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INTERVIEW

Japanese

GAROAD

 

GAROAD

Member:田伏 ユージ(Vo/Gt) 吉田 マコト(Ba/Cho)

Interviewer:吉羽 さおり

千葉県船橋市出身のふたりによるバンド、GAROADが1st EP『夜明け待つ君への贈唄』をリリースする。バンドの活動としては9年になるが、初の全国流通盤になる今作は、大きな変化を迎え不安や葛藤、思いもよらなかった気持ちを抱いてしまうような今の状況に、スッと寄り添う作品になった。タイトルにあるように、ここから動き出そうという人にまっすぐに、力強くエモーショナルに投げ掛ける歌が揃っている。バンドにとっても名刺になる今作について、またGAROADというバンドについて話を訊いた。

-GAROADとしての活動は2011年からだから約9年になるということですが、それ以前からふたりは一緒にバンド活動をしているそうですね。

田伏:10代から一緒にバンドをやっていますね。

吉田:高1からかな。

田伏:だから、もう18年になります(笑)。もともと同じ高校に通っていて、当時同じ学校のメンバーと4人で活動を始めて。そのあとメンバーが抜けて、3人の状態でしばらく活動を続けていたんですけど、さらにメンバーが減るとなってそのバンドは解散しようとなったんです。でも、まだ一緒にバンドをやろうよということで、そこからバンド名をGAROADと変えて、曲も一新したんですよ。なので、GAROADは活動の当初からドラムはいない状態からのスタートでしたね。

-音楽性についても、前身バンドからGAROADで大きく変化はあるんですか?

田伏:自分の中では大きく変わっているつもりはないんです。曲は10代から書いているので、最初の頃と印象は変わってきているかもしれないですけど、自分の中では歌詞に曲をつける方法が変わっていないので。自分が思っていることを歌っているというか。

-ふたりでGAROADとして再スタートするときに、どういうバンドにしたいか、どういう音楽をやっていこうかという話はあったんですか?

田伏:音楽の方向性は前のバンドから特に大きくは変えてはいないですね。

吉田:そうですね。

田伏:ただ、やりたいことはやろうとは話していたので。もともと3ピースだったところからふたりになったので、より濃密に詰めないとなというのはあって、だったらもっとやりたいことをやったらいいじゃんって話はしてました。

-これだけ長くふたりでバンドをやるっていうのは、音楽のルーツ的に重なる部分が大きいんですか?

田伏:これが、まったく被ってないんですよね(笑)。

-そうなんですね(笑)。

吉田:もちろん、ポップスに関しては世代が一緒なのでGLAYや、そういうものは聴いていたんですけど。インディーズになると、枝分かれはしていった感じがしますね。ユージはジャパニーズ・ロック、パンクとかで、僕はどちらかというと洋楽のほうにいったので。根本は一緒かもしれないですけど、そこから枝分かれしてお互いに聴いていたものは違うかもしれない。でも、お互いでCDを持ってきて、"これいいよ"って言って聴いてみるのはしてました。

-GAROADでは、そういうふたりの違いを自由に混ぜちゃおうという感覚ですか。

田伏:そうですね。あまり凝り固まってはなかったというか。ちょうど僕らの時代が"ミクスチャー"の全盛期だったと思うので、違うもの同士を掛け合わせることに抵抗がなかったんですよ。それは僕らもそうだったのかなと思いますね。だから、あまり気にせずに。なんか違うなと思ったらやめればいいかなっていう感じで。

-ふたりが高校時代に流行っていたバンドっていうとどのあたりですか?

田伏:僕は、一緒にバンドやろうぜとなるまで楽器とか全然やっていなかった人間なんですけど、彼(吉田)からお薦めされたもので当時流行っていたものだと──青春パンクだったかな。GOING STEADYとか。

吉田:175R、ガガガSP、STANCE PUNKSとかね。

-そこらへんはかなり聴いてきた感じですかね。

吉田:そうですね。地元が船橋市なんですけど、本八幡にライヴハウスがあって、そこにそういったジャンルのバンドが出ることが多かったので、通いつめていました。

田伏:なので、前身バンドの頃は青春パンクっぽいことをやっていて、僕もギターを持たないでハンドマイクで歌っていたりもしたんです。上半身裸で(笑)。

-意外(笑)。吉田さんはそういう国内のバンドから段々と洋楽のほうにもシフトしていった感じですか。

吉田:同時進行で聴いていました。ただ当時はまだ、インディーズのバンドだと自分の足で探さないと見つけられないような時代だったので。洋楽に関しては先輩とか──それこそ音楽の辞書みたいな人らがいっぱいいるので、そういう人たちに教えてもらったり、ジャケ買いをしたり。あとは、そういうバンドのCDを買ってるとディスクユニオンのちょっと怖いお兄さんたちが、"こういうの好きなら、これ聴いてみろよ"って紹介してくれたり、洋楽はそういった感じで広がっていきましたね。

