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INTERVIEW

Japanese

RiL

2021年07月号掲載

RiL

Member:SHUSEI(Vo/Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

東京 町田産の2ピース・バンド、RiLが1st EP『TARO』をリリースする。前身バンドでは海外ツアーを行い、RiLとなってから、ニューカマーの登竜門である"FUJI ROCK FESTIVAL"の"ROOKIE A GO-GO"のステージに出演するなど、早耳のリスナーの心をくすぐってきたふたり(当時は女性ドラマーだった)。ドラマーとギターとで爆裂にノイジーなアンサンブルと音圧を生み出し、ガレージ、グランジ、ブルースからサイケデリックなどのルーツを窺わせる、図太いファズ・ギターをさらにブーストさせた音が新鮮だ。且つこの温度の高いサウンドには、軽やかなポップ・センスとウィットに富んだパンク・スピリッツが混じり合っていて、ノイジーなだけでなく非常に風通しがいい、音楽的面白さが詰まっている。今のうちに、しっかり名前を覚えておきたいバンドである。RiLについて、EP『TARO』についてSHUSEIに話を訊いた。

-最初に、前身となるバンド ROARがスタートしたときはどんなふうに始まっているんですか?

スタートとしては、もともと僕がバンドをやりたいと思って知り合いの楽器持ってるやつ、バンドやっているやつに声を掛けて、4人で1回スタジオに入ったんです。そのときは普通にベースもいてみたいなバンドだったんですよね。でも、何度か合わせるうちに、ベースの子はもともとやっているバンドに集中したいということで、スタジオに来なくなって、3人になったんですけど。まぁこれだったらふたりでもできるなってふたりでスタジオ入ってみたら、今回のEPにも収録している「LOSER」という曲がその日にできて。

-結構前からの曲だったんですね。

そうなんです。それでやれんじゃんってなってスタートした感じだったんですよ。

-最初は普通の4人編成のバンドを考えていたところから、ふたりになって。そこでの模索というのはあったんですか?

ありました。当時、2ピースというとTHE WHITE STRIPESしか知らなくて。ただ、ふたりでやっていこうとなったタイミングくらいで、ちょうどROYAL BLOODというイギリスの2ピース・バンドが、1stアルバムをリリースするニュースを見て、それで聴いてみたらめちゃくちゃかっこ良かったんです。そこからヒントは得ていましたね。

-バンドをやろうと始めたときに思い描いていたバンド像、こういうバンドがいいなっていうのはなかったんですか?

ほんとはOASISみたいなバンドがやりたかったんですよ(笑)。

-全然違うじゃないですか(笑)。

ふたりになっちゃってOASISできないし、と思って。ギター・リフの方向に行きました。

-もともとのSHUSEIさんのルーツというのも、OASISやUKロックが強い?

'90sオルタナ──OASISをオルタナと言っちゃうとあれですけど、それこそ高校生くらいのときにNIRVANAとか、RED HOT CHILI PEPPERS、OASISとかを聴いてそこらへんがドンピシャでルーツとしてあって。あとは、THE BEATLES、THE ROLLING STONES、Bob Dylanとか、'60sとかの影響も強いと思いますね。ロックってかっこいいなって思ったときにお姉ちゃんに、"お前、絶対好きだから"って渡されたのが、NIRVANAの1stアルバム『Bleach』で。ベタですけど、曲が流れたときに全身が痺れて、ほんと部屋が歪むみたいな感覚を味わったんです。たぶん、マジでよだれが出てたと思います。

-衝撃を食らったんですね。

そこからどんどん、"あ、わかってきたぞ"と。

-お姉さんのチョイスが最高ですね。ただ、SHUSEIさん自身も90年代生まれですよね。それこそ同級生とかはグランジとかオルタナって言っても、なかなかわかち合えないんじゃないですか。

そうですね。喋れてもひとり、ふたりいたかなという感じで。そいつとはよく洋楽の話はしていて、お互いに勉強してました。いろいろ掘って、デルタ・ブルースとか超初期まで遡って、そこからまた現代に戻っていって、ということをしてましたね。

