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INTERVIEW

Japanese

秋山黄色

2019年02月号掲載

秋山黄色

Interviewer:高橋 美穂

YouTubeやSoundCloudで楽曲を発表するところから活動をスタートし、初の配信楽曲「やさぐれカイドー」がSpotifyの20以上のプレイリストで選曲され、バイラル・チャート2位にランクインした秋山黄色が、このたびミニ・アルバム『Hello my shoes』でデビューする。自身を"現役ニート"などと称しているが、楽曲はビートとリフで踊らせるものから、誰もが聴き入るような歌モノ、ライヴなら熱狂必至のキラーチューンまで幅広く、何より歌がエモーショナルで"外"に向いているように感じられるところが興味深い。本誌初登場の今回は、彼の経歴から今作に至るまで深く話を訊いた。今の時代が産み落とした、純粋と知性と毒が入り混じる稀有な才能に、ぜひ触れてみてほしい。

-中学生のころに、TVアニメ"けいおん!"に影響されて音楽を始めたそうですね。

はい。もともとお父さんが昔バンドをやっていたこともあって、ドラムやりたいなって思ってて。それで、友達と楽器やろうっていう話が毎年出るんですけど、その話が出たタイミングで"けいおん!"が始まって、そこでベースを買ったという。ドラムは高いので買えなかった(笑)。

-リズム的なところに興味があったんですね。

やるならドラムだって思っていたんですよね。未だにやっていないんですけど(笑)。

-今作を聴いても、リズム隊にこだわりがあるのかなと思いました。

こだわっているっていうか、自然とそうなったっていう感じなんです。やってみたらこうなったっていう。

-自分が音楽を作ると、こういうものになる?

そうです。

-"けいおん!"以前、好きな音楽はあったんですか?

いや、小学生のころとかにポルノグラフィティやAqua Timezを聴いていたんですけど、それもアルバムを買うほどではなかったですね。

-じゃあ、まずアニメが好きだった?

はい。

-では、アニメから音楽に入っていったと。でも当時の"けいおん!"の影響力は大きかったですよね。

そうですね。楽器屋さんも"けいおん!"ブームに乗ってて、本当は主人公が使っているモデルはギブソンのレスポールの高いやつなんですけど、それに似たのを1万円で売っているっていう。

-あぁ、レプリカ的な?

はい。それをみんな買っていましたね。僕は"けいおん!"がきっかけではありましたけど、(楽器をやりたい)時期が重なった感じだったんです。

-そこからバンドはやったんですか?

まったくやっていないです。ベースを1週間くらいやって......やらなくなりました(笑)。ベースは壁に飾っていましたね。自分だけベースを買ったので、一緒にやる相手がいなくて面白くなくて......。

-アコギとかなら弾き語りをしてひとりで楽しんだりできるけど、ベースだとひとりで楽しむことは難しいですよね。

そう。それで"ギターが欲しい"って言っていたら、偶然ガット・ギターを貰って。

-で、プロフィールにあるように、高校1年生のときにスピッツの「チェリー」を覚え、即興で歌ったことがきっかけとなり、初のオリジナル曲を制作することになると。この曲との出会いが大きかった?

というか、初心者が覚えられる曲を検索すると「チェリー」が出てくるんです。登竜門みたいな。

-じゃあ、この曲にハマったというより、ギターを弾くうえで向き合ったっていう。

そうですね。「チェリー」のコード進行を覚えたんですけど、この曲にこだわっていたわけではないので、友達に聴かせたときに歌詞がうろ覚えだったんです。それが、よくよく考えるとオリジナルの始まりっていう。

-オリジナルを作ろうとしたわけではなく、"できちゃった"っていう(笑)。そこからYouTubeやSoundCloudに動画や音源を投稿していくと。

でも、最初の10曲くらいはすべて「チェリー」のコード進行でした(笑)。ただ、録音できるパソコンのソフトがあったので、できた音源を投稿するようになっていったっていう。

-すべて「チェリー」のコード進行っていうところが気になりますけれども(笑)。

コード進行は同じだったんですけど、友達と遊ぶために作っていたので、歌詞で友達のコンプレックスを歌ったりしていたんですね。その内容で曲調も変わっていたんです。機材も良く聴こえちゃうようなものだったので、手応えを感じたんですよね。これが昔のMTRとかだったらやる気になっていなかったと思う。いい時代だったっていう。

-でも、こうしてデビューするまでに至るには才能も努力も必要だったと思うんです。

曲作りは、今も趣味なんですよね。特別なことではないので。ゲームやカラオケの中に曲作りが入ってきたから、理由があってやるわけでもなかったし、やめる理由もなかったし。いつの間にか曲は良くなっていきましたけど、昔の曲を聴くとひどくて。でも、先のことを考えてはやっていなかったと思うんです。

-音楽で生活していきたいとか考えたことはなかったんですか?

高校を卒業するあたりで気づいたんですけど、僕は無能だなって。アルバイトをやっていたんですけど、要領も良くないし、普通に仕事ができないと思い出したあたりで、逃げの発想ですけど、"音楽がお金になったらな"って漠然と思うようになって。でも、特別なものを作ろうとは思ってはいなかったですね。

-とはいえ、作詞や作曲、編曲だけではなく、映像やイラスト制作まで手掛けていらっしゃるんですよね。このあたりまで広く楽しめているなら、器用だったんじゃないんですか?

全部楽しくやっているんですけど、YouTubeに上げるうえでは音だけじゃだめだから、やらざるを得ないところもあって。まぁ、それ以外にやりたいこともなかったので、苦にならないレベルで。誰かに頼むレベルでもなかったですしね。動画を作ることももともとやってたし、絵も好きだったので。ニコニコ動画とかの世代でもあるので、料理を作る動画とかも上げていたんです(笑)。