-先輩に薦められたものは、ちゃんと聴いてみるわけですね。

吉田:そうですね。船橋って年功序列な古臭い街なので、上から言われたことにはまず、"はい"と言わなきゃいけないんです。適当に聞いていると、後々"あれどうだった?"って聞かれてバレてしまうから、教えてもらったものは全部聴く、というのはやってました。

-田伏さんもそういった、地元のバンドの先輩方からの影響はあるんですか?

田伏:僕も音楽活動をしていくなかで、対バンした先輩とかに憧れを抱いてハマっていったのはありましたね。そういう意味では、生で観たライヴ・バンド、先輩バンドに強い影響は受けたなと思います。

-自分でバンドをやってみようってなったのも、そういった先輩たちを見たことも大きい?

田伏:正直言うと、僕自身が音楽を始めた当初は、誘われたからというのがあったんです。ただ、やっていくなかでかっこいい先輩の背中を見て、音楽やライヴでこういうことができるんだなって、衝撃を受けたというか。こういう感情になるんだなって体験すると、もう面白くなっちゃって。本気で音楽やろうって思ったのは、生でいろんなバンドを観たのが大きかったですね。

-今回1st EP『夜明け待つ君への贈唄』を聴いて感じたのは、何か音楽的なジャンルや、ルーツ以前に、歌いたいものがあるんだなっていうもので。誰かのようになろうというのではないんだなっていうのは、すごく感じました。1st EPとして、どんな作品にしたいかというのはありましたか?

田伏:今回のEPは、レーベルから話をいただいて、一緒に作ろうというのがスタートだったんです。とにかく曲をたくさん作って、レーベルと一緒にこの曲たちをEPにしようとまとめたもので。がむしゃらに作った曲の中で、結果この4曲になったというのが僕自身では大きいですね。作品のタイトルにもなっている"贈唄"、聴いてもらいたい歌が4曲まとまったなというイメージで。今自分たちが表現したいことがまとまったのかなって、改めて思っています。

-全曲、今作のために書かれているんですね。ここまでの活動で長くライヴで披露している曲たちでもなく。

吉田:特に新しい曲でいこうっていうのでもなかったんですけど。いろいろ候補はあったよね。

田伏:全部で12、13曲あったデモの中にはこれまでの作品の未収録曲もあったんですけど。今回はどの曲を形にしようかとなったとき、結果的に書き下ろしの曲になったんですよね。だから、これが"今"の形なんだなっていう。

-この作品に至るまでは、ライヴ活動がメインだったんですか?

田伏:とにかくライヴ活動をしていたのと、あとは自主でデモを作って、リリース・ツアーみたいな形ではやってきました。

-そういう活動の中で、レーベルに所属して一緒にやっていこうみたいなことは、これまでなかったんですか?

吉田:僕が、あまりそこに対してポジティヴに考えていなかったのはありますね。まず、自分自身のやりたいことが確立したうえで、そこからがスタートだというか。自分らが生き抜く術じゃないですけど、まだそういうのもわかっていない段階でいきなり詳しい人間がついてくれて、いろいろやってもらったけど、結局そこから離れたときに自分たちに力がなくて、そのまま潰れていってしまうバンドを見てきたので。まず自力だろうなというのはありました。

田伏:うん。自分たちでできることがまだまだあるというのは、あったと思う。

-それが今回、どんな出会いがあって"HIGH BEAM RECORDS"からのリリースとなったんでしょう。

吉田:なんですかね、タイミングですかね(笑)。

田伏:あとはレーベルの兄貴が信用できる感じだったからですかね。もともとバンドマン同士でも付き合いが長かった方なので、一緒にやろうと思えたのはデカかったです。

吉田:もう6~7年くらいの付き合いになるんですよね。

田伏:僕たちのことを知ってくれたうえで、一緒にやろうとなったことはすごく嬉しいことだったので。前向きにといいますか、僕たちとしても積極的にやろうという気持ちになっていますね。

-なおさら曲にも力が入りますね。改めて作品について、歌心のある曲が中心ですが、「マテリアル」などはこんなラウドな音も出すんですねというサウンドで、4曲の中では異色です。

田伏:これは僕らの中でも珍しいと思います。