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INTERVIEW

Overseas

GOLD PANDA

2010年05月号掲載

GOLD PANDA

Interviewer:佐々木 健治

3月に来日し、一ヶ月間DJやライヴを日本各地で行ってきたGOLD PANDA。Skream!のofficial partyでも素晴らしいライヴを披露してくれた親日家の彼が生み出す独特のビート解釈と、斬新でありながらどこかノスタルジックなエレクトロニカ・サウンドは、世界中で急速に注目を集めている。4月21日には、これまでの作品をまとめた日本独自編集盤『Companion』をリリースしたGOLD PANDAの音楽的ルーツを探るインタビュー。

-日本に興味を持ったきっかけは?

14歳か、15歳くらいの時に、アニメの『AKIRA』を観て、日本に興味を持ったんだ。それから、スーパー・ファミコンの『ストリート・ファイター2』とかゲームにもはまったしね。それで、1999年にDJの友達が日本に住んでいたから、その人のところに遊びに行ったんだよ。

-その時は、どういう風に過ごしたの?

旅行は全然しなかったんだよ。友達の彼女が(現在、METAMORPHOSEを主催する)MAYURIさんだったので、クラブに行ったり、居酒屋に行ったりってことを繰り返していたな。彼らは自分達が好きな曲を(パーティで)かけて、楽しんで生活をしているし、そういうライフ・スタイルに影響を受けている部分はあるかもしれないな。

-トラックを作り始めたのは、いつ頃ですか?また、どういうきっかけで?

『AKIRA』を観たちょっと後だから、15、6歳の時に、おじさんからAKAIのサンプラーをもらったんだ。全然使い方も分からないのに、それを使ってサンプリングをして音楽を作り始めたんだよね。13歳か14歳の時に、テープを使って海賊ラジオの音とテレビ番組の音とか、ドラムンベースやジャングルと合わせて遊んでいたんだけど、僕自身の音楽という意味では、そのAKAIのサンプラーを手に入れてからだね。あとは、父が集めていたロックの7インチも使ってね。

-影響を受けたアーティストは?

それが、名前は分からないんだ。海賊ラジオから聴こえてきた音楽だから(笑)。でもHIP HOPのアーティストが好きだったし、あとはSquarepusherも好きだったよ。あとは、テノール歌手のPavarottiとかも。Michael Jacksonの『Bad』も持っていたな。誰かが勝手にコピーした海賊盤だったんだ。内容はちゃんと『Bad』だったけどね(笑)。

-(笑)。あなたの音楽には、オリエンタルな要素が入っていますが、その影響はどこから来ていると思いますか?

日本からはもちろん、影響は受けているよ。音楽に限らず、景色だったり、東京の高層ビル街の様子とか。人がいっぱいいて、建物もいっぱいあるのに、その中でこそ感じる孤独みたいなものを自分の音楽に入れようと思っているし、実際に入っているから、そういう部分では日本、東京からは影響を受けているよね。
日本に限らず、アジアの音楽のスケールが持つもの悲しさにも影響を受けていると思う。でも、スケールとかコードが全然分からないし、その通りには弾けないから、想像して作るんだ。あと、僕の祖母がインド人だから、インドの音楽を放送しているラジオをずっと聴いていたんだ。家でもカレーが出てきたしね。

-その孤独感を表現するのには、そのインド音楽は影響していると思う?あなたにとっては祖母が聴いていた音楽というノスタルジーもあるわけだよね。

どうなのかな。まず、僕自身の気持ちを表現する為の手段がサンプルを使って音楽を作ることで。例えば、インドの音楽をさっき祖母が聴いていたと言ったけれど、そういう音楽は自分の感情を表現する為にはハッピー過ぎる。ボリウッド・ミュージックというか。

-そうですね。

僕は、自分が落ち込んでいる時に音楽を作ることの方が多いんだ。そういう時の自分の気持ちを表現したサウンド・トラックという感じで僕は音楽を作る。それで、ハッピーとアンハッピーっていう感情は凄く近くて、境界線を引きにくいところがあると思うんだ。自分も落ち込んで、悲しい気持ちの時に音楽を作るけれど、完成したものは何故かハッピーに聴こえたりもする。そこに、インドの音楽が影響しているのかもしれないけれど、そこは自分では分からないな。
ハッピーとか悲しいっていう感情って、頻繁に入れ替わるしね。落ち込んで曲を作っていると、その作業が楽しくてハッピーになったり。でも、その曲が完成すると「自分はダメだ、仕上がりもよくない」みたいに落ち込んでしまうこともある(笑)。その波が僕は激しいんだ。