-で、ギターを持ったのはどの段階でですか。

ギターに関しては話が前後しちゃうんですけど、NIRVANAに出会う前、中学1、2年でロックに興味を持ったときに親にアコギが欲しいって言って、自分の貯金と親から貰ったいくらかを握りしめてアコースティック・ギターを買ったんです。エレキ・ギターって、まずアコギを覚えてからじゃないと弾いちゃいけないって勝手に思っていたんですよね(笑)。それでアコギから入って──

-順番にコード覚えていってっていう。

そのときから、ロック・リフみたいのをガンガン弾いてましたね(笑)。でも、アコギじゃないな、これはエレキじゃないとダメなんだなってなったときに、これもまた姉ちゃんなんですけど、ゴミ処理場から拾ってきたっていうボロッボロのエレキ・ギターを、"やる"って言って(笑)。

-お姉さんには、ここに至るきっかけを結構貰っているんですね。

家族には結構いろいろ吹き込まれたと思いますね。姉はエンジニアで、母は音楽やっているとかではないですけど、THE BEATLESとか、THE ROLLING STONESとか、Bob Dylanを最初に聴かせてくれましたね。"ロックとか興味あるなら、これ聴かないの?"っていう感じで。

-前身バンド、ROARが始まっていくのは、高校生くらいですか?

エレキを手に入れた高校時代は、軽音部とかに入るでもなく、サッカー部で。ただ音楽が好きないいセンスのやつらが周りにいたので、そいつらを集めて、軽音楽部が出ている文化祭のライヴに乗り込んで、遊びでパンク・バンドをやるみたいなことはしていました。そのあとは、特にバンドはやっていなかったんです。前身バンドのROARを始めるのは、大学4年生の最後くらい、21~22歳くらいですかね。バンド、音楽は絶対にやるって決めていたので、大学終わるしじゃあ自由にできるじゃんっていうので、始めた感じでした。

-ROARが始まってからは精力的ですよね。結成して2016年にいきなり海外、アメリカにもツアーに行っていて。なぜ、アメリカに行こうと?

くそ生意気なんですけど、ちょいちょい都内のライヴハウスとかに出てはいたんですけど、イベントのせいなのかどうかどれも合わねぇと思っていて。自分のやっている音楽が、受け入れられないんだろうなと考えていたんです。それならもういいや、アメリカ行っちゃえという(笑)。アメリカで通用するかも見たいしって感じで。

-海外ベースでくらいの気持ちでも考えていたんですか。

自分たちを受け入れてもらえるところを探していただけかもしれないですね。自分たちが、居心地がいい場所を探しているというのかな。日本では、住んでいるうえではそういうのはないですけど、音楽やるうえでの居心地が悪いなと。アメリカにいたら、居心地がいいなと思ったりもしていて。

-先入観なしに音楽を聴いてもらえる感じ?

音楽が身近って言葉が一番正しいのかもしれないですね。あとは、ロックっていうとアメリカやイギリスが強いイメージがあったので、まず本場の音を聴いて、本場で音を鳴らさないとわからないというか。聴いていた音楽がアメリカやイギリスのロックだったから、ここ(日本)にいつづけて音を鳴らしているだけとか、あっちの世界を知らないよりは絶対に知っていたほうがいいと思ったんです。

-なんでああいう音が生まれるのか、肌で感じようと。

それがわからない限り、ロックンロールできないなって思って。

-今になってみて思う、あのときアメリカやイギリスでツアーをやって、自分はこういうものを得ていたなというものはありますか?

答えになっているかわからないですけど、個人的に思うのは海外の人の音楽の聴き方が気になっていたんです。アメリカはとにかく音が鳴っていれば、楽しまなきゃって思っている感じがしたんですよ。日本ではあまり得意な音楽じゃなかったら、得意じゃないしなっていうのがあると思うんですけど。そういうジャンルとか隔てなく、"音が鳴ってるのに楽しまないほうがおかしくない? 楽しまなきゃ!"って感覚を食らって。アメリカも地域によってリスナーの聴き方は違うので、一概には言えないですけどね。イギリスはまた違った、かなりシビアな目線で音楽を聴いていて。音としてもそうですけど、音楽をもっとアートの一部と考えているというか。ローカルのインディーのバンドですら、音楽やっている子って当たり前のように絵とかも描くんですよ。自己表現がしたくて、楽器ができる、音楽が好きだから、音楽/バンドをやっているとか。その順番は関係なくとも、アートの一部として音楽をやっている感じがあって。その精神には相当、影響を受けましたね。