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INTERVIEW

Japanese

CUTMANS

2025年04月号掲載

CUTMANS

Member:寺澤 光希(Vo/Gt) 長澤 琉基(Gt/Cho) 木村 良(Ba/Cho) 岸本 崇(Dr/Cho)

Interviewer:山口 哲生

"千葉県佐倉市"と聞くと、自ずとアンテナが反応してしまうロック・リスナーはかなり多いだろう。BUMP OF CHICKENやHalo at 四畳半等、様々なバンドを輩出してきた街である。この原稿の主役であるCUTMANSも、先達と同じようにここから多くのリスナーの心を掴んでいく、佐倉市出身のギター・ロック・バンドだ。現在彼等は、1stアルバム『WHEREABOUTS』を掲げた、リリース・ツアー"Don't change the place"の真っ最中。ツアー・ファイナルは5月29日、同郷の先輩であるVarrentiaを迎えたツーマン・ライヴとして、Shibuya eggmanで開催することになっている。そんな彼等のここまでの歩みについて、じっくりと話を訊いた。

-2020年に千葉県佐倉市で活動開始されたそうですね。

寺澤:もともと、ドラムの岸本と僕が同居していたんですけど、その当時はそれぞれ別のバンドをやっていて。彼は今も別のバンドでヴォーカルをやっていて、一緒にいるときに曲を作ったりしていたんですけど、僕のほうはバンドに対しては完全に諦めモードだったというか。フリーターとして、自分の分だけお金を稼いで生きていければいいかなと思っていて。 でも、バンド自体は中学生の頃からやっていて楽曲を書くことはできたので、お酒を飲んだときとかになんとなく作ってみることもあったんです。心を休めるためにというか。そしたらたまたま書いた曲がちょっと良さそうな雰囲気だったので、彼に聴かせたら"バンドやったほうがいいよ"っていう話をしてくれて。それと、この2人(長澤&木村)が、僕がもともとやっていたバンドを知ってくれていて、特にギターの長澤が進言してくれたのもあって、改めてバンドをもう1回やってみようかなと思ったのが結成のきっかけですね。

-お話の中にあった"ちょっと良さそうな雰囲気だった"曲は、音源になっていたりするんですか?

寺澤:今回のアルバムに入ってる「Neighborhood」っていう曲ですね。

-じゃあ、1stシングル(2021年リリース)の曲がまさにそれで。

寺澤:そうです。出すまでに1~2年かかってるんですけど、あの曲が僕等にとって最初の大切な曲でした。

-そもそもなんですが、寺澤さんと岸本さんが同居し始めたきっかけってなんだったんですか?

寺澤:岸本は僕の高校の先輩で2個違いなんですけど、2人とも自立して生きていきたい気持ちがあって。当時ドライブに連れて行ってくれて、僕が作った曲を聴かせると"いいね"と言ってくれてたし、僕も彼が作る楽曲が好きだったので、そういうところから仲が深まっていって、岸本のほうから一緒に住まないかって提案をしてくれたんです。僕も自分の生活力に不安があったのと(笑)、彼とだったら喧嘩したりしても絶対に仲直りできるだろうなっていう信頼があって、踏み切れた感じでしたね。

-岸本さんとしては、後輩の寺澤さんはどんな人に映ってたんです?

岸本:他にあまり似たようなやつがいないというか。ちょっと予想外の行動をする変わったやつだなって思ってました(笑)。

-(笑)予想外の行動?

岸本:すごく面白いんだけど、すごく人に失礼なことをするとか(笑)。ちょっと数が多すぎて具体的なことはあれなんですけれども、一緒にいたら面白いかなと思って。

-寺澤さん、岸本さんのお話を頭抱えながら聞いてましたけど(笑)。

寺澤:僕としては本当に悪気がないんですよ(苦笑)。それで人のことを傷つけてしまったりすることもあったので、めっちゃ悲しかったんですけど。でも、そんなところも受けて入れてくれたっていうのも良かったですね。面白がってくれて良かったです。

-長澤さんはバンドをやったほうがいいと進言されていたそうですけど。

長澤:前に寺澤がやっていたバンドの曲を、2人で地元を散歩しているときに聴かせてもらったりしていたんですけど、ただ、毎回自信なさそうに聴かせてくれるんですよ(笑)。"いいのか分かんないだよね......"みたいな感じで聴かせてくれるんだけど、いや、めちゃくちゃいいよ!? みたいな(笑)。

-むしろ"なんでそんなに自信ないの?"ぐらいの感じ?

