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INTERVIEW

Japanese

I-RabBits

2017年01月号掲載

I-RabBits

Member:竹下 麻衣子(Vo/Pf) 加藤 智之(Gt/Cho) 猪野 進一(Ba/Cho) 山田 祐大(Dr)

Interviewer:山口 智男

2004年結成の4人組ピアノ・ロック・バンド、I-RabBitsが1年半ぶりとなるミニ・アルバム『アイクロニクル』をリリース。3年間、バンドのマスコット的存在だったアイラビ君に代わって、2016年2月、ドラマーの山田祐大が正式に加入。新たなラインナップになって初めてリリースする今回の作品は、"ピアノ・ロックを美しく汚す"をテーマに掲げ、自らの殻を破ることに挑んだ意欲作となった。突破口を見つけるまでにそれなりに時間はかかったそうだが、果敢な挑戦は、I-RabBitsの新たなスタートを鮮やかに印象づける。メンバーがどんなふうに自分たちのサウンドを美しく汚したのか訊いてみた。

-I-RabBitsは2004年に竹下さんと猪野さんを中心に結成されたそうですね?

竹下:もともとは大学のサークルの、ただのコピー・バンドだったんです。猪野は理系の研究者を目指していたし、私も司法試験を受けようと思っていたし、その息抜きで音楽をやっていたんですよ。そしたらたまたまそのサークルに猪野がいて一緒にコピー・バンドを始めたんですけど、大学卒業をするころに"本気でやるか"って一念発起して、当時のバンド仲間の友達からトモちゃん(加藤)、ネットのメンバー募集サイトで前のドラマーを見つけてきて、っていうのが2004年でした。

-何のコピーをやっていたんですか?

竹下:VAN HALEN、B'z......。

猪野:ホント、サークルのりだったんで、メンバーそれぞれにやりたい曲をやっていましたね。

竹下:相川七瀬の曲もやりました。だからホント、ジャンルはバラバラで。

-もともとはどんな音楽に影響を受けたんですか?

猪野:音楽を志したのは小室哲哉さんの影響だったんですよ。僕が中学〜高校生だったころ、"Produced by TETSUYA KOMURO"っていうのが一世を風靡したんですよ。そのとき、"あ、こういう職業があるんだ"って知って、バンドに憧れたっていうよりは、音楽という職業に憧れたって感じでしたね。そこから手探りで始めたのがバンドだったんです。

竹下:(猪野は)もともとはギタリストだったんですよ。

猪野:ギターも弾いてましたね。そのころは変なの――変なのというか、超絶テク系が好きでした。Steve Vaiとか、EXTREMEとか、MR.BIGとか。完全にそっち系のギタリストでした。

-小室さんに憧れたらキーボードなんじゃないかと思うんですけど。

猪野:もともと、ピアノを習ってたんですよ。でも、小室さんを初めて見たとき、テレビでギターを弾いてたんです。それでギターも弾けなきゃいけないんだなって思って、ギターも始めたんですよ。そしたらギターに結構ハマッてしまって。そのあとベーシストになったのは、大学のサークルに入ったらギタリストばかりだったので、ベースの方がバンドを組みやすいのかなって、それがきっかけでした(笑)。

-竹下さんは?

竹下:私は人生の前半、ガリ勉だったんですよ。その合間に隠れてヘッドホンでX JAPANをずっと聴いてたんです。もともと、クラシック・ピアノをやっていて。その私が、旋律はきれいだけど頭振れるような激しい音楽をやりたいと思ったのは、X JAPANの影響だと思います。そこからはひと通り、流行りのJUDY AND MARY、LINDBERGを聴いて......女性ヴォーカルに憧れて、バンドを組みたいと思いました。それでコピバンを組んだんですけど、あくまでも趣味のつもりだったんですよ。それが大学で猪野と出会って、この人、天才だと思ったんです。言いながらムカつくんですけど(笑)、マジ何でもできるし、絶対音感あるし、普通の人間じゃない感があるじゃないですか(笑)。しかも、2週間ぐらいの勉強で東大の大学院に受かっちゃうし。

猪野:2週間は言いすぎです(笑)。

竹下:なんなんだこの人は!? 猪野先輩すげぇってところから、その猪野先輩から"音楽を本気でやりたいんだけど、やるか?"って言われて......。本人は忘れているんですけど、新横浜駅に向かって歩きながら――あ、私たち新横浜周辺で活動していたんですよ。そのとき彼が"自分には夢があるんだ"って言ったんですよ。"例えば戦争が起こって、言葉の通じ合わない同士がいがみ合う状況になったとき、どちらかがTHE BEATLESの曲を歌って、「それ知ってる。その曲大好き」って一緒に歌えたら、言葉は通じなくても、それだけで構えた銃を下ろすぐらいの力はあるんじゃないか。音楽はそういうことができる。そういう音楽を作りたい"と言われたとき、"それ乗った!"と思って、人生を180度変えました。すげぇいい話じゃないですか? でも、本人は覚えてないんですよ。

猪野:覚えてるよ。覚えてるけど、どのシチュエーションで言ったかは覚えてない。それは本音ではあるんですけど、本当に言ったかな(笑)?

-トモさんは友達の友達だったそうですが。

加藤:高校生のときに組んでいたバンドが解散しちゃって、そのときのメンバーが先に横浜に行ったんですよ。そこで知り合ったのがコピー・バンド時代のアイラビ(I-RabBits)で、友人経由でドラムとギターが抜けるからって連絡をもらって。

竹下:一緒にやらない? って言ったら、やるやるって。じゃあ仕事を辞めて上京してきて、みたいな話になって、もうチャッチャッチャと決まったね。

-どんなバックグラウンドがあるんですか?

加藤:最初にコピーしたのがL'Arc~en~Cielか黒夢のどちらかで、そこから洋楽に興味を持ち始めて。たぶん世代だと思うんですけど、それこそVAN HALENとか、MR.BIGはそんなに聴かなかったけど、EXTREMEはどっぷりハマりましたね。

猪野:お父さんは"湯河原のクラプトン"なんですよ(笑)。

加藤:うちの父がギター大好きなんですよ。結構上手くて、ブルースが大好きだから、友達から"湯河原のクラプトン"って言われてて(笑)。

竹下:今使っているギターもお父さん譲りなんですよ。

-お互い、どんなところを認め合って"一緒にやりましょう"ってなったんでしょうか?

猪野:ずっとギターとドラムを探してはいたんですよ。

竹下:でも、みんな根性がなかった。

猪野:やるぞって決まった瞬間に動き出さないんですよね。

竹下:あれが忙しい、これもあるし、彼女が云々って。

猪野:結局、音楽的なことよりもそこでしたね。

竹下:根性があるかないか。湯河原から出てきて、猪野と住みだしたのもあっという間だったしね。

加藤:地元で仕事をしてたんですけど、それも辞めて。

竹下:そういうフットワークの軽さとか気持ちの部分とか、根性あるなって。だからトモちゃんが入ってからは何もフラストレーションはなかったよね。