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十五少女

2022年01月号掲載

十五少女

ライター:小掠シゲコ

音楽が始点となって起こるムーヴメントは多い。YouTubeは言うまでもなく、多くのMVが観られるということが初期の拡散モチベーションになったし、昨今、注目されている"サイバーパンク"という世界的トレンドにも音楽が大きく関与している。その言葉にピンと来ない人でも"夜系"や"シティ・ポップ"を知る人は多いだろう。これらの音楽シーンに共通するヴィジュアル・トレンドこそがサイバーパンクなのだ。それは、シアン(水色)、ピンク、パープルを基調とした視覚訴求で、Z世代の網膜を通してティーン・カルチャーを刺激した結果、世界中のデジタル・ネイティヴがサイバーパンク再興の輪に参列している。

サイバーパンク再興は、時に"'80sリヴァイヴァル"と同義に扱われる。音楽面では、前述のシティ・ポップだけでなく"ヴェイパーウェイヴ"や"フューチャー・ベース"など、映像業界でもNetflixの"ストレンジャー・シングス 未知の世界"が世界中を席巻し、東京五輪にまつわる"AKIRA"待望論は、決して当時ファンだった大人だけが支持したものではない。こういった世代を超える普遍性を持つアートを、たったひと言で評価できてしまう言葉が"エモい"ではないか。そして、サイバーパンクは、どうしようもなくエモいのだ。そして、この"エモ"という形容詞こそが、この記事の主人公であるバーチャル・アーティスト"十五少女"が音楽/ヴィジュアル/物語で伝えようとしているメッセージの根源にある。彼女たちを語る前に、まず、この"アップデートされた現代版エモ"をきちんと定義しておきたい。


事実、十五少女のヴィジュアル制作にはサイバーパンクの影響が色濃く感じられ、エモい。

十五少女は、自らをジュヴナイル・コミューンと称している。ジュヴナイルとは、大人と子供の間世代=ヤング・アダルトを主人公に、多感な時期に抱える不安や焦燥との戦いを、子供向けの童話調でもプロレタリア文学のようなリアルでもない、適度なファンタジーを伴い、描く物語を指す。80年代には"グーニーズ""ぼくらの七日間戦争"、"スタジオジブリ"作品などがジュヴナイルの傑作として絶大な支持を集めた。それは、00年代以降に"あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。""サマーウォーズ""君の名は。"に継承されていく。これら広義の'80sリヴァイヴァルを共通項に、ジュヴナイルは前述のサイバーパンクと密接に交わっている。"ストレンジャー・シングス 未知の世界"はサイバーパンクでありジュヴナイルでもあるし、"ローファイ・ヒップホップ"のミュージック・ビデオは、"スタジオジブリ"風アニメにサイバーパンクの要素が付与されていることが多い。新海 誠監督アニメにも、サイバーパンク的な色彩を感じる。そして、それらすべてがエモいのだ。

その主人公たちは、必ず最後に子供時代と決別し、現実的に生きる=大人になることを選ぶ。そこに描かれた海賊の宝や超能力や幽霊などは、まさに子供時代の夢のメタファーで、ファンは架空の別れに共感するのではなく、それに自らの青春との決別を重ね合わせることで"エモみ"を得るのだ。これらの作品がファンの心を揺さぶる原動力は、自らの青春の終わりに余儀なくされる様々な現実(卒業や就職など)を、作中のストーリーに投影することで増幅された"これ、私のことだ......"という共感を超える同期(エンパシー)である。

そして、このエンパシーこそがエモみの正体だと定義したい。

それを構築しやすくするために、ジュヴナイルでは複数の主人公を、受け手が憑依しやすいモデルとして用意することが多い。"グーニーズ"や"あの花(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)"などはその典型。様々なコンプレックスを抱えた複数のキャラクターが登場する。十五少女も、現代を生きる若者の多様なリアルを、15のキャラクターによって憑依(同期)モデルとして具現化しようとしている(ように、少なくとも筆者には見える)。


