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INTERVIEW

Japanese

2018年10月号掲載

爽

インタビュアー:蜂須賀 ちなみ

札幌出身のシンガー・ソングライター、爽(読み:さわ)が、約3年ぶりの全国流通盤『FEARLESS』をリリースする。シンガー・ソングライターといえば、ギターやピアノを弾き語りしながら歌う人のイメージを思い浮かべる人も多いかもしれないが、現在の彼女のスタイルはその枠を大胆にはみ出すようなもの。いったいどうして、このような方向性に定まっていったのだろうか。"声が出なくなり活動休止"というアクシデントを乗り越え辿り着いた本作、その誕生の経緯、そして爽というミュージシャンの背景にあるものについてメール・インタビューを通じて答えてもらった。

-どういうきっかけで音楽を始めたのでしょうか。

3歳のとき、おばちゃんの家にあるアップライト・ピアノで母が"お母さん、親にピアノ習わせてもらえなかったから、自分で作った1曲しかちゃんと弾けないんだ"って弾き始めて。私は赤ちゃんのころからディズニーやジブリなどの音楽が大好きで、よく歌ったり踊ったりしてたらしいんですけど、ハッキリと頭の中で"音楽が好き!"って感じたのはその瞬間。どこかのアーティストに影響されて音楽を始める人が多いと思うんですけど、私の場合、母を超えなきゃって幼児ながら必死でした(笑)。

-小さいころ、音楽以外に趣味や特技はありましたか?

いろいろ習い事はさせてもらったんですが、ほんっとに他のことは全然でした......。空手とかもやってた時期があったのですが、痛いから嫌だって1ヶ月くらいでやめた気がします。学校に入ってからは算数、数学が好きでした、1個の答えに向かってガーッと頭を使って考えるのが楽しくて。高校も理系の学科に通っていたので好きな教科はいつでも音楽と数学でした。

-18歳で曲を作り始め、2012年にはYouTubeに自作曲「現代の問題」を投稿したとのことですが、そのふたつの出来事のスパンが短いことが気になりました。"ミュージシャンになる"という目標を達成するためにオリジナル曲の制作を始めたのでしょうか?

実際のところ目的はなくて、自分が言葉にできない胸のつっかえをなんとか吐き出したくて曲を作ってはすぐにYouTubeに上げてました。誰でもいいから自分のことを理解してほしいって。ミュージシャンになるためのプロセスとは考えてなかったので、曲を作り始めたときもライヴをするようになったときも"ミュージシャンになりたい"とかはありませんでしたね。親が堅い職業だったり、通ってる学校も地元の進学校だったりして、ミュージシャンになるなんて縁遠いと思っていました。現実的ではないと。勉強を頑張っていい会社に入って普通に生きないとダメだって強く考えてました。あと私、ものすっごい臆病な性格で。自分の作った曲を自分以外の身内に聞かせるまで到達するのにもすごく時間がかかったし、そんな自分に音楽を愛し続けて、音楽家として生きていく覚悟が当時はまったく持てなかったです。誰かに聞かせたいけれど、誰かに聞かせるのはとても怖かった。はっきりミュージシャンになりたいって思えたのは、周りがたくさん応援してくれたからだと思います。緊張しながら初めてオリジナル曲を聞いてもらったとき、クラスの女の子が"すっごく素敵!"って言ってくれたり、一緒に軽音部でバンドをやってたメンバーが"爽ちゃんはもっと音楽で上に上がっていけるから"とか言ってくれたり、なんとなく受けたオーディションの担当者がすぐに連絡をくれて、私よりも私の曲を褒めてくれたりして。"踊らされてたら嫌だなぁ"って最初は思ってたんですけど、自分の音楽を私とおんなじくらい、私以上に好きになってくれてる人たちを見て"この人たちをもっと喜ばせたいし、もっと音楽を通して夢を見させてあげたい。頑張りたい"って感じたときに、ミュージシャンになりたい、ミュージシャンとして成功したいって強く思いました。それから真正面から活動や自分自身の音楽に向き合うようになりました。

-北海道で活動をすることにこだわりを持っていたのでしょうか。

まったく持ってないです。むしろ早くここ(北海道)を出たいって思ってる子でした。でも北海道で生活してきたから表現できてることも多いのかなって今は思います、いろいろな人に音楽が北海道っぽいって言われるので。そう言われる曲は、私も好きだったりするんですよね。

-活動休止中に最も強く感じたことは?

考えたら爽として活動していないときも、物心ついたときからずっと音楽が近くにあったんですよね。ピアノ習って、合唱やって、いつも歌ったり楽器弾いたりしてて。その流れが突然遮断されたとき、世界が全部灰色でした、あー、空っぽってこういうことなんだなと。喉の調子が悪くなって毎日1音ずつ声の出る音域が低くなっていくんです。でも病院に行っても声帯はとてもきれいだし、精神的な原因ではないかと言われて、どうしていいのかわからないのがまた不安になる要因でした。歌も楽器も触らない期間が気づかせてくれたのは、自分の人生にとって音楽がどれだけの比重を占めていたのかということ。それを心の底から痛感したことは、あとから考えるといいことだったなと思ってます。あー、私音楽すごい好きなんだな、って。

-活動休止期間を経て変わったことは?

いつでも何かのきっかけで簡単に歌うこともできなくなるって感じてから、何かに臆してやりたいことをしないって選択をなくしました。復帰してすぐに東京、名古屋など道外含めたワンマン・ツアーをしたり、今まで表に出すことがなかったR&Bテイストの曲も織り交ぜていったり。それまでは枠を自分でしっかり作って自分からハマりに行ってる感じがあったので、もうなんでもやりたきゃやろうって。あと同じくらい意識が変わったのは、身体を崩さないための生活。ヴォイス・トレーニングも信頼できる先生を探して納得いくまで何回も通ったり、食生活に気をつけたり、無理をするのをやめたり。ストップした経験がある人はみんな、また同じことを起こさないようにと気をつけますよね。私の場合はすべてを音楽に注ぐために、生活をガラリと変えました。音楽以外だと......たまにしか会わない人たちに自分から連絡を取って会うようになったのはあるかもしれません。そういう当たり前をできるだけ大事にして生活したいなって心掛けてます。

-今回リリースする『FEARLESS』は約3年ぶりの全国流通盤とのことですが、今どのような気持ちなのか、率直に聞かせてください。

ようやく戦う土俵に立てた感じ。自分自身とも、音楽のフィールドでも。誰かに打ち勝ちたいとかそういうことではないんですけど、理想どおりにいった作品って実は今までなくて。今回は細かなところまでかなりこだわって、それを周りのスタッフの方々が見捨てず付き合ってくれたおかげで、作りたかった音源にできたと感じています。そしてそもそも今回音源制作ができたのも、いろいろな人の協力があって奇跡のようなことだったので、本当に周りへの感謝は伝えきれません。残るはもう、どれだけ多くの人に届かせられるかの勝負にかかっているので、やれることはやれるだけやって勝ちにいきたいと思っています。

-改めて『FEARLESS』はどんな作品になったと感じていますか?

7曲それぞれが個性的で、どの1曲を切り取っても、爽という人間と音楽を知ってもらうに相応しい作品になったと思いますし、女の子の持ってる様々な面を包み隠さずひとつずつ形に収められた感じがします。慈悲的な感情もあれば、深い憎しみもあったり......人間臭いって勝手に思ってます。