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INTERVIEW

Japanese

NakamuraEmi

2016年02月号掲載

NakamuraEmi

インタビュアー:白崎 未穂

神奈川県厚木市出身、1982年生まれのNakamuraEmi。今年1月20日にメジャー・デビュー・アルバム『NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST』をリリース。これまで出会った人たちの話をモチーフに生み出したいくつかの楽曲を再録し、新曲をプラスしてできあがった今作。ジャズやヒップホップに影響を受けたという彼女は、シンプルなギターのループに乗せた強烈なリリックで一生懸命に生きようとする"人間の芯"を歌う。ファンタジーではなく、人に寄り添ったリアルな楽曲を生み出すNakamuraEmi。一体どんなふうに音楽と出会い、どんなふうに毎日を過ごし、どんな人たちに出会ってきたのだろうか。

-ずっと厚木市に住んでいらっしゃるそうですが、音楽との出会いはいつだったんですか?

小さいころから興味があったわけじゃなくて、保育科の女子短大生のときに出席番号が近くの女の子たちと初心者バンドを組んだのが最初ですね。私は全然歌えないのにヴォーカルだったんです。文化祭で小さいステージに立つことになって、JUDY AND MARYのコピーをやったんですけど、全然知らなくて。キーは高いし"これはいかん!"と思って、ヴォーカル・スクールに行ったことがキッカケですね(笑)。

-いきなりヴォーカル・スクール行ったんですね(笑)。

興味があるものは徹底的にやるタイプで(笑)。たぶん楽しかったんでしょうね、みんなで何かをすることが。

-そこからソロ・シンガーになるまでにどういった経緯があるんですか?

20~25歳くらいまで、ちょっとかじったもんだから"音楽やってみたい!"みたいな気持ちで、仕事を辞めて音楽をやってみたり、でもちょっとなんかあると辞めたり。フワフワしてたので音楽やっているとは言えない状況でした。それでもまた歌いたいなって思いがあって、そのときに探したヴォーカル・スクールに通ってたんですけど、"ヴォーカル・スクールに行ってるだけでお前、何とかなるなんて思ってんなよ"って言われて。たしかにスクールに有名な先生がいるといつかどうにかなるんじゃないかってどこか期待もありました。で、そのころ自分の性格についてもいろいろ言われたこともあって、"とにかくここらで頑張ってみなくちゃ"って思ったんです。それから弾き語りでいわゆるバラード色の強い曲をよくやってました。

-ヒップホップやレゲエに影響されたとのことですが、誰の影響で?

自分のiTunesが壊れて当時付き合っていた人のiTunesに音楽プレイヤーを繋いだら、全部彼のiTunesに入っていた曲になってしまったんです。そこで初めてヒップホップを聴いたときに衝撃を受けました。あと、スタジオに勤務してたので、レゲエ・ミュージシャンも出入りしてて、そのときに"ライヴ来なよ"って誘われたので行ってみたのがきっかけで。そしたら、ライヴ感がすごくて。レゲエやヒップホップに出会ったことで、音楽は今の私のような人間がやるものじゃなくて、まずは自分を立て直さなくちゃと思いました。自分磨きというか、とにかく自分を変えようと思いました。

-アイデンティティの確立というやつですかね。

そうですね。それでまた仕事でいろんなことがあって、仕事を辞めたり、実家を出たりして......。私、友達と一緒におしゃべりして過ごすタイプじゃなくて、家で"やっちまったー。なんであんなふうにしか言えなかったんだろうか"って反省会をやるタイプで。またそのころ、素敵な人との出会いが本当に多かったので"いつかあんな人になりたいな"とか、"あの人だったらきっとこうしただろうから、私もいつかそうできるようになろう"とか。すべて素敵な女性像があったので、そこから"NIPPONNO ONNAWO UTAU"っていう言葉ができました。それから、今まではコードにこだわっていたけど、ヒップホップのように2コードや3コードで素敵な曲ができるんだってことにびっくりしたので、そこからはいかに少ないコードをループさせてどれだけいい曲ができるか、とか。そういう感じで今の状態になっていきましたね。

-それが、"中村絵美"が"NakamuraEmi"として活動し始めた2011年ごろということですね。"中村絵美"のころはどういった気持ちで活動を?

"メジャー・デビューしたいわ!"みたいな思いもあったんですけど、今考えると、あのときは、"何のために音楽をやってるの?"って聞かれたらたぶん"人を感動させたい"って答えたと思うんですよ。今は自分自身のためだけにやってるので、さっきフワフワしてたって言ったのはこの時期ですね。

-バンドを組むという選択はなかったのでしょうか?

"変わりたい"って思っていた時期に人に頼ることをやめて、"自分でやる"っていうことが当時目標だったんです。でも今はほぼユニットと言っても過言ではない――ギターでありプロデューサーのカワムラヒロシさんがいるので。カワムラさん曰く"お前が作った曲だけで終わらせると四畳半感がある"って言われて、"あぁ、納得"って(笑)。この四畳半感たっぷりの曲にカワムラさんの手が入ることで、素晴らしくなるんです。私の要望も汲みつつ"歌詞は絶対に聴こえるように"というアレンジで戻ってくるんで、あの人がいなかったら今こういうふうになれてなかったですね。だからバンドみたいなものですね。

-カワムラヒロシさんとの出会いも大きな出来事だったんでしょうね。

2012年くらいに出会ったんですけど、ヒップホップをやりたくなってから自分ひとりじゃリズムを出せなくなって。カワムラさんの弟弟子さんと先に出会ってて、サポートをお願いしていたのですが、ある日スケジュールが合わないときがあって、そのときに紹介されました。カワムラさんはすごくセクシーなギタリストだったので"なんか合わなさそうだな"って思ってたんです(笑)。でもすごくおすすめされちゃって、それでまず飲みに行っていろいろ話したらヒップホップのことも詳しいし、私にすごくアドバイスしてくれる人だったので、思いきってお願いしました。

-一緒にやってみてどうでした?

初めてカワムラさんに自分の曲をやってもらったときは、こんなにギターの音を鳴らさずにグルーヴを出す人に初めて会って、こんなに自分を、歌を、歌わせてもらえるギターは初めてだと思いましたね。それに音が少なくてびっくりしました。それからできる限り、サポートをお願いするようになりました。

-2012年にリリースした1st EP『NIPPONNO ONNAWO UTAU vol.1』でカワムラさんのバンドalosotimu(当時はカワムラヒロシNew Trio)をサポートに迎え、翌年リリースの2nd EP『NIPPONNO ONNAWO UTAU vol.2』ではカワムラさんがプロデューサーに。すごく密な関係になっていったことがうかがえますが、どんな経緯があったんですか。

サポートしてくださるようになって、一緒に『vol.1』(1st EP)を作って、その年末にカワムラさんが占いで"今までやりたかったことをやってみたらいい"みたいなことを言われたらしく(笑)。カワムラさんはずっとプロデュースすることに興味がずっとあったみたいで、"プロデュースをやりたい"と言われまして"カワムラさん色に染まるのは嫌ですよ"って言って(笑)。そしたら今まで通りサポートであり、私がやりたいことプラス、歌詞を客観的に見てもっと人にわかりやすくする部分やCDのジャケット、プロフィールの文章など全部客観視して私を1番"NakamuraEmi"として見せるという方法をふたりでやろうと。カワムラさんも初めてだし、私も初めてだし。ぶつかりあって、やり始めたのがそのころですね。