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INTERVIEW

Japanese

女王蜂

2015年04月号掲載

女王蜂

メンバー:アヴちゃん (Vo)

インタビュアー:天野 史彬

女王蜂のヴォーカル、アヴちゃんは、この世界をふたつの基準で判断している。ひとつは"生きているか? 死んでいるか?"ということ。もうひとつは、"自分か? 他者か?"ということ。初めてアヴちゃんと話した約1時間。明るくてあっけらかんとしたアヴちゃんはその実、目の前にいる僕に"お前は誰だ? 生きているのか? 死んでいるのか?"と問いかけてくるようだった。活動休止を挟んでリリースされる3年ぶりのアルバム『奇麗』。ポップでクリアになった楽曲たちは、そんなアヴちゃんの突き刺す視線そのもののように語りかけてくる。そう、"お前は誰だ? 生きているか? 死んでいるか?"と。

-アルバム『奇麗』は、これまで女王蜂が被っていた殻を剥いだ、とても明け透けで生々しい場所で鳴らされた音楽が集まった作品というイメージを受けました。アヴちゃん自身の手応えはどうですか?

シナリオ通りかなって思ってます。4年前、『魔女狩り』っていうアルバムを録っていたときから決めてたんです、"4枚目に出すアルバムは恋愛をテーマにしたい"って。めっちゃくちゃな恋愛をして、生きるか死ぬかの泥沼にはまって、それを昇華したものを出すっていう......それは決まっていて。究極の人体実験ですよね。私的なこと、パーソナルなものをみなさんに聴いてもらえる視点をどれだけ持てるかっていうこと。これはよくインタビューでも言ってるんですけど、私は"親"っていう漢字が1番好きなんですね。小1で習ったときから好きなんですけど、"木のうえに立って見る"と書いて"親"じゃないですか。私は片親なので、自分の親として自分が生きているっていうか、自分が操縦士っていうよりは、自分のお父さんやお母さんの気分で自分を育ててきた、そんな感じがしていて。その視線が1番発揮された作品かなって思います。お気に入りですっ!

-"恋愛"がテーマとなる作品を、4作目っていう、ある程度時間が経ってからの位置づけに置いたのは、どうしてだったんだと思います?

そこで初めて、人のことを好きになれるかなって思って。実際、その通りに好きになって。でも、すっごい大変で......。うん、大変だった。だけど4年前に決めていたのは、リリースするときは絶対に終わって出そうって。

-この作品を世に出すために、別れたんですか?

うん、終わらないとシナリオ通りじゃないから。

-そんな簡単に別れられるものじゃないですよね?

別れられなかったですね。でも、頑張りました。すごくつらかったけど......でも、ボロボロにしてくれる人をちゃんと選んだんです。その人は、自分と同じ気持ちを持った人で。魂の双子じゃないけど、"この人、私なんじゃない? 最低!"みたいな......自分が1番して欲しくないことをされたし、自分が1番傷つくところを突いてくれたし、でも、1番嬉しいこともしてくれたし。なんか、自分と恋愛していたくらいのレベルで。でも......よかったと思います。これからよかったって思えるようになるのかなって思ってたけど、思いの外、シナリオを思い出すと元気になるというか。私の曲の書き方って、書こうと思って書くんじゃなくて、もともと私の中にある曲は有限で決まっていて、その決まっているものを誤差なく発掘する作業だって思っていて。今回もそれを誤差なくちゃんと出せたし、すべては大きい動きの中の一部だって思えた。そういうアルバムですね。

-なるほど......。でも、今回は"恋愛"をテーマにすることでパーソナルな想いを曲に昇華できたんだとしたら、今までは自分のパーソナルな部分は、あまり音楽として出したくないっていう気持ちがあったんでしょうか?

