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INTERVIEW

Japanese

プラグラムハッチ

2024年10月号掲載

プラグラムハッチ

Member:相澤 瞬(Vo/Gt)

Interviewer:山口 哲生

2018年、さらなるパワーアップを図るべく活動休止をしたプラグラムハッチが、昨年秋にカムバック。このたび、再始動後初のフル・アルバム『CITY WAVE』をリリースした。作品題であり、再始動後のテーマとしても掲げている"CITY WAVE"は、"CITY POP×NEW WAVE"の意。かねてよりフロントマンの相澤 瞬が敬愛していた音楽を融合させ、"令和の80s"、"2080年のサウンド"と謳う本作について、じっくりと話を訊いた。

-昨秋に5年ぶりに再始動されたわけですが、そろそろ動こうと思い始めたのはいつ頃でしたか?

もともと、再始動することを前提で活動休止をして、本当は3年ぐらい充電しようと思っていたんですけど、コロナ禍があったじゃないですか。それでなかなかできず、具体的に再始動しようと思ったのは、去年東南アジアにドラム(コウ)と2人でツアーに行ったんですけど、そのときでしたね。

-向こうでどんなことがあったんです?

すこぶる反応が良かったんですよ(笑)。自分たちの曲とパフォーマンスがこんなにウケるんだ? というのを改めて思って。なので、海外向けみたいな方針でやっていこうと思ったのがきっかけでしたね。

-再始動後初のアルバム『CITY WAVE』をリリースされましたが、サポートで参加されていたタニグチハム(Gt)さんとカメダタク(Key)さんが、本作から正式にメンバーとして加入されました。

ギターのタニグチハム君は、僕のソロを手伝ってもらっていて、長年のバンド仲間だったのと、カメダさんはコロナ禍のときに一緒に作家活動をしていて、意思疎通をずっととっていた方で。サポートをお願いするならこの人たちかなと思って、声を掛けたところからですね。

-今作には、活動休止以前の楽曲も収録されていて。例えば、「Tokyoトレンディナイト」は、今作のコンセプトでもある"CITY WAVE"と重なっている部分もありますが、次はこんなアルバムを作りたいというイメージは活動休止前からあったんでしょうか。

ありました。そもそもシティ感が好きで、そこに向かっていきたいと思って動いていて。それが具体的になったのは今作のコンセプトを決めてからですけど、もともと少しずつそっち側に寄っていって、いずれそういった毛色のアルバムを作りたいとは思ってましたね。

-"CITY WAVE=CITY POP×NEW WAVE"ってコンセプトは、もともと相澤さんご自身が好きな音楽でもあるし、先程おっしゃっていた"海外向け"というのは、日本のシティ・ポップは海外からの人気が高いことも加味しながら、という。

そうですね。自分のやりたいことと、海外のここ何年かの盛り上がりがマッチした感じというか。

-同じく活動休止前に発表された「おいでプラシーボ」も収録されていますけど、この曲を作った当時もアルバムのイメージは漠然とあったんですか?

あの曲はシティ・ポップというよりはニュー・ウェーヴ寄りというか。MVも80年代のポップスのパロディ的な感じですし。だから80年代のシンセ・ポップみたいな感じは、その頃から想定していたかもしれないですね。

-以前から構想があったということは、曲としては最近作ったものが多いのか、過去のものが多いのか、どんな感じなんですか?

「Night Night Dive」、「青山Dancing物語」、「Goodbye Rainy Bay」、「生きかえる」は完全新曲ですね。「この町」は『おいでプラシーボ』(2017年リリースのシングル)のカップリングで、「道なき道」は『Tokyoトレンディナイト』(2018年リリースのシングル)のカップリングなんですけど、シンセを入れてミックスし直してます。それは「Tokyoトレンディナイト(CITY WAVE Mix)」も同じ感じですね。で、「つばめ MY HOUSE」は、実は14~5年前に作った曲なんですよ。全国デビューする前ぐらい。当時作った会場盤(2011年リリースの『多角的なピープホール』)に入っていたんですけど、すでにシティ感があったんですよね。なので、今作り直したら絶対に合うなと思って入れました。あと、「ジオラマ都市」も「つばめ MY HOUSE」と同じ時期に作っていた曲で、CDのみに入っている「Taxi Meter」は、全部自分で打ち込んで作りました。

-なるほど。今作のような音楽は、実は14~5年前からやりたかったものでもあるんですか?