長澤:僕からしたらそうでしたね。あと、僕が2人の住んでいる家に遊びに行って、曲にギターを付けてみたり、一緒に作ったりもしてました。

-長澤さんと寺澤さんはどんなところから知り合ったんですか?

長澤:ここ(岸本&寺澤)が高校の先輩後輩で2個違いなんですけど、僕は寺澤の後輩で2個下なんですよ。彼が高校3年生のときに僕が1年生で。学校で部活動紹介みたいなのがあったときに、軽音部というか、うちの高校は"フォークソング部"っていう名前だったんですけど、彼がステージで1人で弾き語りをしていて、それを観たときにめちゃくちゃいいと思ったんです。そのとき野球部に入ろうか悩んでいたんですけど、軽音部いいなと感じて。

-これは甲子園目指してる場合じゃねぇぞと。

長澤:高校に入学するとき、志望動機に"野球部で甲子園目指します"って書いてたんですけどね(笑)。

-だいぶ序盤で変わりましたね(笑)。寺澤さんが部活動紹介のときに弾き語りしていた曲ってなんだったんですか?

寺澤:ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「それでは、また明日」ですね。それで言うと、僕も高校に入ったときに、岸本が部活動紹介で演奏してたんですよ(笑)。それで"フォークソング部"に入りました。

-そうなんですね(笑)。岸本さんはそのとき何を披露したんです?

岸本:ドラムとベースで1分間くらいのセッションを皆さんの前で披露するっていう感じでした。

寺澤:それがかっこ良かったのと、すごくドラムを楽しそうに叩いているのがいいなと思って。それで入部しました。

-木村さんも同じ高校だったとか?

木村:いや、僕だけ別の高校なんですけど、僕は長澤の2個下なんですよ。僕は僕で高校のときにバンドをやっていたんですけど、当時岸本君が弾き語りをしていて、僕等が出たライヴにゲストみたいな感じで出てくれて。そのときに僕のことを知ってくれて、おもろいやつだなみたいなことを言ってくれて(笑)、いろいろ遊びに誘ってくれたり、それこそ家にも呼んでくれたりしたんですよ。"遊びに来ない?"って。そこに一緒に住んでる寺澤もいて、そこからちょっとずつ関係が深まっていって、寺澤が僕が当時やっていたオリジナル・バンドを観てくれて、"バンドやりたかったらうちでやらない?"っていう連絡をくれたのがきっかけでした。

寺澤:結成当初はまだドラムは岸本ではなかったんですけど、諸々あってドラムが脱退をしなければいけない事情になったときに、すぐに駆けつけてくれて。結果、今の形になりました。

岸本:寺澤から連絡があって、ドラムが脱退することと、とりあえず今決まってるライヴをサポートで叩いてほしいっていうことを言われたんですけど。もともと仲のいい友達だし、こういうきっかけでバンドが歩みを遅めてしまったり、最悪なくなってしまったりしてしまう可能性もなくはないかなっていう懸念もあって。それに、完全に友達の状態でバンドをやるという経験があまりなかったので、どういう感じなんだろうと思ってやってみたら、すごく楽しかったんですよね(笑)。

寺澤:ははははは(笑)。

岸本:もちろん曲は全部知っていたし、当時はフロアで観ていてちょっと泣いちゃうときもあったので。だから流れでというか(笑)。2、3本やって、メンバーとして入ることが決まりました。

-岸本さんとしては、寺澤さんから「Neighborhood」を聴かされたときに、バンドをやることを勧めたぐらいですし、昔からいい曲を作る人だなという印象もずっとあって。

岸本:そうですね。家で一緒に過ごしているときに、「Neighborhood」を本当にふとギター片手に歌い始めたんですけど、それがものすごく良くて。寺澤自身、前までやってたバンドで結構心労があったというか。"もうバンドをやるつもりはない"ぐらいの感じではあったんです。でも、この曲をこのまま、この狭い部屋の中だけで、2人の中だけで終わらせるのは、もったいないんじゃないかなっていう気持ちもすごくあって、それに彼もどこかちょっと背中を押してほしそうな顔をしてたから(笑)、それであれば僕も正直に言おうと思って。だから、リスナーとして、すごくいい曲を作っているなっていう感覚はバンドに入る前からありましたね。

-めちゃくちゃいい先輩ですね。背中を押してほしそうな顔を察したところ。

岸本:(笑)たぶん彼の中では数パーセントぐらいだったと思うんですけどね。でも、結果こういうふうになってるんで、そういうことだったんだろうなって今は考えてます。

-ご本人的にはどうだったんです? 背中を少し押してほしい気持ちもちょっとだけあったんですか?

