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INTERVIEW

Japanese

ナードマグネット

2016年06月号掲載

ナードマグネット

Member:須田 亮太(Vo/Gt) 藤井 亮輔(Gt/Cho) 前川 知子(Ba/Cho) 秀村 拓哉(Dr)

Interviewer:山口 智男

結成から10年。現在のラインナップが揃って4年。ついにブレイクの兆しが見えてきた! 大阪を中心にマイペースな活動を続けている男女4人組、ナードマグネットがにわかに吹き始めた追い風を感じながら初の全国流通盤となる1stフル・アルバム『CRAZY, STUPID, LOVE』を完成させた。WEEZERを始めとする90'sパワー・ポップへの愛情をたっぷり注ぎながら、"日本語パワー・ポップ"というありそうでなかったサウンドの魅力をアピールした『CRAZY, STUPID, LOVE』は、メンバーが言うとおりバンドの集大成であると同時に新たな、そして大きな一歩になるに違いない。

-バンドに追い風が吹き始めているそうですね?

須田:バンドマンの仲間たちから支持を得られてきたような気はしてます。"ついにナード(マグネット)が"みたいな(笑)。長い間、地道に活動してきたことを、周りのバンドマンも見てくれていたんでしょうね。全国いろんな場所から応援してもらってるなという感じはあります。

-店舗やライヴ会場限定でリリースした作品が立て続けに売り切れているそうですね。ライヴのお客さんも増えてきたという実感はあるんですか?

須田:最近、増えてきました。

前川:遠征で地方に行っても、お客さんがいっぱい来てくれるので嬉しいです。

-その追い風を今作でさらに、ということだと思うんですけど、初めての全国流通作品で、Skream!初登場でもあるので、ナードマグネットのことからうかがっていきます。2006年に結成されたそうですが、最初はどのように始まったのでしょうか?

須田:秀村と前川と僕が同じ大学の軽音楽部にいて、僕がオリジナルの曲をやりたいと声を掛けてバンドを組んだんですけど、当時は"ただバンドをやりたい"という気持ちしかなくて、具体的に"こういうことをやりたい"という目標が特になかったんです。だから方向性が定まっていない状態がずっと続いてて、数年経ってやっと――大学卒業後も働きながらバンドを続けていたんですけど、前のギターが抜けて、藤井が入ったぐらいから(※2012年11月に加入)今の方向性に固まってきました。前はもっとオルタナっぽい感じだったし、暗い世界観だったんです。前のギタリストはアクが強いこともあってそこに引っ張られる部分もあったんですけど、メンバー・チェンジを機に"自分のやりたいことをもっとやろう"と思い直しました。

前川:だから1stミニ・アルバムの『Songs from the Closed Room』(2007年リリース)は全然違うんですよ。

須田:そのころの音源は今も売ってるんですけど、聴いたらびっくりするんじゃないかってぐらい"ギャー!!"って叫んでるところもあったりして(笑)。

秀村:物販で売る前にひと言断るんですよ、"今と全然ちゃいますけどいいですか?"って(笑)。

-藤井さんが加入したことを機にやりたいことをやろうと思った、その"やりたいこと"とは、今やっているような......?

須田:パワー・ポップがやりたいと思いました。藤井が入る前にそういうモードの曲が数曲できたんです。その曲は特に周りの評判が良かったんですよ。もともと僕はWEEZERが大好きだったので、"こっちの方がいいんじゃないか"と言われたこともあって、自分でもそう思い始めたタイミングでメンバーが変わったので、"じゃあ、もう心機一転だ。一気に行こう"って。

前川:それまでやっていた曲よりもしっくりきたんですよ。それに須田さんにも合ってるんじゃないかと。WEEZERのRivers Cuomo(Vo/Gt)ってホント、須田さんのような人だし(笑)、こっちの方がやっていて楽しいと思いましたし。

秀村:単純に昔よりもいい曲だと思いました。

-藤井さんはどんなふうにメンバーと出会ったんですか?

藤井:飲み会で知り合って、そのあとライヴを観に行ったらすごく良かったんで、最初はただのファンだったんですけど(笑)、ギターが辞めることになって、"暇そうなギタリストおったで"って感じで誘われました。僕もちょうど前にやっていたバンドが解散して、しばらくフラフラしていたところだったんです。

-"ありそうでなかった日本語パワー・ポップ・バンド"って資料にあって、ああ、たしかにそうだ。こういうバンドってあまりいないんじゃないかと思ったんですけど、日本語の歌詞は最初から?

須田:もともとやっていた曲も日本語詞だったので、パワー・ポップっぽい曲を作り始めたときもそのまま日本語詞で作ってみたらうまいこといったんですよ。でも、よく考えたら、こういうバンドって他にいないよなって。パワー・ポップっぽいバンドっていると思うんですけど、他の要素が入ってきてちょっと違う感じになる中、僕らは影響を受けたものをモロに出しているので、そこに日本語が乗るとやっぱり新鮮なんじゃないかなって思います。

-じゃあ90年代のパワー・ポップやグランジの影響をストレートに出しているのは意識的に?

須田:"それが入り口になってくれたらいいな"と思うほど完全に意識してます。僕らを先に知った人が、あとから元ネタを知って、"これ、アレじゃね?"という楽しみ方をしてもらえた方が僕は嬉しいです。日本人ってそのへんは"パクリわろた"という反応で(笑)、ネットで叩かれがちですけど、"いやいや、それこそがポップ・ミュージックの醍醐味じゃないの"って僕は思うんですよね。ポップ・ミュージックの歴史って極端なことを言えば、"パクリの歴史"だと思ってるんで、そうやって過去のものを受け継いで伝えていく役割は、誰かがやらなきゃいけないですよね。