昔はもっと漠然としていたんですよ。もともとはギター・ロックみたいなところから始まったんですけど、歌謡曲が好きだなと思って歌謡曲テイストになっていって。でも、歌謡曲と言っても何十年と歴史があるじゃないですか。その中でも僕は、80年代の、音が洗練されてきた時期が好きだなって、途中から思うようになって。それを取り入れたっていう感じでしたね。

-例えば「つばめ MY HOUSE」だったら、"こんな音像にしたい"ってところは漠然としていて、好きなものをただ形にしていただけだった、というか。

そうですね。好きなものを形にしているんだけど、それを最適化する方法を知らなかった、みたいな感じです。当時と曲の構成はほぼ一緒なんですけど、音像は全然違うと思います。今回はかなり計画して音像を作っていったので。

-アルバムを聴くと、1つの物語を感じるところもあったんですが、全体の構成みたいなものはいろいろと考えられましたか?

最終的には考えたんですけど、最初からガッチリ組み立ててはいなかったですね。質感や世界観のゴールだけ決めておいて、順番は最後に決めました。

-最終的にどう組み立てようと考えたんです?

どんなバンドなのか説明できる順番というか。何が魅力で、どういうメッセージ性なのかが分かる順番にはしましたね。あとは踊れる、とか。

-「Night Night Dive」からアルバムを始めたのは、それこそ踊れるというか、パンチをかますという意味でも、1曲目には強めの曲を置いておこうと。

そうですね。僕の世代的にはイントロのある曲がすごく好きなんですけど、今のカルチャー的には歌から始めるみたいな。単純に80年代をトレースするんじゃなくて、今の時代にもチューニングを合わせたスタートにしました。

-その次に、先程お話のあった「つばめ MY HOUSE」が来て、3曲目の「青山Dancing物語」でまたシティ・ポップみがグっと強くなりますが、この曲は完全新曲とのことでしたね。

もともと「青山Killer物語」っていう曲があるんですよ。昔、菊池桃子さんがRA MUというバンドをやっていたときの曲で、一時期は黒歴史って言われていたんですけど、それが再評価されたんですよね。その「青山Killer物語」のパロティみたいにしたくて。あっちは失恋の曲だけど、こっちはご機嫌なデートな曲にしようっていうところから作っていきました。なので、曲の構成はかなりシティ・ポップをリスペクトして作っていった曲ですね。

-パロディであり、オマージュであり。

そうです。4曲目の「Goodbye Rainy Bay」も、亜蘭知子さんのアルバムみたいな質感にしたいなと思って作ってました。

-今回の収録曲はどれもコーラスがきれいだなと思ったんですが、特に「Goodbye Rainy Bay」からは並々ならぬ気合を感じたんです。

録音していって、もっとコーラスがあったほうがいいなと思って、どんどん足していった感じでしたね。ロック・バンドって足し算になっていくじゃないですか。だから最初は大人みというか、空白を作っていこうかなと思っていたんですけど、足したくなるところは足していった感じでした。

-その後に「おいでプラシーボ」があり、次の「生きかえる」はファンクやソウルの匂いが漂う曲ですけども。

これはシンガポールの友達とLIMP BIZKITを観に行って、かっこいいなと思って作った曲ですね。僕の中のLIMP BIZKITがこれです(笑)。

-ラップ・メタルや、いわゆるミクスチャー・ロックみたいな音楽も好きなんですか?

いや、全然知らなくて。1曲も知らない状況で観に行ったんです。そういうのよくあるんですよ。いつもと全然違うジャンルのライヴを観に行くっていう。そしたらめちゃくちゃかっこ良くて、やりたいなと思って。

-面白いですね。LIMP BIZKITをシティ・ポップやニュー・ウェーヴで解釈したらこうなったって(笑)。"生きかえる"というワードはどんなところから出てきたんですか?

説得力がなくなっちゃうかもしれないんですけど、仮歌のときに歌ってたものが残っただけですね(笑)。タイトルやメイン・テーマを決めてから広げていくことが多いんですよ。で、"生きかえる"っていいなと思って。インパクトがあるし、そういう曲もあんまりないし、これを広げよう、みたいな感じでしたね。