寺澤:まぁ、そうですね(笑)。僕、実家が(千葉県佐倉市)臼井で、2人で住んでいたのは船橋だったんですけど、「Neighborhood」はそのどっちもの友達に向けて、僕はこんなことを思っているということを歌にしたんです。だから、背中を押してほしい気持ちもたぶんあったんですけど、まず聴かせるなら一番の友達の彼に聴かせたくて。あと、彼は楽曲にすっごくからいんですよ(笑)。それで1回聴いてもらいたいなと思ったので、そのときはいろいろな気持ちがありましたね。

-一緒に暮らしていたとはいえ、からい評価をする人に曲を聴かせるというのも、結構勇気のいることではありますよね?

寺澤:そうですね(笑)。ただ、彼のことも含めて書いた曲だったから、聴いてもらわないわけにもいかないような気がして。それに、からい評価を食らっても、傷つくの僕だけだしなと思って(笑)、最初に聴いてもらったっていう感じでした。

-なるほど。ちなみに、いつも曲を作るときはどういうところから始まっていくんですか?

寺澤:3パターンあって。1つ目は僕が弾き語りで作ってくるパターン。2つ目は僕と長澤のデュオ状態で持っていくパターン。3つ目は、長澤がリフのストックをめちゃくちゃいっぱい持っているので、それを聴いて思い浮かんだものを作るっていう。だいたいその3パターンで作ってますね。

-寺澤さんと長澤さんのデュオ状態で作り始めた曲って、先日リリースされた1stアルバム『WHEREABOUTS』収録曲の中で言うとどの曲だったりします?

寺澤:今回のアルバムの曲だと「夜汽車」はそうですね。「Instant day dream」もわりとそっち寄りな感じで作った印象があります。

-どちらも爆発力のある曲ですよね。

寺澤:そこは後からここ(木村、岸本)が生んでくれたところもありますね。

-最終的にはバンド全員で構築していくんですね。1stアルバム『WHEREABOUTS』は、アルバムを作ろうと思って臨んだというよりは、「Neighborhood」以降に生まれてきたものをまとめた感覚が強かったりしますか?

寺澤:そうですね。ベスト盤を作るというイメージで作っていたところはあります。

-"WHEREABOUTS"には、居場所や所在という意味がありますけども、まずは自分たちがここにいるということを打ち出そうと。

寺澤:それがうちのバンドのテーマにほぼなっている部分はあると思います。タイトルは最後に付けたんですけど、自分が大切にしていることは......さっき岸本が言ったことじゃないんですけど、部屋の中とか地元に収まることに僕はすごく幸せを享受したので、なんかズルいなっていう気持ちがちょっとあって。だから、例えば音源を流通しないことや、ツアーをしないことというのは、もしかしたらそんな居場所を必要としている人と出会うことを諦める行為なんじゃないかなと思ったんです。それで、どこにでも居場所を作れるバンドという意味で、"WHEREABOUTS"というタイトルにしたところはありますね。

-自分が幸せを享受していることを"ズルい"と思ってしまったのはなぜだったんです?

寺澤:例えば......あんまり言葉を選べずなんですが(苦笑)、自分の人間関係の中で、僕よりも所得がある人とか、ちゃんとご飯を食べれている人、見境なくいろんな人と関われる人、仕事がうまくいっている人とかでも、僕よりもつらそうに見えるときがすごくたくさんあったんです。もしかしたら僕が幸せだと感じているようなことに、その人たちは気付けていないのかもしれないなって。そのことに自分だけが幸せを享受している感覚があったんです。だから、みんなでそれを共有したほうが幸せなような気がしたし、気付いたことを自分だけのものにするのはちょっと嫌だなって。それを広めたいっていうわけではないんだけど、そのことをズルいなと思ったところはあります。

-なるほど。寺澤さんが作る楽曲って、今お話しされていたような状態というか、一言で言い合わすのが難しい複雑な感情が閉じ込められていますよね。やるせなさや、くすぶっているような感覚はあるんだけど、じゃあ世の中に絶望しているかと言ったらそういうわけではないし。しっかりと前を見据えているんだけど、かといってすごく希望に満ち溢れているわけでもない。ただ、それこそおっしゃっていたような、諦めてはいけないという気持ちはすごくある。そういう楽曲が多いなと思ったんですけど。

