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INTERVIEW

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アルコサイト

 

アルコサイト

Member:北林 英雄(Vo/Gt) 小西 隆明(Gt) 濵口 亮(Ba) 森田 一秀(Dr)

Interviewer:吉羽 さおり

大阪在住4ピース・ロック・バンド アルコサイトが、前作から約3年ぶりの全国流通盤となる1st EP『思い出に変わるまで』をリリースした。コロナ禍の2年、連続配信シングルを発表し、ストレートでハイボルテージなロックから新しいタイプの曲まで、バンドの武器と新しい魅力とを磨いてきた。ライヴができないフラストレーションをも原動力に、丁寧にその言葉やアレンジを積み重ねながら制作した『思い出に変わるまで』はまた、シングル時からさらに前に進みながら、その足跡を確かに刻んでいく曲が収録されている。見過ごせない感情や衝動、失いたくない思いやライヴやロック・ミュージックへのロマン。その力を最大限輝かせた曲が並ぶ。迸る熱を感じてほしい1枚だ。

-2020年からコンスタントに配信シングルをリリースしてきて、今回さらに新たな4曲でEP『思い出に変わるまで』がリリースとなります。コロナ禍という状況で、バンドとしてはどのように活動を進めていこうと考えていましたか?

北林:コロナ禍となってライヴハウスでのライヴが思うようにできなくなったりしたなかで、どんなふうに活動をしていこうかということで。ベースの濵口が映像やデザイン関係で、ライヴハウスで働いていることもあって、まずは配信ライヴをやってみようとか。配信でシングルをリリースしてみようという話になっていきましたね。

-アルコサイトとして初めての試みが多い時間ですかね。

北林:そうですね。今まではCDをリリースして、ライヴハウスでライヴをやって。CDも流通盤として、CDショップで置いていただくことを当たり前にやらせてもらっていたので、配信というものは、新たな挑戦でした。

-こういう状況でどんな曲を作りバンドとして何を発するかというのを、4人で話すことは多かったですか?

北林:今まではひと月5、6本やっていたライヴが1本もないくらいの時期があったり、スタジオにもあまり入れない時期が多かったので。個人で連絡を取り合って考えたりする時間が多くなりましたね。どういう音楽をやりたいのかとか、どういうライヴをしていきたいかを改めて話し合える期間になったかなとは思います。楽曲面で言うと、今だからこそ思うことや新しい表現のアプローチと、自分たちの武器であるストレートな歌詞やサウンドとのバランスを、保ちながら発信できる楽曲になったかなと感じてますね。

小西:曲作りに関してもそうなんですけど、こんなご時世やからこそ今までできなかったことや今までと違う角度からの曲作りとか、新しいことを取り入れて、発信できたらという感じでしたね。

-配信リリースされたシングルだと、「さよなら、桜桃の花」(2021年4月リリース)などは新しいタイプの曲でしたね。

北林:そうですね。ああいうしっとりした曲で、恋愛のことをテーマにした曲は僕らとしては新しい試みでした。ライヴが思うようにできないなかで、ライヴでみんなと歌うというよりは家で、ヘッドフォンで聴くとか、いろんな場所でひとりで聴くことが多いかなともメンバーで話して。アルコサイトとしても、新しい楽曲を出せたなというのはありました。

-アレンジ面でもいつもとは違った観点で。

濵口:1曲作り上げるのに、いつもより時間がかかりました。いろんなパターンをやってみて。いつもスタジオで、ボイスメモで録って、そこからDTMでプリプロをする流れなんですけど。1回フル尺ができて、それを客観的に聴いてみて、どうかというのを何度も繰り返してやっと完成みたいな感じだったので。今までライヴにフォーカスをして曲を作ることが多かったんですけど、今回は、みんなにイヤフォンやヘッドフォンで聴いてもらうのを前提に作る流れやったので、そこが変わるだけで制作の仕方とか、マインドもだいぶ変わるなというのは思いましたね。

-なかなかスタジオにも入れない時期もありましたが、ドラマーの森田さんは、弦楽器と違って実際にスタジオで叩いて作らないと難しいところもありそうですよね。

森田:スタジオで実際に音を出して作るのもそうなんですけど、ライヴで実際にお客さんの前で演奏してみて、改めて自分で感じることも多かったんですよね。その機会がないとなって、今回このコロナ禍でメンバーみんな、DTMをしっかりできるように強化した時期でもあったんです。僕自身もDTMをする際に、ドラムを打ち込みで作ったりするんですけど、そのドラムの打ち込みの勉強に時間を割くことができて。これまでスタジオで実際に音を出さないとわからないところとかが、DTMでもできるようになって、個人的にはこの期間、勉強ができて良かったかなと感じています。

-制作については、いろんなことを試す時間ができた感じですね。曲を書く北林さんは、シングルを重ねてきて、今回のEPへというなかで、自分自身でテーマにしたことはありますか?

