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INTERVIEW

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YOUR FAVORITE ENEMIES

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Member:Alex Foster (Vo)

Interviewer:石角 友香


-話が遡りますが、これまでMySpaceやfacebookなどSNSを大いに活用し、世界各地にファンを増やしてきましたが、その成果を最も感じた出来事は何でしょう。

難しいな。日本のファンと初めて交流を始めたときから、とても特徴的なんだ。本当の“成果”は、それが本物だっていう事実だよ。人生が人生を創るんだ。それこそファンが僕に与えてくれた特権だよ。僕はパン作りがどれだけ色々な意味でパンク・アートだって信じているかを説明するパン屋さんを営む人と一緒にTHE CLASHについて分かち合うことができる。僕はTHE ROLLING STONESの方がどれだけカッコ良かったか、THE BEATLESの大ファンである会社の社長さんと語り合うことが出来る。息子を失った母親と、友人を失う悲しみについて分かち合うことが出来るのと同じくらい、プロのスケートボーダーと詩について話すことが出来るんだ。それが僕にとっての本当の“成果”だよ。人々と近づき、瞬間を交流にすることが出来る、それが僕の持つ特権だ……ファンとロック・スターっていうタイプの関係じゃないものだ。だからこそ、僕らのファンは異なるバック・グラウンドに、異なる年代層、異なる社会的、経済的状況、異なる仕事に、異なるスタイル、異なるシーンの人々なんだろう。人を尊敬すると、その人の見かけや、その人が何をしていようと、自分はあらゆる方法で成長できる。そこが日本の人々の好きなところだよ、このオープンなパッションがさ。それはパンとTHE CLASHにも成り得るし、Rodney Mullenについてや、Tony Hawkや詩についてかもしれない。もしくはパンク・ロックと猫かもしれないんだ…愛する者を失った悲しみや赤ちゃんの誕生の喜びかもしれない……クレイジーに聞こえるかもしれないし、ありきたりなロックンロールとはかけ離れてるかもしれない。でもユニークにクレイジーで、それこそ僕が深く感謝していることだよ。

-先の質問と重複するかもしれませんが、一昨年、来日し、ライヴを行う際、これはファンのブログに書かれていたことなので確かめたいのですが、たまたまAlexが日本のマンガについて書き込みをしたところ、日本のファンと繋がり、その彼が東京のライヴハウスを提案したというのはホントですか?

本当だよ、僕はよくファンに質問をするんだ。それは僕らがファンと持つ交流の一部だと思う。これは繋がりなんだ。ここ数年で、僕はこのような素晴らしい友人に出会い、とても面白いシチュエーションも経験したんだ。時々、質問したり、メッセージに返信したり、投稿をしたりするのが本当に僕だって信じない人がいるんだよ、Alexのフリをするのは良くないと、真剣に叱られたこともあるんだ。その人が、フリじゃなくて本当の僕だって気付いたとき、僕らはすぐに友達になったんだけどね!もし彼がこのインタビューを読んでいたら、きっと自分だって気付くよ!みんなとっても誠実で、忠実で、情熱に溢れているんだ。そして僕がいつも意見を聞くと、その答えは正直なものか、とっても面白いものだって知ってる。僕らは子供の誕生日会や、タトゥー・ショップ、茶屋、おもちゃ屋さんで演奏しないかと招待を受けたことがあるよ。とても古い京都のお寺とかね。ここでは実際にライヴをしたんだ。

-2011年には東日本大震災から間髪入れずに来日し、被災地に赴いてくださって本当に感謝しています。その経験の中で印象深かったことを改めて教えてほしいのです。

僕らはこの悲劇が始まった時から関わっていたんだ。僕にとってあの光景は今でも鮮明だよ。すべての交流と同じようにね。あの悲劇が起こったとき、僕らはトロントでライヴをする予定で、沢山の日本の友人たちもライヴに参加するためトロントに来ていたんだ。僕らは、彼らが日本にいる家族や友人の情報を知ることが出来るように、SNSを利用することに決めた。あれはとても激しかったよ……コントロールが難しいくらい色々な感情が湧き上がって来た。特に僕らのチームにいる日本人のメンバー達にはね。彼らは深く家族や友人を心配していたんだ。でも、僕らの涙は、今一番泣きたい人々のためにとっておこうと決めた。この悲劇で失った人々を悼み、敬意を表す時がちゃんと来ることを知っていたから。僕らはライヴをキャンセルしたかったんだけど、日本の友人たちが、心の支えとしてインターネット上でライヴを放送して欲しいと言ってくれたんだ。だからそれを実行したよ。僕の人生の中でも最も驚くべき感覚だった……あれは音楽や自分自身以上のもの、それを越えたものだったんだ。家に帰って数日後、僕らはHopeプロジェクトを始めることにした。日本の人々に、必要な時はたとえ外国人だろうが、みんな兄弟、姉妹なんだって感じてもらうために、人々に協力してもらってポスト・カードに名前付きでメッセージを書いてもらったんだ。僕らは多くの外国人が日本を離れようとしていた時に、南三陸町災害ボランティア・センターを訪れた。カナダ政府は国内に留まるように強く警告してきたよ。僕らは自分たち自身で日本へ行った。サポートも何もないままね。あったのは、この悪夢の中の希望に少しでもなって、助けになれたらという望みだけだった。何百万もの人々がニュースやインターネットで見たのと同じ景色の中へと入り、悲劇が起こる前の生活音が感じられるほどの空間に、実際に足を踏み入れるのはとても難しいことだった。どこを見ても、僕らの心と魂が穏やかになることはなかった。あれは僕の人生で最も難しい瞬間だったよ……僕らがシェルターに着いたとき、想像もしていないものを見たんだ……希望があった。それも素晴らしく、驚くべき形で。生きるという決意と覚悟。そう、嘆きは終わった。失ったものはまだ鮮やかに痛む。けれど、あれだけの希望と信念に溢れた目を見たのは、初めてだったんだ。僕らはみんな、助けに行く、サポートをしに行くと考えていた。でも最も正真な形で愛を体現していた、表舞台には表れない真のヒーローたちは両手を広げ、そこにいたんだということに気付いたんだ。再び、僕は歓迎されたよ。他のどの場所よりも、どの時よりもずっとね。僕らは連絡を取り続け、今でも友人関係は続いているよ。人生で再びチャンスを掴み、彼らの夢を達成しようとする姿に、僕らはとても励まされた。1人はレストランをオープンし、もう1人はアート・クラフト・ショップを始めたんだ。素晴らしいよね……人生が人生を創るんだよ。そして、日本人のチームメンバーに約束した通り、僕らは涙を流し、失ったものを受け入れる時間を取った。深い悲しみ……でもそこには、思い出や僕らが出会ったボランティアの人々から受け取った、人生の贈り物があるんだ。