寺澤:その通りだと思います。バンドをやっている人間がこう思っているということが、僕自身は結構コンプレックスではあるんですけど、僕はできるだけ普通の幸せが続いてほしいなと考えていて(苦笑)。大切な人が幸せであってほしいし、その大切な人の大切な人も幸せであってほしいし......とか言ってるとキリがないから歌うほうが早いなっていう(笑)。そういうところはありますね。祈っている感じです。

-あぁ、たしかに。祈りですね。岸本さんはバンド加入前にフロアで観ていて、グっと来るものがあったというお話をされていましたけど、寺澤さんの楽曲にどんな印象を持っていましたか?

岸本:フロアで観ていたときの感覚としては、自分のことを歌ってくれてるなと思うことがすごく多かったですね。それは彼が友達だからそこに自分がいる感じがするという意味ではなく、曲の中に閉じ込めたつらさや葛藤みたいなものがあって。それが僕もそうですし、他にも感動しているリスナーの人たちそれぞれの中で、自分にとっての壁やつらかった経験が投影されているような感覚があるんです。聴いているとそのことを思い出してしまったりもしますし、それを大きい声で歌ってくれていることにも感動しますし。それに付いて行っているメンバーの姿勢とか、そういうものを含めて、観ていて泣いちゃうなってことはかなり多かったです。

-演奏していてグっと来たりすることもあります?

岸本:最初の頃はドラマーとしてステージに立つのが4~5年ぶりだったので、みんなに追いつくので精一杯だったんですけど、だんだん友達としてではなく、メンバーとして息を合わせられるようになってきて。今はどちらかというとお届けする側の感覚なので、演奏中に感情が高ぶって泣いてしまいそうになることは正直少なくはなったんです。でも、喜んでくれているフロアを見ると泣きそうになりますね。

-あぁ。なるほど。

岸本:(寺澤が)本当に部屋でめそめそしてたんですよ(笑)。それこそ「Neighborhood」を僕に聴かせたときとかは、"もう全部どうでもいいや"みたいになっていて。でも、そういうなかで曲を書いて、"バンドやったらいいじゃん"って言った曲を、今こうやって一緒にやってるんだなと。あんなに嘆いていたやつが引き連れているバンドに、喜んでいる人がこんな感じで増えていったんだって思いながらフロアを見ると、ボロ泣きですね(笑)。僕だけ泣いてることがよくあります。

-木村さんは、寺澤さんが作る楽曲に対しての印象や、プレイしていて感じることというと?

木村:僕は一番年下なのもあって、みんな兄貴みたいな感じだったので、兄貴が持ってきた曲から新しい発見をする感覚がすごくたくさんあって。僕はそんなこと考えたこともなかったけど、この人はそういうふうに考えていたんだなとか。だから、最初は高校生のガキンチョだったけど(笑)、最近は成長してちょっとずつ理解し始めたというか。曲を聴いたときに純粋に新しい発見をするというよりは、"そうだよね、そう思うよね"みたいに共感したりして、理解が深まった感じはありますね。

-最初は自分にとって新しい発見や気付きだったけど、改めてそういうことだったんだと一番思った曲、感情が動いた曲を挙げるとするとどの曲ですか?

寺澤:それ超気になるな。

木村:個人的には「GOOD HOMIES」ですね。曲としては、部屋から出られなくて、誰かがドアを蹴破って入って来てくれるのを待っているっていう内容なんですけど、最初に彼がこの曲を持ってきたとき、それこそ僕はまだ高校生で。周りに友達がたくさんいて、正直どんな人とでも仲良くなれるタイプの人間だったから、当時はその感情が理解できなかったというか。"自分で出ていけるやん"みたいな。友達なんてすぐに作れるし、パッと話してパッと仲良くなればいいのにみたいな感じだったから、そういう考え方もあるんだなっていう気付きがあったんです。 でも今は、友達が減ったわけではないんですけど、友達をうまく作るやり方がよく分からなくなってしまったというか。誰と話しても友達になれる気がしないって思うタイミングがちょっとあって。"あぁ、誰かがドアを蹴破って入って来てほしい気持ちってこういうことだったんだな"って共感に変わっていったんですけど。最近はそういう瞬間がよくありますね。