出すほど人のことが好きじゃなかったんだと思います。出すほど、人と向き合って恋愛してこなかったし。でも休止を挟んで、人との関わり方は変わったと思うんですね。女王蜂が稼働していない状態で人と会うのは、やっぱり違ったので。最近なんですけど、ドレスコーズの志磨遼平くんと岡崎京子展に行ったんです。私、"岡崎京子顔"って言われるんですよ。岡崎京子、わかります?

-わかります。僕も岡崎京子展は行きました。たしかに、アヴちゃんの顔の輪郭は岡崎京子作品に出てくる女性の輪郭に似てる。

考え方とかも、岡崎京子的なことを考えてるんですよね。りりこ(※岡崎京子の作品『ヘルタースケルター』の主人公)みたいに、"私は私が作ったのよ"って思ってるし。で、その岡崎京子展で出会った言葉で絶句した言葉があったんです。作者自身の言葉で、"自分と相手の境界線がなくなって、同一化してしまう"っていうのがあったんですけど......"ほんまやわ"って思って。で、私はそれを諦めたんだって思ったんです。"同一化してもいいけど、最終的に同一化はできないよ"っていうことに気づいた。『奇麗』以前のアルバムは、"女王蜂"というものにメンバー全員でどこまでなれるかっていう部分があったんですけど、今回のアルバムはそういうことを考える暇もなくて。どこまで"みんなの歌"を書けるかっていうところに無意識に向き合っていたのかなって思います。

-あぁ~、なるほど。僕が今回『奇麗』を聴いて思ったのは、このアルバムは、今まで以上に聴く人それぞれの人生や想いを投影できるアルバムなんじゃないかっていうことで。アヴちゃんが言った"みんなの歌"っていうのは、そういうことですよね。

うん、自分のことをやればやるほど、人のものに、みんなのものなるんだなって思います。自分の話をすればするほど、みんなの話になるし。私は、典型的な"人間"なんですよ。マネキンみたいな顔だし体型だし、声もいろいろ使うし、"自分がない"って思うんです。だから、個性的とかオリジナリティとか言われても、正直、わからないんです。自意識が欲しいなんて思ったことないし。もっと大きなシナリオで動いてるから。昔はそのシナリオの大きさに気づかなかったんですけど、段々その全貌が見えてきたというか(笑)。実は、『奇麗』のあとのアルバムも結構出揃ってるし。

-女王蜂って、インディーズで出てきた当初から秘密主義的なバンドだったし、アヴちゃん自身がペルソナを最初から被ろうとしていた部分はあったと思うんですよ。でも今回はたぶん仮面を外すことで逆に、不特定多数の人の想いが投影されるアルバムが生まれたのかもしれないですよね。

このアルバムは、全部が鏡みたいな曲なのかも。この間、別のインタビュアーの人に言われてすごいキュンときたのが、"アヴちゃんの曲には、アヴちゃんの自意識が入ってない"って。"そうなの~、自意識とか、ちゃんちゃらおかしいの!"って、すごいキュンときちゃって(笑)。音楽にしてまで自分の言いたいことなんかないです。思ってることは無意識に投影されるけど、それは無意識じゃないとダメ。音楽がついて言うことなんて、節のついた演説くらいにしかならないと思うから。そういうのはあんまり好きじゃないんでしょうね。だから、最初に"剥いだ"って言ってくれたじゃないですか。それは本当にその通りというか。私は拘束具をもって生きているから。紙コップを潰しちゃダメとか、ガラス割っちゃダメとか、鏡に頭突っ込んじゃダメとか......そういうことを拘束具で制御しているし、今、こうやってお喋りしてるけど、それも言っちゃいけないこととか、言って欲しがっていることを予測しながら喋ってるし。そうやって世渡りしてきたし、これからもしていくと思う。でもバンドは、盤を出しても、聴いている相手のことは見えないじゃないですか。誰が聴いているのか、統計も取れないし。でもその分、ニュースにならないたくさんのドラマがあるわけですよ。だから"こんな悲しいことがあった"とか、"楽しい気分になりたい!"とか、そういうものの鏡として使ってくれたら嬉しいなって思う。