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INTERVIEW

Japanese

Galileo Galilei

2012年01月号掲載

Galileo Galilei

メンバー:尾崎 雄貴, 佐孝 仁司, 尾崎 和樹, 岩井 郁人, 野口 一雅

インタビュアー:沖 さやこ


-"とんとん拍子" "順風満帆"という風に見えましたけど、バンドの内部は全然違ったんですね。

雄貴:閃光ライオットに出てみたら、グランプリを受賞して。そこから大きなライヴに出たりたくさんリリースをしたり、バンドを取り巻く環境が変わって。俺らがそのとき17~19歳とかで、年頃的にはその頃にもっともっと時間を掛けて音楽を聴く幅や表現の幅を広げていって、深くなっていく時期のはずだったんだけど。バンドを組んですぐの、そこで作ってたオリジナルが評価されてしまったんで......ギャップに苦しんだっていうか。自分たちがどんどん音楽を堀り進んでって、いろんなことを知っていくたびに、どんどんどんどん自分たちがやってる音楽と好きな音楽がどんどん分離してって。結構東京にいた間はずっとそれに苦しんでた記憶しかないです(苦笑)。

岩井:1年前のデビューしたての頃、いろいろ取材をやらせてもらったとき"このときのことを忘れないようにしよう"って画鋲でそのときのポラロイドを貼ってあるんです。でもそこに写ってるみんながね。頬はこけてるし、目ェギラギラしてるし(苦笑)。

佐孝:現時点の体重の5、6kgくらい痩せてて。

-そうですか......。自分たちが自分たちでいられないって、つらいですよね。

雄貴:嘘を吐いている気もしたし。だから、本音を言えば、1回全部投げ捨てて自分たちの修行の時間にもう1回戻りたかった。その気持ちっていうのは今も正直あるんですけど......でもやっぱり、そこで続けてて良かったなっていうか。それによって今のわんわんスタジオがあって。やっと、ゆっくり自分たちの表現したいものを、表現するためのスキルを育てる場所が作れたんで。こっからかなって気は凄くしてるんです。

-じゃあそれで札幌行きを決心したのですか?

雄貴:もともとは札幌に行こうとは思ってなくて。引っ越してから"スタジオに入る"っていうのが馴染めなかったんです。お金払って、ケーブル借りて......っていちいちやって、時間になったら"早く出てって下さーい"って。

-そうですよね、それまでは佐孝さんのおうちで自由に出来ていたんですものね。

佐孝:はい(笑)。

雄貴:だからもう自分たちで探して作ろうぜって。最初は東京でいろいろ探したんですけど理想の物件がなくて、結局北海道がいいんじゃないかって。札幌って雪降る場所なんで、家に車庫がついてて当然なんですよ。断熱材のお陰なのか分からないですけど東京の物件に比べると全然響かなくて。ある程度のファミリー系の家なら爆音でCD流したりしても外で確認しても全然聴こえないし。スタッフもガリレオが東京で曲作れなくなってきてるのは知ってたんで......そこでスタッフに"駄目だ"って言われたら俺らもブッ潰れるしかなかった。そういう理想の場所を手に入れるために死に物狂いだったんです。あたたかみのある家族っぽい感じの家を選んで、ガレージも引っ越した当初は本当にただの汚い車庫だったんですけど、みんなで床に絨毯敷いて。俺らのこと孫みたいに可愛がってくれてる札幌のレコスタの社長さんが防音材を探してくれて。その人の友達の大工さんと一緒にみんなでトンカンやって、出来上がったんです。

-2011年3月にメンバー全員でその理想の地"ガリレオ・ハウス"にお引越しされて、そのときにはもう野口さんもご一緒に。

野口:そうです。3月にはもう一緒に住んで。

雄貴:引っ越すちょっと前くらいに"引っ越すんだしいっそのこと全部新しくしようぜ、メンバー入れちゃおうぜ"ってノリになって。野口くんは岩井くんの組んでたバンドのベースで。岩井くんが"取り敢えずあいつだったら、別にあいつがバンドの中でベース担当しなくたっていいでしょ"って(笑)。

岩井:頑張ってくれるでしょ!って(笑)。

雄貴:野口くんは最初会ったときから凄くやる気があって。でもベース弾けないことに不安を持ってたんですけど、洗脳のように"大丈夫大丈夫"って。俺らの好きなシンセ・ポップ・バンドとかめっちゃ見せて"ベースよりかっこいいっしょ?"ってやってたら、いつの間にかベースよりもシンセサイザーのほうが好きになってて(笑)。

-ははははは(笑)。

雄貴:でも勿論ベースも全然弾けるんで、今回のアルバムのレコーディングでも何曲かベース弾いてたりとかしてたり。結構楽器は最近バラバラになってて。