Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

katyusha

2017年12月号掲載

katyusha

Member:えつこ(Pf/Vo)

Interviewer:沖 さやこ

indigo la Endやゲスの極み乙女。のサポート・コーラスやDADARAYのフロントマンとしても活躍している"えつこ"のソロ・プロジェクトであるkatyushaが、始動から約10年の時を経て1stフル・アルバム『I Like Me』を完成させた。これだけ音楽の世界で活動しているというのに、katyushaは今作で全国デビュー。おまけに全国リリースをする予定で作った作品ではなかったという。一風変わった"えつこ"のミュージシャンとしての歩みを辿りながら、彼女の音楽との向き合い方を探っていった。

-プロフィールによると、えつこさんはピアノ教師のお母様の影響でピアノを始め、高校の文化祭をきっかけに歌を始め、本格的に音楽をやっていくことを決めて音楽系の専門学校に通い始めたとのことですが。

中高と吹奏楽部にも入っていたので、ずっと音楽が身近にある生活ではあったんですけど、本格的に音楽の道を志したのは高校2年生のときの文化祭でした。バンドを組んでライヴをしている友人たちを見て"自分たちで演奏して歌うのカッコいいな"と思って。同じ吹奏楽部でトロンボーンをやっていた女の子が、ちょっとアコギが弾けたんですよね。私も部活ではトランペット担当だけど、ピアノはやっていたから、"ふたりでアコースティックのユニットをやってみよう"となりました。その女の子はゆずが大好きだったので、ゆずのコピー・ユニットということで......"きんかん"という名前をつけて(笑)。

-学生らしいネーミングで(笑)。

当時の私たちは"すごくいい! 覚えやすいし女の子っぽい!"と思ってたけど、いま思い返すと恥ずかしいですね(笑)。"きんかん"で文化祭のライヴに出て、ゆずだけではなく、私のルーツでもあるaikoさんと、あとは椎名林檎さん、奥華子さんなどのコピーをして、1曲オリジナルを演奏して。そしたらオリジナルのウケがすごく良かったんです。そのあとも"きんかん"名義でライヴハウスでライヴをして、その都度オリジナル曲を増やしていって。最後の方は半分以上オリジナル曲でライヴをしていました。1回のライヴに友達や後輩が数十人集まってくれるから、私は音楽の道でやっていけるんじゃないか? と勘違いをして、音楽の専門学校に入学をしました(笑)。

-専門学校入学後、ベースとドラムをやっていた小学校の幼馴染とその先輩のお誘いがあって、katyushaが始まったということですか?

自分で曲を作って弾き語りでライヴをしていたところに、ふたりからバンドに誘ってもらいました。でも一緒にやり始めて1年経たないくらいのときに"僕たちは辞めようと思う"と宣告され......。ふたりとも穏やかな優しい男の子だったので"katyushaという名前はすごくいいと思うからぜひ続けてほしい、えっちゃん(えつこ)は僕たちがついていけるレベルの人じゃない、君はもっと頑張れる人だから"と言ってくれたんですけど、たぶん私が偉そうにしていたのが(彼らが辞めた)理由だと思います(笑)。

-(笑)そのあと再びバンドを組むという選択肢はなかったんですか?

もうこういう想いはしたくないからバンドは組みたくないなー......と思ったし、もともとソロでやっていて、katyushaでも自分が作詞作曲をしていたので、ソロとしてkatyushaを続けていくことにしました。でもライヴはバンドでやった方が楽しかったので、専門学校の同級生でスキルがあった白神真志朗(Ba)と川野栄里子(Dr)に声を掛けて。たまに違う人とやることもありましたけど、ほぼその3人で音源を作ったりライヴをしたりしていますね。

-katyushaの活動をマイペースに続けつつ、それと並行して様々なアーティストのサポートとして活動されているんですね。

初めてちゃんとしたサポートを経験したのはアルカラのライヴでした。以前、アルカラが千葉に来たとき、その打ち上げで先輩のバンドマンがベロベロに酔っぱらった太佑さん(アルカラの稲村太佑/Vo/Gt)に"こいつ使ってやってくださいよ"と私のことを紹介して、太佑さんは"おぅ、わかった"とは言ってくださって。まさか本当に話がくるわけないだろうと思っていたんですけど、忘れたころくらいに突然太佑さんから連絡がきたんです。粋な方だなと思いましたね。それでアルカラの「ボーイスカウト8つのおきて」でピアノを弾かせてもらって、そのあとにShibuya O-EASTのライヴにサポートで参加して。初めて大きなライヴのステージに立って、すごい光景だなと感動しました。

-えつこさんの音楽活動が活発になったのは、indigo la Endとゲスの極み乙女。のサポートをするようになったことが影響しているのでしょうか。

サポートの仕事が増えたのは川谷君(ゲスの極み乙女。/indigo la Endの川谷絵音/Vo/Gt)によるところが大きいです。indigo la Endとkatyushaが6年くらい前に新宿Red Clothで対バンをしたんですよね。当時、indigo la Endのベースは休日課長(ゲスの極み乙女。/DADARAY)でした。ライヴを終えたあとindigo(indigo la End)メンバーが物販に来て、"katyushaの音源を買う"と言ってくれたんです。彼らは覚えてないと思いますけど(笑)。"じゃあ音源を交換しませんか?"と提案してお互いにデモ音源を渡して、Twitterアカウントをフォローし合うという、薄い感じのスタートでした(笑)。課長(休日課長)とはメンバーの中で唯一仲良くなれたので、課長伝いで下北沢ERAへindigo la Endを観に行ったり、課長がkatyushaを観に千葉LOOKに来てくれたりしましたね。そのまま時が過ぎ、indigo la Endとゲスの極み乙女。がメジャー・デビューした2014年の終わりごろ、"豊洲PITのライヴでコーラスをやってくれないか?"と連絡がきたんです。本当は私の友達の女性シンガーが参加する予定だったんですけど、彼女が出られないということで私が代打として出演して。そのとき川谷君から"連絡先を教えて。"と言われ、それからちょっと経ったときに"indigo la Endでもやってほしい"と連絡がきて――気づいたらここまで来てましたね(笑)。