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INTERVIEW

Japanese

篠塚将行

2024年12月号掲載

篠塚将行

Interviewer:石角 友香

今年、活動休止したそれでも世界が続くならのヴォーカル&ギター、篠塚将行が初のソロ・アルバムを完成させた。"DEMO"と題された本作は、なんと18曲を収録。主にアコースティック・ギターの弾き語りによる楽曲は、篠塚の心から切り出されたような、リアルな言葉と哲学的なメッセージが際立つ。ほぼ1テイクによる覚悟やリアリティも手伝って、普段、心の底に溜め込んでいる鬱屈した気持ちが自ずと呼応する。アルバムそのものが手紙のような音楽だが、本人の肉声にも触れてもらえればと思う。

-まず今回ソロ・アルバムを制作されたきっかけを聞かせていただければと思います。

もともと、ソロでアルバムを制作しようとは全く思ってなくて。それでも世界が続くならが活動休止になったんですけど、その前に7月頃に新しいアルバムを作ろうって話になってたんです。そこで作ってた曲をみんなに聴かせようと思って準備してて。で、そのなかでドラムがお休みしたいって話になって、ベースもだったら少し休みたいってなって、リリースするつもりができなくなっちゃったんですよね。それで、ちゃんとしたレコーディングができなかったけど、僕の家で録ったデモを活動休止ライヴ("それでも世界が続くなら1st Digital Single「休戦前夜」公開記念 東名阪ONE-MAN TOUR 2024「生前葬」")のときに、最後に聴いてもらおうと思って、かっこ付けずに久しぶりにCD-Rを自分で作ったんです。それを"そのままアルバムにしないか"ってレーベルのスタッフに言ってもらえて、出させてもらうことになったという感じですかね。

-アルバム・タイトル通り篠塚さんとしてはデモという気持ちなんですか?

そうですね。もちろんデモ音源だから"DEMO"っていうのもあったんですけど、"それでも世界が続くなら"の"でも"が意味的には強かったです。自分の友人にLUNKHEADのヴォーカルの小高(芳太朗)君という人がいて、彼も"それでも"っていうソロ・アルバムを出していて。そのアルバムのリリース前に連絡をくれて、音源を聴かせてもらったんです。僕はバンド名にしちゃったけど、"それでも"って言葉は、例えば"人生は悲しいことがある、それでも生きることは素晴らしい"とか、多くの人が歌詞にしそうな希望の言葉や常套句があって、でもその逆で"優しい人が優しく生きていて、それでも傷つけるようなこの世界を許さない"とか、そう思う人もいるかもしれない。で、小高君の友人で僕の先輩のつばきの一色(徳保/Vo/Gt)さん――病気で亡くなられちゃったんですけど――僕が一色さんと初めて対バンしたときに、"君の話は聞いてるよ"って言ってくれて。"俺、「それでも」ってすごく好きな言葉なんだよね"と言ってもらったんですね。僕は、自分のバンド名をちょっと恥ずかしいというか、シリアスすぎるというか、自分で揶揄するとちょっと中二病っぽいというか、ちょっと自分のユーモアのなさを恥ずかしく思っていたんですけど、その一色さんの言葉ですごく背中を押してもらったんです。

-はい。

対バンしたとき、一色さんが杖を突きながらステージに立って歌ってて、その姿に音楽や表現の本質を見た気がしたし、その一色さんが"俺、「それでも」ってすごく好きな言葉なんだよね"って言ってくれて。もしかしたら、小高君もそういう気持ちでアルバム・タイトルにしたのかなと思っていたんです。それから時間が経って、僕はバンドが活動休止して、家族の不幸とか人との別れも重なっていた時期で、精神的にも体調を崩してしまって。勝手に何もかも全部失ったような気持ちでいたんですけど、タイトルの"でも"じゃないですけど、こんな残酷な世界ですけど、でも、それでも歌いたいなとか、生きていてほしいなとか、会いたいなとか、泣かないでほしいなとか、思ったりしてしまって。恥ずかしい言い方なんですけど、まだこの世界に言いたいことがあるなとか考えてしまって。もう疲れたし嫌だし、でも、歌いたい気持ちがあるなら歌わなきゃ歌にならないし、言いたいことがあるなら言わなきゃ誰も分かんないし、っていうのがタイトルを付けたときに思ってたことですかね。それと、あとは"デモ音源です"っていう皮肉というか、自分はデモ音源と思って作ってないですけど、"ま、デモ音源みたいなもんだよね、で、何か問題でもあるんすか"って感じで。完成なんかしたくなかったし、完璧じゃないとリリースしちゃいけない、完璧じゃないと生きてちゃいけないっていうこの空気も、僕は好きじゃなかったし。今回レコーディングも演奏も全部僕だったんで、"人から見たらデモ音源だけど、なんか問題あるの?"っていう皮肉も込みで、このタイトルにした感じですかね。

-正解みたいなものがあるような気がするけど違うんじゃないかっていうね。このアルバムを聴いていて、篠塚さんは絶対に曲を作って歌う人なんだなと思ったんですよね。とにかく曲を作って誰かが聴くことできっと生きていらっしゃるんだなっていうぐらい、直截的に刺さる曲が多かったんで。

もし、そういう人間になれているなら嬉しいです。じゃあデモじゃない音源ってなんだろうと考えたら、完璧な音源とか曲とかそんなものがあるのかな? って思うじゃないですか。例えば人間でも正論だったり常識だったり、それさえできてれば間違ってないとか完璧だって言えることってあるのかなと感じるんですよね。それって場所によっては違うじゃないですか。幸せや心っていうのは人それぞれで、常識や正論じゃ計れないというか。音楽もそうで、音楽って人の心に作用するものじゃないですか。僕は音楽って、人間のためにあるんだと思うんですよ。

-そうですね。

手紙とかも、人が人に心を伝えるためだけにあるじゃないですか。他には何も意味がないというか。そこに完璧とか正しいとかってあんまり必要ないと思うんです。子供が書いた字が汚くて読めない、例えば字が反対になってるような手紙でも、お子さんから貰ったものならきっと嬉しいと感じる人もいるでしょうし、大切な人や自分のことを大切に思っている人から貰った手紙は、どんなに字が汚くて中身が稚拙でも嬉しいでしょうから。むしろ、それって稚拙なんかじゃないじゃないですか。人生の本質って、デモ音源であるべきなんじゃないかなと思ったんですよね。もともとCDを作ろうと思って曲を書いていて、リリースがなくなって悲しかったんですけど、でも、むしろ音楽の本質に戻った気がしたんです。どこにも出す予定がない、誰にも聴かせる予定がない。だけどやっぱり聴かせたい、作りたい。誰かに手紙を書きたいと思ったし、ファンやメンバー、レコード会社の人たちの顔も浮かんで、俺まだこの人たちに何も言えてない、まだ歌いたいなっていう本質的なところに帰れたんです。小中学生の頃、いじめられたときに唯一声を掛けてくれた女の子を今でも覚えていて、例えばそういう人たちのことを思い出したりもしてたら、いつの間にかこの曲数になっちゃって。その適当さというか、予定調和じゃない感じというか、人生の本質に立ち返れた気がしたんです。実際、"そういうアルバムだからこそ出そうよ"ってメンバーやレーベルが言ってくれて、このアルバムをリリースできることになったので、やっぱり人生にセットリストなんかないし、予定調和なんかいらないなと。

-篠塚さんが録音されてたときのXの投稿だと思うんですけど、1テイクか2テイクぐらいで判断していらしたと。

そうですね。ほぼ1テイクですね。