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INTERVIEW

Japanese

NECOKICKS

2016年10月号掲載

NECOKICKS

Member:TAKUMI(Gt/Vo) HARA-KUN(Gt/Cho) YU-TA(Ba/Cho) KO-Ki(Dr/Driver)

Interviewer:秦 理絵

地元 長野をこよなく愛する4人組ロック・バンド、NECOKICKSが面白い。結成から3ヶ月で"かっこつけてもかっこつかない"バンドの宿命に気づいた4人は、"背伸びをせずにありのままを鳴らす"バンドへ方向転換。自分たちらしい闘い方を見つけたことが功を奏して、今、ライヴ・シーンで注目を集め始めている。そんなネコキが10月5日にリリースする"本当の意味でのファーストフルアルバム(!?)"『パパはNewギニア』は、ノリの良い四つ打ちのビートにルーツへのリスペクトをたっぷりと込めて、平凡でも懸命に生きる日々を渾身の遊び心で綴った1枚。彼らは純情な田舎者か? 思慮深きロックの反逆者なのか? その正体に迫るSkream!初インタビュー!

-今作はバンドとしては2枚目のアルバムになりますけど、"本当の意味でのファーストフルアルバム!?"というキャッチコピーがついてます。これは?

TAKUMI:前作(2015年リリースの1stアルバム『ネコキ名人スーパーベスト』)がメンバー・チェンジをしたタイミング(※2014年12月にギターのTEPPEIが脱退し、HARA-KUNが加入した)で、過去の曲を新しいギターの音で録ったので、再録がメインだったんです。それで今回は人生で初めての全部新曲で作るアルバムだったので、そういうキャッチコピーにしました。

-では、まず今作に至るまでのバンドの活動の経緯を教えてもらえますか?

TAKUMI:2011年に結成したんですけど、それぞれ長野県で別のバンドをやってたんです。そのときから何度か顔を合わせる仲間だったんですけど、"東京に行って、このメンツが集まったらやべぇな"みたいな話をしてたんです。そのあと、みんな何事もなく東京の学校に進学したから、"じゃあ、集まろうか"っていう感じになりましたね。

YU-TA:3月の終わりだったよね。

TAKUMI:とりあえず池袋のスタジオに入ったんですけど、そこから1ヶ月後にライヴをやるって決めちゃったんですよ。

-え? まだ曲も作ってない状態ですよね?

TAKUMI:なかったんですけど(笑)。"いけるっしょ!"みたいな。

KO-Ki:自信だけは持って東京に来てたんです。

TAKUMI:田舎者の怖いところですね。で、実際に4曲だけ作って、なんとか初ライヴを終えたんですけど。その時点で、バンド名が"ディッシュ・ウォッシャーズ・ホリデー"っていう名前だったんです。ダサいんですけど(笑)。その初ライヴのときに、ライヴハウスの店長さんに感想を聞きに行ったんです。そしたら、"いやー、そもそも名前がダサいから、今すぐ変えよう"って言われて。その場で名前を考え直したんです。

-素直ですね(笑)。

TAKUMI:で、当時、周りでネコを飼ってた人がもてはやされてて。

YU-TA:猫ブームね。

TAKUMI:猫をバンド名に入れたら、きっと女子たちが注目するぞっていう......。

YU-TA:浅はかだったね。

TAKUMI:それで、その場で"NECOKICKS(以下:ネコキ)"にしようって決めたんです。

-最初はどんな音楽をやってたんですか?

TAKUMI:結構かっこつけてたというか......。メロコアとか2ビートをやるバンドが好きだったので、曲調もそっちに寄ってました。かっこいい存在でありたいと思ってたんですけど、3ヶ月ぐらいして"俺らにはちょっと合わないぞ"ってなって。

KO-Ki:自信を持って上京してたし、モテると思ってたんですよ。音楽もやってるし。でも大学生活が始まると、いろんなところで"あれ? 何か違うな"って感じ始めたんです。

YU-TA:田舎の"かっこいい"で通ってたからね。

TAKUMI:そこから、かっこつけるのをやめたんですけど、逆にそれが気持ちよくなっていったんです。このままの自分らのダサい感じもいいじゃん、みたいな。変に劣等感を感じなくなったし、前向きになりましたね。

KO-Ki:素直になったらラクになったよね。

-でも、やっぱりバンドをやってたらかっこつけたいじゃないですか。しかも上京してきた当時は19歳ですよね?

YU-TA:うーん......やっぱり自分らが持ってるものしか使えないんですよ。

TAKUMI:その方が素直に曲も作れたし、泥臭く行った方がライヴも違和感なくできたから、そういうのが受け入れられたきっかけかなと思います。

KO-Ki:逆にもともとの自分たちの方が、らしくなかったんだよね。

TAKUMI:ずっと"ザ・バンドマン"みたいなものに憧れてたから、それが正解だと思ってたんですよ。田舎だとバンドマンは全員同じ格好ですからね。ピチ黒Tにスキニーにスタッズ。髪を立てて、"喧嘩しちゃう?"みたいな。でも東京に来たら、いろいろな音楽があったり、いろんなファッションの人がいたり、自由でいいんだって知ったんです。

-そこから、しばらくは前任のギタリストと4人でライヴ活動をやっていくんですね。

TAKUMI:そのときに僕らが一番力を入れてたのが打ち上げだったんです(笑)。長野の先輩に、とにかく東京に行ったら打ち上げを頑張って、そこで一番目立った奴が音楽業界で生き残っていくんだっていうのを教えてもらったんです。

YU-TA:叩き込まれてきたよね。

TAKUMI:だから打ち上げで派手に騒ぐということを頑張ったんです。

-ホントに素直ですね(笑)。

TAKUMI:そしたら、つらい時期があったんですよ。だいたい(店の)トイレでメンバー同士が会うんです。もう飲みすぎてるし、"どうする? 電車もないし、いや、でも先輩はまだいるし......俺らはなんでこんなことをやらなきゃいけないんだ?"みたいな。

YU-TA:最初の方は病みかけてたね。泣きながら帰ってたもん。

-それは今もやってるんですか?

TAKUMI:今はもう逆に慣れちゃって。先輩とかは面白がってイベントに誘ってくれたりするんですよ。"最近の若手では珍しい、打ち上げが好きなバンドだね"って言ってもらえるから、僕らの武器になったんですけど。結成から3年ぐらいはそんなことばっかり繰り返してて、途中から"もっとちゃんとバンドをやろう"ってなっていったんです。