北林:配信でまず「世界が終わる夜に」(2020年)をリリースして、そのあとに3連続でリリースをして、そろそろ流通盤をリリースしたいねという話になって曲を作り出したんですけど。僕の楽曲の持ち味にあるわがままさや、今回のEPのタイトル"思い出に変わるまで"にあるように、忘れたくないことや、普段学校や社会にいると大声で言えないようなことをロックに落とし込んで叫べるような、そういう楽曲を作るのが僕の持ち味かなと思ったんです。そんなことを客観視しながら、自分のやりたいことを感じることができた2年やったので、より精度の高いものを作っていこうというのはありました。

-今回の4曲では、どの曲が最初に形になっていったんですか?

濵口:「オリオン」じゃない?

北林:「オリオン」は今までで一番くらい、作曲の部分でも作詞の部分でも書き直しましたね。作曲の部分では、テンポが変わるとかいろんな変化があるので、そういう部分を何度も何度も試したり。これは僕のわがままが出ているんですけど、普通のロックにしたくないなみたいな、このままやったら普通のいい曲で終わっちゃうなというのがあって。制作過程でかなり話し合いましたね。

小西:特にテンポ・チェンジをするというのは、最初にはなかった案で。でも英雄に明確なヴィジョンがあって、こうしたいああしたいってのがコロナ禍を経てより明確になってきたと思うので、こっちも、その意図を汲んでできるようになったかなというのはありました。

-リード曲でMVにもなっていますが、ストレートでいながらとてもドラマチックな曲ですね。作曲段階から、結構情景が浮かんでいた感じですか?

北林:若者ならではのふつふつとした感情とか、わがままさとか、それでも前に進むという決意を表したかったんです。感情の起伏というのを、作曲部分で表現したかったのでそれはできたかなと思います。

-10代ならではの、無鉄砲でいてピュアな感情が描かれた曲でもありますよね。今なお、北林さん自身そういう感情が自分の中に居残っている感じがありますか?

北林:今回はそういうものにフォーカスを当てたくて、制作段階からそんな話はしていましたね。僕は今25歳ですけど、僕よりも若い学生の方がど真ん中で感じられるようなことと、年齢を重ねた人が懐かしいというよりは、こんな気持ちを忘れずに持っていたいよなと思い出させてくれるような、原動力になる曲にしたいのがあって。懐かしいな、こういうときもあったなという曲では終わらせたくないと思っていました。やっぱり僕自身も忘れたくないこと、思い出にしたくないことがあるので。

-リズムの緩急、テンポ・チェンジについてのこだわりがあった曲ですが、ベース・ラインのメロディやスピード感も曲を引っ張っていく感じがありますね。

濵口:こうやったらかっこいいなという感じで、感覚でいってしまっているところがあるので。疾走感が欲しいというのは昔からずっとあって、3年前とかはアホみたいにテンポは速けりゃ速いほうがいいとかずっと言っていたんです。そっちに引っ張られていってるのが、いい感じに出たなとは思います。よく言えば"自分たちが出た"みたいな感じですかね。

森田:この曲では、1回テンポがゆっくり落ちてから、またもとのテンポをはるか超えてBPMで言うと200あたりまで上がっていくんですけど。テンポが落ちるところが、急に落ちるんじゃなくて徐々に落ちていく感じ──DTMで、波形で見るとゆっくり失速していっている形になるんですけど、その落とし方も何度も試行錯誤して。いかに違和感なく緩急がつけられるかというのは、任されていたので、そこの試行錯誤はしましたね。

-疾走感があるといことでは、続く「赤い春」もスピード感があるソリッドなロックンロールで。

北林:これはもともとギターのリフから始まった曲でしたね。ギターの隆明からこのリフだけが送られてきて、これで作ってみようという感じでした。曲のメッセージとしては、僕のひねくれ感が出ていると思います(笑)。青春、青い春の甘酸っぱいものよりは、僕らはもっと泥臭い、赤い春の中で生きていたいなという。もともと僕は学生の頃からひねくれていたので。青春、青春っていうよりは、俺は真逆を生きてやるぜみたいな反骨精神がありましたね。

-そのひねくれていたのは、そこにロックがうまくハマった感じなんですかね、それともロックと出会ってひねくれている自分に気づいたところもあるんですか?

北林:後者のほうだと思います。たぶん、もともとひねくれてはいたんですけど、人付き合いとかもうまくなかったので、どう自分を表現するのかとか付き合っていったらいいのかと悩んでいたときに、ロックと出会ってしまって。これやっていう。

-ちなみに当時自分に刺さっていたバンドっていうと、どのあたりですか?

北林:もともとは姉の影響でヒップホップを聴いていたんですけど、ELLEGARDENさんとか、ライヴハウスに行ってロック・バンドと出会ってしまったのは大きかったですね。あとはエレファントカシマシさんとかは、宮本(浩次)さんみたいな年の取り方をしたいなっていうのはすごくありました。