大人になる瞬間があると信じてるのは、子供だけだ


レーベルが用意した十五少女の紹介資料は、こんなステートメントから始まっている。

「明日なんて来なければいい」毎晩、そう、願った。
自分たちだけはこのままでいられると信じていた。
それでも、きちんと明日は来て、眩しい太陽が不安に影を付ける。

特別を普通にしたがった彼女たちは、いつしか普通を特別と感じるようになって、社会へと溶け込んでいくのか?
夜が明け始める瞬間の暗く薄い水色、もっとも美しく儚い夏の終わりの海。

平均的な十代の非常に満ちた日常の機微を代弁する。

これを読み、十五少女のすべてがこの宣言に集約されていると感じると同時に、あまりに普遍的で大きなテーマを扱う姿勢に、こちらが不安になってしまう感は否めなかった(笑)。しかし、そんな不穏は、彼女たちの音楽に触れた瞬間に消し飛んだ。言葉では遠大すぎるコンセプトも、音楽にすることで圧倒的なリアリティが生まれていた。改めて、音楽の偉大さを感じざるを得なかった。私はもう大人だが、もし、十代の頃にこの曲たちを聴きながら近所の川沿いを自転車で走るだけで、夕陽が涙で滲んだに違いない。いや、今もその感受性が残っていると信じたい。思わず、十五少女をかけながら、夜の公園を散歩したい衝動に駆られた。まさに、どうしようもなく切ないエンパシーが心に溢れたのだ。

さらに、十五少女のオリジナル楽曲には、"ペルソナ"というものが設定されている。それぞれに歌詞のもととなった物語を持つ仮想少女がおり、彼女に起こった出来事を音楽化しているのだ。例えば、デビュー曲「逃避行」は、上京直後の"如月モネ(19才)"の虚無で怠惰な生活をバーチャルな失恋を通して描いた1曲で、無機質に整えられたビートに、宙にぶらんと浮いた不確定な想いを可聴化したピアノが美しい作品。

「逃避行」のペルソナ"如月モネ"の場合:
一人暮らしを始めたはいいが、思い描いていたキャンパスライフとは程遠い。堰を切ったようにすぐに髪を染めた。
強がりと諦めを込めたブルー。
輝かしい高校生活こそが、人生の全盛期だと思えてならない彼女。今は、物語のエピローグを生きているような感覚で...これから先のことなんて、もっと、考えられない。(オフィシャルより一部抜粋)

「逃避行」は、"少女"という名前からはかけ離れたディープな音楽性と、透き通った歌声が紡ぐ退廃的な歌詞というコントラストで、耳の肥えたリスナーの傾聴を集め、瞬く間にLINE MUSICのリアルタイム・ランキング2位を獲得した。そして、今、この曲に再び注目が集まっている。"RE:SING'LE"と題し、ペルソナ自身がモデルとなった楽曲を歌う計画が始動したのだ。如月モネの声を務めたのはトラックメイカーでありながら、シンガーとしてもくじらやmaeshima soshiの作品に参加し、人気を博す"水槽"。気怠くも浮遊感溢れる唯一無二の歌声によって青さはより青く、重みはより重く、リアリティが増した。

1月12日には、"RE:SING'LE"第2弾として、人気声優でシンガー・ソングライターの楠木ともりをCVに迎えた「ハンドメイド流星雨」が発売される。こちらは十五少女の2ndシングルで、いつも自分だけが"宙に3センチ浮いているような感覚"で生きている"皐月ソラ(17才)"が、周囲とのズレを隠すように"普通"や"平均"に擬態しながら過ごすなか、天体観測を通じて感情を取り戻していく淡い"ラヴ・ソング未満"の楽曲。シキドロップの平牧 仁(Pf)がプロデュースを務めた。

15人の仮想少女からなる十五少女。彼女たちが歌うのは、大仰なメッセージでもなく、理想的な愛でもない。多感な時期を普通に生きる若者の日常の中の非常と、その機微に寄り添ったジュヴナイル・ミュージックだ。


▼リリース情報
皐月ソラ(CV:楠木ともり)
シングル
「ハンドメイド流星雨(皐月ソラの場合 / CV:楠木ともり)」
Ryuseiu_sora.jpg
NOW ON SALE
配信はこちら
※十五少女歌唱バージョンの「ハンドメイド流星雨」はこちら


如月モネ(CV:水槽)
シングル
「逃避行(如月モネの場合)」
mone_touhikou.jpg
NOW ON SALE
配信はこちら

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