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INTERVIEW

Overseas

GROUPLOVE

 

GROUPLOVE

Member:Ryan Rabin(Dr)

Interviewer:山口 智男

-クレタ島で仲良くなったみなさんはその後、ロサンゼルスで再会したそうですが、その時は音楽を作るつもりだったのでしょうか。それとも単に楽しむためだったんですか?

1回目は単にクレタ島から、Andrewと僕に会いに立ち寄ってくれただけだったんだけど、自分がプロデュースをしていることや実家にスタジオ機材があることを話したら、じゃあスタジオで遊んでみようか、って話になった。その時は特に目的なんてなくて、バンドを始めるつもりも全くなかったんだ。でも1日やってみたらすごくうまくいったから、これからも続けていこうということになって、その後1ヶ月、みんな僕の実家で暮らしていたよ。

-またもやレジデンシーですね。

うん。うちの親は理解があるんだ(笑)。その経験から、自然な流れで、1枚目のEP(『Grouplove』)ができたんだ。あれができてからみんなそれぞれロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコの地元に帰って、そこで自分たちがとてもスペシャルなものを作ったことに気づいた。これは何か形にしたいと。それで、みんなロサンゼルスに移住して、バンドを本格的にやろうってことにしたんだ。

-なるほど。バンドをやろうと思ってロサンゼルスに行ったわけじゃないんですね。クレタ島の時みたいに自然な流れで曲作りが始まった、と。

うん。曲を作った後で初めて思ったんだ。これはスペシャルなものだから、1回限りのものに留めておくのはもったいない、キャリアに発展させるべきだってね。そう考えて、2回目でみんな移住してきたんだ。

-それは音楽業界で成功できる可能性を感じたから?

どういう風に受け入れられるかはわからなかったけど、初めてみんなで作ったCDを何人かに聴かせたら、気に入ってもらえたんだ。僕たちのマネージャーも聴いて、マネージャーを買って出てくれた。そういうふうに、この作品を取り巻くチームが生まれていったんだ。そこから自然にいろいろなことが築かれていった。でも特に希望や野心があったわけじゃない。音楽自体も自然の流れで、特別な計画やヴィジョンなしにできたものだったから、最高の結果が出ることだけを願って、とにかく一緒に音楽を作り続けていこうって決めたけど、音楽業界でどう受け入れられるかの予想は全くなかったね。

-事実は小説よりも素敵なことがあるものですね。

そうだね(笑)。僕たちがこのバンド以前にやっていた音楽プロジェクトは、きちんと計画を練ってやっていて、キャリアに発展させたいっていうはっきりしたヴィジョンがあったものだったけど、どれもちっともうまくいかなかった。今回はただ楽しむために始めて、特に目標もなかったのにうまくいったんだよね。

-今度は違うぞ、という手応えのようなものはありましたか。

初めて一緒に曲作りをした時から、お互い心の中では何かが違うぞという手応えを感じてはいたんだと思う。でも、それまであまりに長い間、音楽でキャリアを築こうとしながら失敗しつづけていたから、先走ってしまいたくなかった感じだったんだ。だから、本格的にコミットするまでは時間がかかったね。最初は単に遊びで始めたことだったから。