Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

プラグラムハッチ

2015年09月号掲載

プラグラムハッチ

Member:相澤瞬(Vo/Gt) 添田綾香(Gt/Key/Cho) 宮崎達矢(Ba) 藤原寿夫(Dr)

Interviewer:蜂須賀 ちなみ

結成10周年記念アルバムにして、プラグラムハッチ史上初のフル・アルバム『YUCARI』。ライヴ会場限定盤『YUCARI』を再構築した本作は既存曲(再録)+未発表の新曲で構成され、バンドの現在地を赤裸々に暴く作品となった。今回はメンバー4人にメール・インタビューを敢行。決してまっすぐな1本道ではなかったこの10年間を映し出す全12曲が、"縁"、つまり"人と人"に行き着く理由とは。

-まずは相澤さんが音楽を始めたきっかけを教えてください。学生時代はテニス部の部長だったなんて、リア充感がものすごいですが......。

相澤:全然リア充じゃありません......(笑)。たまたま先輩と仲がよかったから部長になっただけで、特に何もしていないと思います......(笑)。そのころの自分は、本当にやりたいことや夢が何もなくて、ずっと空っぽでした。今じゃ考えられないくらい、"生きていてもいいことなんて何もない"とか"死にたい"とか、そんな周りの方に心配かけるようなことばかり考えてしまっていました。今回のアルバムの歌詞にも、抱えていた闇みたいのが滲み出てしまっていると思います(笑)。 音楽はずっと好きだったので、いつかバンドをやりたいなと思っていて。文化祭で初めてライヴをしたときに"僕がやりたいことって、これかもしれない!"って強く思ったのが、音楽を本格的に始めたきっかけです。

-添田さん、宮崎さん、藤原さんはいかがでしょうか?

添田:姉がピアノを習っていて、追うようにしてピアノを習い始めたのがきっかけです。ギターを始めたのは、高校生のとき友達と"バンドやろう!"ってなってノリでギターを買ったことでした!

宮崎:高校生のときに相澤に誘われて文化祭に出たのがきっかけです。それまで楽器というものをまともに触ったこともなかったので(リコーダーくらいで......)すごく大変だったのを憶えています。

藤原:もともと音楽は人並みに好きで、中学校のときからギターを弾き始めました。中高と野球部だったんですが、バンドへの憧れみたいなものはずっとありましたね。それからいつの間にかドラムに(笑)。

-影響を受けたアーティストを教えてください。

相澤:矢井田瞳さんが大好きで、ずっと尊敬しています。きっとお墓までアルバムを持っていくと思います(笑)。あとは日本の歌謡曲がなぜか生まれつき大好きです。歌やサウンドはもちろん、松本隆さんや筒美京平さんを始めとした作家の方からもとても影響を受けています。バンドサウンドは、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ピチカート・ファイヴ、TALKING HEADS、フジファブリック、XTC、SPARKSなどから影響を受けています。誰とも似ていない、その方だけの味があるミュージシャンが好きです。

添田:ギタリストの石井完治さん、岩田浩史さんのライヴを観たときの衝撃は今でも忘れられないですね......。プラグラムハッチを始めてから1番影響を受けたバンドは井之頭蓄音団です!

宮崎:相澤ですね(笑)。 音楽始めたきっかけも相澤で、今もずっと一緒にやっているのでこの人から受けている影響はかなりあると思います。

藤原:僕自身はプラグラムハッチとは結構違う音楽が好きだったりしたので、1番影響を受けたのは相澤だと思います。

-定番のギター・ロックから今のようなテイストに音楽性を変えたのが2011年ぐらいだとのことですが、その変革の経緯を詳しく聞かせてください。

相澤:観に来ていただいたレコード会社の方に、いろいろ言われて......(笑)。"カッコいいことやっているつもりかもしれないけど、僕にはわかりませんでした"的な(笑)。同じタイミングでライヴハウスの方に"プラグラムハッチは君自身なんだから、もっと自分を出した方がいいよ"とも言われたんです。ただカッコよさそうな言葉を並べて、自分が傷つかないように何も曝け出さず曲を作っていただけで、きっと何も伝わっていなかったんですね。それで"誰かを追うのではなく、僕だけができる、僕の得意なことってなんだろう"" 僕の伝えたいことって何だろう"と考えた結果、今のありのままのスタイルになりました。歌詞についても、このころから自分の思ったことを正直に書くようになりましたね。

-相澤さんはその時期に曲を全部作り直したそうですが、バンド活動に対してそれほどの危機感もしくは違和感があったということでしょうか?

相澤:そうですね。やっぱその時期にガツンと言われたので、危機感がありました。でも危機感は今もずっとあります。僕のとった舵で、メンバーやスタッフさん、応援してくれている方の人生を変えてしまうので。仮にもメンバーや作品やライヴが評価されなかったら、すべての責任は自分にあると思っています。

-バンドの音楽性が変わっていく中で、添田さん、宮崎さん、藤原さんに求められる表現もかなり変わっていったかと思います。やはり苦労した面は大きかったですか?

添田:ちょうどそのタイミングで加入したので特に変わっていく感じはなかったのですが、やっぱり、どこか普通じゃないなっていうのは感じていましたね......。

宮崎:そうですね。今まで曖昧だった部分もより具体的なヴィジョンを提示するようになって、それに応えるようにアレンジを工夫していきました。

藤原:最初はものすごく苦労したと思います(笑)。ただ、徐々にシフト・チェンジしていったので、現在もなお試行錯誤を重ねています。