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INTERVIEW

Japanese

イトヲカシ

2016年10月号掲載

イトヲカシ

Member:伊東歌詞太郎(Vo) 宮田“レフティ”リョウ(Ba/Gt/Key)

Interviewer:秦 理絵

-久しぶりに一緒に音を鳴らしてみて、お互いに変わったところ、変わらないなと思うところはありましたか?

伊東:年月を経て外側の部分は変わってるなと思うんですけど、コアになるところ、"音楽が好き"っていうところは曲がってないなと思いました。その色も変わってないし、形も変わってない。"あ、音楽が好きなままでいるんだな"っていうのは強く感じましたね。

宮田:僕もまったく同じ印象でしたね。中学1年生のときにカラオケで"こいつ歌うめぇな"って思ったときと、まっすぐな感じは変わってないんです。もちろん年齢を重ねて、技術はアップデートされてましたけど、根っこの部分はあのときと一緒だなと思ってます。

-もともとバンドが根っこにあるふたりだと、一緒にユニットを組むときに、他のメンバーを集めようっていう話にはならなかったんですか?

伊東:そのときはバンドを組むかどうかではなく、"ふたりでやりたい"ってことだったんですよ。実際にユニットを組んでからは、お互いバンドが好きだしバンド出身なので、実際にライヴハウスでやるときはメンバーが必要だよねっていうのはあったんですけど。最初はそこまでは考えてなかったですね。何ができるかっていうところで本当に必死だったので。始まりは本当に、小さな萌芽だったのかなと思います。

宮田:バンドをやっていて思ったのは、人数が増えれば増えるほど意志を統一していくのが難しいってことなんですよね。ちょっと時間が空いただけで、気づいたら全然違う方向を向いてる、みたいなことがいっぱいあったんですよ。だから人数は少ない方がずっと同じ方向を向いていられる。僕はそんなふうに思ってました。

-前作のミニ・アルバム『捲土重来』(2016年5月リリース)も、今回のメジャー・デビュー・シングル『スターダスト / 宿り星』も、王道と言えるストレートなバンド・サウンドだと思うんです。ふたりの音楽を再開するにあたって、方向性は話し合ったんですか?

伊東:僕らはあんまりそういう作業をやってないんです。王道の音楽をやりたいっていう目標が、自然と僕らの中にあるんですよ。その曲のゴールの詳細を話し合わなくても、そんなにイメージがかけ離れることはないんですよね。

宮田:たぶん、初めて組んだバンドが一緒なことや、多感な時期を同じ学び舎で、同じ釜の飯を食いながら過ごした、同じ世代だからっていうのも理由としてはあると思います。

-それこそ見てる夢も同じだから?

宮田:うーん、夢は同じだけど......王道の音楽を作ることを夢へのプロセスとして捉えてるわけではないんです。例えば、武道館のステージに立ちたいから、"ミュージックステーション"に出たいから、王道の音楽をやった方がいいと思ってるわけじゃない。あくまで好きでこういう音楽をやってます。そこは本当に、打算的にやってるわけではないんです。

伊東:これから先、もしかしたら戦略とかも考えるようになるかもしれないけど、少なくとも今は、歌詞もメロディも自分の中にあるものしか出せない。単純にやりたいことをやってるだけなんですよね。ここはこのコードを使ったら売れるんじゃないの? とか、ここでこのワードを入れたら流行ってる感じになるからいいよねとか、そういう話は1回もしてないんです。

-わかりました。イトヲカシは2013年から活動の中心を路上ライヴに置いていて、同年3~4月に開催した"イトヲカシ全国路上ライブツアー~はるかぜのやくそく~"では12,000人を超える動員を記録してますよね。なぜ路上を選んだんですか?

伊東:お互いに違うバンドをやってたときに、もうライヴハウスにお客さんがいなくなっちゃったんだなと思ったんです。僕らは高校生のとき、学校が終わってからよく下北沢のライヴハウスに行ってたんですけど、例えばSHELTERに行ったら、必ず誰かが良いライヴをやってたんです。そもそもライヴハウス自体にお客さんがいたんですよ。

-誰々が出るから行くんじゃなくて、ハコ自体にファンがいたんですよね。

伊東:今考えたら、そんな時期は信じられないんですけどね。そういうのに憧れて僕らもバンドを始めたんです。でも、僕らがバンドを始めたころにはブームが一気に去っていったから、ライヴハウスにお客さんがいなかったんですよ。その中でお客さんをつけていくことができなかった。で、どこにお客さんがいるんだろう? と考えたときに、その外側......まったく音楽に興味がない人も含めたところで、こちらに興味を引きつけないといけないと思ったんです。それで僕らは路上で演奏するっていう結論に至ったんです。

宮田:それはイトヲカシを始める前のバンドのときから合致してたことなんです。活動しているシーンや音楽のジャンルは違ったんですけど、(伊東は)川崎の駅前で路上ライヴをやってて、僕は渋谷の駅前でやってて。そこでお客さんを獲得して、ライヴハウスに繋げていくっていう活動をお互いずーっとやってたから、ストリートが僕らの原点になってたんですよね。

-その路上ライヴと平行してインターネットにアップした音源も、また大きな反響を呼んでいますね。

伊東:前のバンドのときは、川崎で月に20回、週5ぐらいで路上ライヴをやってたんです。しかも冬だろうが夏だろうが、1回の路上ライヴで3~4時間ぐらいやってて。それでも300円の手焼きのCDが月に5枚ぐらいしか売れないんですよ。ライヴハウスでやっても10人しかお客さんがいないし。それが当たり前だと思ってたんですね。でも、インターネットに音源をアップロードしたら、再生回数が1日で1万回もいってしまったんです。本当にそこに聴いてる人がいるのかっていうことが、まず信じられなくて。

-圧倒的に数字が違いますもんね。

伊東:だから、前のバンドとイトヲカシでは路上ライヴをやるニュアンスがちょっと違うんです。イトヲカシが路上ライヴをやる意味として、まずこちらから出向いて、来てくれた人だけにでも、直接目を見て"聴いてくれてありがとう"って言いたい。あともうひとつ、初めて東京でライヴが決まったときのことなんですけど、インターネットの生配信で"東京でライヴが決まりました"って言ったら、"おめでとう"っていう反応が9割だった中で、"やっぱり東京なんですね"っていうコメントもあったんですよ。僕はミュージシャンとして、これを絶対に見落としちゃいけないなと思ったんです。例えば北海道の宗谷岬に住む人が東京のライヴに行くとなると、東京に住んでる人に比べたら、お金はもちろん、時間も15時間ぐらい余計にかかっちゃうと思うんですよ。だったら、自分たちが近くまで行くことができたら、素敵なんじゃないかなと思ったんです。

宮田:遠方にライヴを観に行くのはすごくカロリーがいりますからね。だから、自宅から5分歩いたら、そこで好きなアーティストがタダでライヴをやっていて、そのライヴを観て人生が変わるような、そういう環境を作れたらすごく夢があるなと思ったんです。僕もライヴを観て人生が変わりましたから。