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INTERVIEW

Japanese

柴山一幸

2015年06月号掲載

柴山一幸

Interviewer:吉羽 さおり

透明感のあるヴォーカルで編み上げるキャッチーで、ひねくれたメロディと、芳醇な60年代ポップスからキッチュで遊び心たっぷりのパンキッシュなサウンド、卓越したミュージシャンとともに練り上げたグルーヴィで都会的な洗練されたポップ・サウンドまで、ウェルメイドな作品を作り上げるシンガー・ソングライター、柴山一幸。最新作『YELLING』は、彼自身の持つ生真面目さとひねくれた姿勢が同居した感性と、ポップスへの愛情や造詣が形になった。これまで楽曲提供やサウンド・プロデュースなどの仕事で磨いたスキルも活かしつつ、想像力を音に変えたアルバムだ。

-最近はコンスタントに作品をリリースしていますが、それ以前はどんな活動をされていたんですか。

デビューしたのは2001年なので、もう10何年も前なんですけど。そのときはCDを出しただけで、ライヴ活動もちょっとやったんですけど、あまり長続きしなくて。そのあとは、いろいろ流れもあって、自分が演奏をする側というよりは作家活動や音楽学校で教えたりしていたんです。3年前ほど前に、また演奏活動や制作を復活したんですが、そこまではやってなかったんですよね。だから実質的に音楽活動ということでは、4、5年のぺーぺーで(笑)。

-3年前に音楽活動を再始動したのにはきっかけがあったんですか。

名古屋の音楽専門学校で教えているんですけど、そのきっかけで、女性シンガーと知り合ったんです。その人の制作やプロデュースを1年くらいやっていたんですね。それまでは、いわゆるライヴハウスとかとは疎遠な生活をしていたんですけど、彼女のライヴで行くじゃないですか。久しぶりにライヴを観ていて、彼女が歌っているとき――普通はあたたかく見守っているわけですけど、なんか"俺も出たいな"と思って(笑)。で、"俺、タンバリン振ろうか?"とかいろいろと彼女に言ってみたんですけど、"いいです"って(笑)。サポートの人にも、"俺、今日コーラスとかできるけど"って言っても、"特にそういう場所ないです"って言われて(笑)。そのときに、昔、ライヴのブッキングでお世話になっていた方に偶然会って、"一幸さん、自分で活動しないんですか?"って言うから、"もうずっとやってないし自信もないから"って言ったんだけど。こっちの気持ちがわかったのか、強引に入れてくれて。それが3年くらい前かな。やったらやっぱり面白くて。若いときみたいな変な気負いもないし、自然に演奏と歌ができることが心地いいというか。"あのときとは、ちがうな"と思って。

-そこからはもう自分の活動にも本腰を入れて、曲を作り、演奏をし、という生活になっていったんですね。

取り戻すかのようにね(笑)。でもずっと作家活動もしていたので曲は作ってはいたんです。だけど、実際ライヴで演奏したり、リリースする目処はなかったので。そういう意味では、ちゃんと計画を立てて活動をして......A型なので(笑)。それで今に至っている感じなんですよね。

-作家活動をされていたときは、ご自身のための曲も作っていたということですか。

でも、ほとんど作っていなかったかなあ。

-あくまで他の方に楽曲提供するためのものだったんですね。

うん、それが逆によかったのかな。今でも曲作りは、完成度が高いかって言われればわからないですけど。20代のときよりも完成度は上がっていると思うんです。それは多分、作家という活動をして、自分のためとか感覚的なものよりも、コンペがあるのでクライアントの意図を汲んでとか直しをしてとか、そういったことがすごくよかったんだなと思うんですね。

-より磨かれていったんですね。それまではもっと違ったこだわりがあったんですか。

音楽的なこだわりもそうなんですけど、何しろ若いときってみんな尖っているじゃないですか(笑)。

-とにかく人と違ったことをやってやろうと(笑)。

それは、基本的には変わらないんだけど、尖ることが場合によってはめんどくさかったり、疲れちゃうじゃないですか(笑)。それでよく言う、丸くなったがためにというか、キャラクターがそうなってきたら楽曲もそうなってきましたね。

-今回のアルバムもすごく自由な作品になっていますよね。しかも、演奏しているバンド・メンバーに委ねているところも大きいんじゃないかと感じるんです。

ほぼ委ねてます。

-ポップ・ミュージックへのこだわりもとても強いと思いますし、となると自分ですべて設計図を引いてその通りに作り上げる作品なのかと思いましたが、聴いていくとリズムなどはバンドのグルーヴに拠るところが大きいですね。

そこらへんも、昔は葛藤がありましたね。以前は今おっしゃったように、1番最初のアルバムは自分で曲も録音もミックスもすべてやっているんです。究極にわがままにやらせてもらっていて。それでよかったかと聞かれれば、あとで聴いたとき、自分のアルバムだけどあまり聴きたくならないっていうか。結局、自分のやったものだから言葉は悪いですけど、マスターベーションのように思ってしまって。例えば、THE BEATLESを聴いていいと思うのって、Paul McCartneyのベースのプレイがいいなとかで。自分のプレイに関しては、"ああ、俺のプレイいいな"っていうのは――もちろんこれはみんなあると思うんですよ、"今日の俺かっこいいな、今日のわたしかわいいな"とか。でもそれと同時に、"ああ今日は自分の顔見たくないな"とかもある。音楽も一緒で、人のものの方が、自分がどんな気分でも自然に入っていけるというかね。そういう意味でニュートラルに自分の音楽を聴けることを考えると、自分が信頼できていい演奏だって思える人を集めて自由にやってもらったものを、半分リスナーとして聴く方が楽しいんですよね。