていたんです。そこに自分の経験とかも、投影して書いたんですけど。この「最後の人」は、終わったところから始まるっていうのを意識して、曲を仕上げた感じでした。

-冷静で客観的には書いているけれど、田口さん自身のタイプとしてはどうなんでしょう。こんなふうに許す、っていうことができる感じですか。

田口:そこは、時間が解決するかなって思いますね(笑)。

-同じく田口さんの曲で、先ほどの「スクールガール・コンプレックス」はどんな思いで書いた曲だったんですか。

田口:今はSNSがあって、誰かの情報が誰でも見れるじゃないですか。例えば、彼氏とか彼女の写真を載せていたのに、1週間したらそれが全部消えているみたいなこともあったりとか(笑)、お金を払って彼氏になってもらう、レンタル彼氏とかがあったり。そういうものの価値、人の価値ってどうなんだろう? って考え始めて書いたのが、この歌詞で。

-それで、"安くて可愛いぼくの恋人"っていうワードが出てくるんですね。

田口:そうです。本当に愛情ってなんだろうとか、本当にこの人のことを想っているのかな、好きなのかなって、学生のころってそういうのを考えるじゃないですか。でも考えても、中高校生のときって盲目で、そんなこと考えなくても好き! って思えることがあったり、でもこれって、本当の恋愛だったのかなと思うこともあったり。そういう、まだ浮き足立ってるようで、私は本当に好きなのかなとか、わからない部分も抱いているっていうのを、この曲で表現しようと思ったんです。よく"なんとかシンドローム"とかあるじゃないですか。そういう意味合いで、"スクールガール・コンプレックス"って付けて。