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INTERVIEW

Japanese

LILY

2015年08月号掲載

LILY

Member:福島 拓也(Vo/Gt) パンチ(Dr)

Interviewer:山元翔一

これはLILYというバンドの傷だらけの歴史だ。これまで世に出るチャンスが幾度となくありながらも運命のいたずらが彼らを翻弄してきた。バンドにとって身を削がれるような大きな別れを、そして苦悩や悔しさに満ちた日々を乗り越えて彼らはようやく、自身を"Cocoon=サナギ"に見立て"羽化する"という意味を込めた今作で世に羽ばたく準備を整えることができた。彼らが渾身の思いを込めて綴るのは応援歌。聴き手を選ぶことなく胸に直接響く楽曲とその背景にグッと迫るべく彼らの足跡を辿っていきたい。

-まず、基本的なところからうかがいたいんですが、LILYの結成の経緯について教えてください。

福島:僕はずっと音楽を昔からやっていたんですが、ギターを始めたのがオヤジの影響で、小学生くらいのときだったんですよ。中学校に入って"Hi-STANDARDのコピー・バンドやりたいからちょっとギター弾いてくれよ"って先輩に言われてバンドをやって。人が出す楽器の音だけで、ああいうエネルギーのあるものができ上がるってことが信じられなかったんですよね。それがすごく面白いなと思ってバンドを始めました。高校上がったあとも自分でバンドやっていたんですけど、進路とか、自分が大学に行くとかの関係もあって、高校卒業したタイミングでメンバーがいなくなっちゃって。そのときに、よく出てたライヴハウスで、"いいドラムがいるよ"って紹介されたのがパンチだったんです。

パンチ:途中参入ですね。

福島:なので結局いつからこのLILYってバンドがあるかって言われるとなんとも言えないんです。僕が大学2年生でハタチ。パンチが18歳のときが結成になるのかもしれないです。

-福島さんの音楽活動みたいな感じでスタートしたんですね。それで、そのLILYって名前を名づけた理由は何だったのでしょうか。

福島:本当に大したことなくて。バンド・メンバーでアミダクジで決めようかって言って決めて。その名前の形を整えてLILYになったんです。そこから始まったんですけど、バンドの名前を変える踏ん切りがつかなくて。今までやってきたことをうやむやにしたくないままにずっとやってきているって感じですね。

-なるほど。ではパンチさんの音楽活動を始めるきっかけって何だったのでしょうか?

パンチ:もともとはラップしか聴いてなかったんですが、中学校3年の終わりぐらいに、ちょうどテレビでLED ZEPPELINのライヴ映像が流れてて、すごく衝撃を受けて。でも最初は、ドラムじゃなくてギターだったんですよ。ちょっとこれはやるしかないってギターを始めたんですけど、"なんでこんなにコード弾けねぇんだろ"って思って。たまたま軽音部に入ってたのでドラムが置いてあって、叩いてみたら、"あ、こっちの方が全然簡単にできちゃう。叩けるし楽しい"みたいなところから始まりましたね。

-(笑)ドラムが自分の中で合っていたってことですね。作詞作曲は福島さんが行っているとのことですが、制作ってどういった形で進めていくんですか?

福島:制作は年々変わってくんですけど、最近はワンコーラス作ってそれを自分の中で形にするんです。形にしたものをパンチだったり、もうひとりのサポート・メンバーに渡して。その時点ではドラムとかは打ち込みでずっと同じパターンなんです。それにパンチがドラム叩いて、ベースも入れて、僕がもう1回歌を乗せてっていう形で作っていますね。なので、曲のストック数はとんでもないことになってます。

-ちなみに資料に"幼少期より培われた音楽的素養"ってあったんですけど、詳しく教えてもらっていいですか。どれぐらい作曲歴があるんですか?

福島:作曲を始めたのは、1番最初に曲を作ったのは小学校5年生のときです。3歳くらいからピアノやってたんですけど......僕、実家がものすごい田舎で。鹿もイノシシも出るようなところに住んでたから近所に友達とかいないくて。従兄弟がいたんけど、僕よりちょっと年上なので、友達がいるんですよね。親族の集まりとか会ったときに、従兄弟が友達の話をするわけですよ。それで俺も友達欲しいって泣いたんですよね。そしたら何か習い事すればいいってなってことになって。幼稚園上がる前にできることっていうと、習字かピアノしかなかったんですよ。

-ああ、なるほど(笑)。

福島:でも習字はなんか嫌だったんでしょうね。それで、ピアノを始めたのが3歳です。これが本当に音楽の1番最初のきっかけで。小学校3年生くらいのときには、J-POPの曲は楽譜がなくても弾けるようになったんですよ。ただそのときに田舎なので、男のくせにピアノをやってるって謎のイジメにあうわけですよ。そしたら、オヤジがそのときBOØWYのコピー・バンドをやってて。僕ら群馬出身なんですけど、BOØWYがお国自慢じゃないですけど、出てくるじゃないですか、それで、BOØWYのコピバンをやってギターを持つわけですよ。初めてギターに触ったのが、小学校4年生ぐらいのときで、やっぱりコードのFが押さえられないですよ。ただピアノをやってたんで、ピアノより簡単に感じちゃったんですよね。コード本みたいなやつを一生懸命やってたら、4つコード弾けたら弾ける曲なんかがあったんですよ。いろんなJ-POPの曲をコピーしてるうちに、"これ俺でも作れるんじゃねーの"と思って作ったのが初めてですかね。

-ちなみにJ-POPの曲って具体的にいうとどういったところになるんですか?

福島:オヤジの影響が強いので、1番最初にコピーしたのは福山雅治さんだったり、次はサザンオールスターズをコピーして、よく聴いてたのはモーニング娘。でした(笑)。

-作曲歴でいうと10年以上はありますよね。

福島:そうですね。リリースするまでどんだけ時間かかったんだろうね。

-そのことについて聞こうと思ったんですが、今作『Cocoon』の前に、5枚も自主でリリースされてますよね。ここに至るまでの話をお聞きしたいのですが、パンチさんが加入されてからこの5枚を作ったんですか?

パンチ:いや、まだもっと昔のもあったりします。

福島:きちんとパッケージして、自分たちでプレスかけたのが5枚なんですけど。その前にCD-R焼いたりとかっていうのを入れたら10枚くらい自主でやりました。