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INTERVIEW

Japanese

吉田健児

2016年09月号掲載

吉田健児

Interviewer:石角 友香

西原誠(ex-GRAPEVINE)のプロデュースも話題の1stアルバム『forthemorningafter』を今年7月にリリースした吉田健児。西原のセンスによるサウンド・プロダクションもあって、オルタナ経由のブルージーでフォーク・ロックな佇まいが印象的だが、彼の本質は時代を超えた素朴な音楽の滋養だ。そのことがむしろ、2016年という時代においては異質だったり頑固に感じられたりする"だけ"なのだ。先鋭化したメッセージやギミックとは真逆のアプローチで心の柔らかい部分に触れてくる。果たして吉田健児とはどんな人物なのだろうか?

-そもそも、吉田さんが歌い始めたり曲を作り始めたりしたきっかけは?

高校生のときに、学園祭とかでライヴやったりして頑張ってる奴がいたんですけど、僕はもうとにかくそういうことはサボるっていう感じだったので、興味もなくてその日も学校に遅刻して。でも何かを作ることは好きだったんです。それで、"高校卒業したら音楽やってみていいかな?"って母親に話したら、"保険のために大学は行ってくれ"って言われて。それで大学行って。だから音楽を始めたのは大学卒業してからなので、遅いんです(笑)。

-やってみたい曲とか好きなアーティストのイメージがあったんですか?

好きなアーティストのイメージは正直なくて。高校生のときに尾崎豊の曲を父親に聴かせてもらって、"すげぇ曲だな"と思ったことはあります。となるとギターを弾いてたはずなんですけど、いまいち僕の中ではっきりしなくて。ギターをやるかピアノをやるか、と考えたときに、妹がピアノをやってて家にピアノがあったっていう、ただそれだけなんです。まぁ、ピアノでもギターでも、弾き語りで成立すりゃいいなって感じで。

-吉田さんは、バンドを一度も組んでないんですよね?

はい。東京来るまでは音楽をまったくやってなかったので。東京に来てからもソロでしか活動してないし、結局ソロのシンガー・ソングライターが書いてるロックの範疇だったと思うんです。バンド・サウンドが好きなんですけど、憧れてるのはBruce SpringsteenとかBob DylanとかNeil Youngみたいに、どんだけロックであろうが他の音を削ぎ落として弾き語りでできる曲で。となるとやはりバンドではないなと思うんです。周りは僕に協調性がないからとか言いますけど(笑)、そうじゃなくて、どうしてもソロっていうこだわりが自分の中にあったので。

-それは自分の考え通りに動かしたいからですか?

ギター1本で弾き語りができる曲っていうこだわりですね。曲の芯になるものがあって、そこにいろんなものを付けていくのも味わい深いと思うんですけど、引っぺがしたときに何も残らない曲ってわりと多くて。リズムだけでごまかす曲であったり、フックの連発でゴリ押ししたり、そういう全部削ぎ落としたら何も残らないような曲は嫌だなと思って。なので、ソロでどんだけロックでも弾き語りだけで成立する曲をやろうと思ったし、僕ができるのは良くも悪くもそれだけだったんです。だからバンドはたぶん無理だし、それはロック・サウンドを実現するための手段なんですよね。

-極論、メロディと歌詞ですね。

はい。正直ヴォーカルにも興味なくて。歌が上手いだとかはマイナスにしかならないと思ってて。Neil Youngとかクソ下手ですし、Bob Dylanも上手いのか? と言われれば上手くはない。なので、僕もできるだけテクニック的なものを使わないようにしてますね。ライヴが終わったあとでも音源を聴いたあとでも、シンガー・ソングライターが"歌上手いね"って言われたら終わりだなってどこかで思ってるんですよね。"良い曲だね"って言われるのはいいんですけど。

-大学も一応4年行って。音楽でプロになりたいとかもなかったんですか?

