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INTERVIEW

Japanese

女王蜂

2018年05月号掲載

女王蜂

Member:アヴちゃん(Vo)

Interviewer:TAISHI IWAMI

-今になって改めて、音楽を通して何か精神的なことを伝えたいとか、世の中を変えたいという想いはありますか?

いろいろないんですが......音楽の力は自覚しています。人の気持ちを揺さぶったりとか、上げたり落としたり、謎を掛けるとか思いを晴らすとか。

-というのも、「HALF」ときてカップリングが「FLAT」。それだけで強烈なメッセージ性を感じるので、訊いてみました。

「HALF」を思いついたときに「FLAT」、絶対このふたつがなきゃダメだって思ったんです。変なルールですけど。「FLAT」の冒頭で"この膨らみがなければ"って歌ってるんですけど、なだらかにしたいという気持ちがあって。

-"なだらかにしたい"とはどういうことですか?

"BL GL NL 勝手なCMばっか流れてるTL"って、もう(韻を)踏みまくって怒っちゃってますけど、アプローチで言うと、ある作品に対する曲で、そこはわかる人はわかるということで。でも、そういうことだけではなく、ひとつ大きな曲が書けたと思います。人がたくさんいる街中で、iPhoneから(耳に)入ってきたときに、いったん喧騒が止まって、何かが始まる予感のする感じかな。

-その感じ、実際に聴いてみてすごくわかります。

いわゆるシティ・ポップとかノスタルジックに対してのエモーショナルは、みんながやるから飽和している気がしていて、じゃあ飽和したときに何をやるかっていうと、何もないことを書くしかないなと思って。"何もないんだけどやるしかない、止まんないよ"って。お説教でもなく、バラードでもレクイエムでも、あれでもこれでもなくって、"じゃあ何?"って、そういうところにいけた気がします。


どこにウケるのかを意図してどんなサウンドにするのか私たちがそれをわかってやっているのか、わからないままなのかは、言いたくない


-終盤の歌詞に出てくる"どこにもないようなスタンダード"なのかなと。音楽的にも、そこを目指したように感じたんです。今をときめくヒップホップやポップの要素はありつつ、作家とパフォーマーの分業体制によるそれらと違う点は、紛れもなくバンドの熱量がそこにある。振り返ってみると、女王蜂はずっとそういう音楽をやってきた。それが、現在大衆的な数字レベルでは厳しい状況にあるバンドが、まだまだ戦っていけるロール・モデルになるかもしれない。

世界に出ていけるってことかしら? J-POPのJ-POPたらしめる要素って、コード感だと思うんです。そこは例えばストリングスを入れると、ある程度クオリティが担保されるんですけど、今回そういうことには頼らずにできたかな。背景的なことで言うと、"あれっぽい、これっぽい"っていうのは、人それぞれあると思いますし、私たちにもあります。最初に言ったように、音楽的にナードだし、音楽が大好きだから。そのうえで、シーンに対してどういう意図を持って組み合わせるのかとか、どこにウケるのかをイメージしてどんなサウンドにするか考えることは大切だと思うんです。でも、私たちがそこをわかってやってるのか、わかってないのか、答えは言いたくないんですよ。最初からわかっていたのか、いつごろからわかったのか、一生わからなかったのか、そういう謎は掛け続けていたい。

-そして我々はいろんな解釈をする。

ラジオの番組で"もっと音楽の話をした方がいいんじゃない?"って言われたことがあるんです。私たちのことを音楽的だと思ってくれて、そう勧めてもらえるのは、すごくありがたいんですけど、"出してるものがすべてで、あとはあなたたちで大いに語ってよ"って思うんです。私が答えを出して誰かを論破しちゃうみたいになるのは、違うと思っていて。

-そう言われると、たしかに。

私たちは"これが努力の結晶です"って出すわけじゃないので。もちろん自分のことはかわいい。でも、テーゼがあってそれを体現するために存在している身体でもあるんです。この身体を維持するために生きてるわけじゃなくて......とか言ってますけど、難しいところですよね。

-でも、納得できる話です。アヴちゃんがおっしゃったことって、答えが欲しかった私の意図とは違うんですけど、もしかしたら答えを貰うよりも、心が晴れている。そういう魅力が「HALF」や「FLAT」にもあると思います。

私自身も、「HALF」が出てからまた新しい何かが開けるんだと思います。私たちは少しずつでも死んでいくし、お酒を飲むことも、タバコを吸うことも、ゆるやかな自殺なんじゃないかと思うこともあります。でも、いろんなことを経て、何かを身につけて何かを書きたいと思うことが、すごく大切だと思うんです。人間である限り、成長していくということ。

-はい。

いろんな絵の具を持って混ぜ合わせて、こんな色もあるんだとか、これはすごい色だなぁとか、そういう発見を素直にしていくことを、メンバー全員でできてるんです。スタッフも、"次は何が来るのかな"って思ってくれてるし、それってすごく嬉しいじゃないですか。で、そうやってできた作品を、たくさんの人が"女王蜂らしい"って言ってくれる。でも女王蜂らしさなんて、あってないようなもので、そうたらしめてるのは自分たちというか、出したあとに説得力がついてくる謎。このバンドで本当に良かったなって、思います。

-出てきたものが"らしい"と言われるのは、オリジナルな表現を更新できていることの表れなんだと思います。

私たちは音楽的に"らしい"というのは、そんなに持ってなくて。"めっちゃ好き"とか"楽しい"とか、"キテるね、イエーイ"って、心はヤンキー座りしているというか、そこは変わらずにいたいと思います。そのうえで、仲がいいバンドだって思われるのも、そこに凶暴性を感じてもらえるのも嬉しいし、激しいバンドと思ってもらえるのも、音楽にナードだってバレるのも、全部嬉しい。

-ヤンキー魂も忘れてないんですね。

ドヤン(ドヤンキー)ですからね。そのくせにアニメイトに行くし、図書館に行くし、ギャルとパラパラするし。要するに、楽しいこと素敵なこと切ないことが大好き。

-女王蜂が始まった神戸っぽいなって。神戸ってパブリックなイメージは海と山、異国情緒とか、いろいろあると思うんですけど、繁華街はカオスじゃないですか。大阪とかだと区画によって、そこにいる人の色がありますけど。

神戸って、ここはこうってないんですよね。なんとも言えない独特のレイヤーがある。そうですね、まさにそこで遊んでたドヤンなんで。