いや、大学卒業したら音楽始めてやれるとこまでやりたいなって思ってましたよ。大学行ったのも、母親が"保険で行ってくれ"って言ったからだし、大学でも全然勉強せずにただ遊んで。それで卒業したから、じゃあそろそろ準備して東京行こうかと思ってこっちに来た感じですね。父親のアドバイスで東京に来たんですよ。"音楽やるんやったら東京やろ"っていう古い考えで(笑)。

-じゃあ家族に対する反抗とかじゃなくて?

甘やかされてたんで。最初はばあちゃんも何かくれたり、おじさんもギター全部貸してくれたり(笑)、かっこいい経歴は全然ないです。

-東京に来てからは明確な目標を持ちながら?

誰も知らん奴がいきなりポッと出たところでどうにもならんなと思ったし。偉そうな発言かもしれないけど、東京ってもっとレベル高いと思って来たんですよ。でも弾き語りのシーンとか、正直どうしようもねぇなと思ったこともあって、早くここから抜け出さないとヤバいぞってなりましたね。それで、ソロだけどサポートをつけてバンド編成でやる方にすぐ行って。そしたら応援してくれる人とか面白がってくれる人がどんどん出てきて、それにノせてもらってただけでずっと受け身だったんですよ。何も考えてなかったわけではないけど、僕からは動かなかった。

-サポートしてくれてるメンバーには、バンド・シーンで出会ったんですか?

そうです。こっち来て1ヶ月も経たないうちにベースの奴と知り合って。音源をMySpaceに一瞬上げただけなんですけど、すぐ連絡が来たんですよ。で、そいつが他のメンバーも連れて来たんで、僕は特に何もしてないですね(笑)。

-2009年に上京してきて、インディーズで活動を続ける中で全国流通作品を作りたいという気持ちは?

順番的に言うと、下北沢CLUB Que店長の二位さんが推しまくってくれて、それとミュージシャンのちょっとしたクチコミみたいなのが西原(誠/ex-GRAPEVINE)さんの耳に入って、"プロデュース、俺にやらせろ"っていう流れです。西原さんって、二位さんのことすごく信用してるみたいで、GRAPEVINEの東京初ライヴがQueやったんかな? それもあってなのか、"あの人だけは信用してる"って言うから。そのあと、Zher the ZOO YOYOGIの店長さんのバースデー・ライヴに僕が出てたら急に西原さんが来て、"やらせろ"って言ってくれたから、スタジオに来てもらいました。あの人とは根底に共感できるものがありつつ、音楽性は違ったりして。違いがあるからこそコンビみたいな感じでやれたんだと思います。

-ファースト・コンタクトはどうだったんですか?

俺、そのときは音楽始めて4年ぐらいのド素人でまだよくわかってなかったし、メンバーのベースの言うことを聞いてたから、西原さんに"全然ダメだ"って言われても、どっちの言うことが正しいんかわからなかったんです(笑)。でも周りが西原さんを尊敬してたから、じゃあ俺も西原さんを尊敬しようと思って(笑)。今作の半分ぐらいは、あの人の言う通り書きましたね。"もうちょっとアッパーなん書け"って言われたからTrack.1(「ハダカ」)を書いたし、"もうちょっと捻ったやつ書け"って言うからTrack.3(「ロックンロールなんてジョークだ」)を書いたし。プロデュースというより相棒みたいな感じで、"どうやって売っていこうか?"とか、プロモーションのことまでいろいろ(笑)。

-西原さんが表現したいこともあって"吉田健児"っていう存在を発見したんですね。

それはたまたまで、ありがたいなと思ってます。だから僕も、何か恩返し的な事してあげないとなーって思ってますね。まぁしばらくする予定ないですけど(笑)。

-西原さんプロデュースの産物と言える曲はどれですか?

(西原さんプロデュースでも)基本は変えてないんですけど。Track.1に関しては、西原さんと話して"アッパーでわかりやすいアドバルーンを揚げるためにも1曲キャッチーなやつを"って感じで書いて......僕、露骨にキャッチーな曲って結構嫌いなので、フックを何か作るより曲全体をフックにしたいと思って。優しいフックみたいな。で、"何かわかりやすいやつ書け"って言われたからパッて書いたのがこの曲です。僕の範疇のギリギリっていう感じだったので、そんなに変えたつもりはないんです。