Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

key poor diary

2016年03月号掲載

key poor diary

Member:長弘 卓也(Ba) 大島 正太(Vo/Gt) 松隈 一輝(Gt) 吉武 幸太(Dr)

Interviewer:白崎 未穂

福岡発4人組ギター・ロック・バンド、key poor diary。2011年に前身バンドを結成し、2015年9月にバンド名を"key poor diary"に改名。"振り返りながらもきちんと前に進むための曲を"という思いを掲げて活動している彼らが放つ初の全国流通盤となるミニ・アルバム『keyword』は、何気ない日常のひとコマをロマンチックに表現し、6つの出来事をオムニバスのようにまとめた1枚となっている。プロデューサーにanonymassやMETAFIVEのメンバーとしても知られるゴンドウトモヒコを迎え完成させた今作について、メンバー全員に話を訊いた。

-まずは結成に至るまでの経緯を教えてください。

長弘:僕が高校を卒業するタイミングで、自分がやりたいことを考える期間があったときに"バンドを本気でやってみたかったな"と思って。それで、やるならヴォーカルは中途半端な人にやって欲しくなかったので、正ちゃん(大島)に連絡して"バンド組もう"って誘いました。

-そもそも、出会いはどこで?

長弘:高校生までが使用できる児童館があって、そこはスタジオも機材も無料で借りられる場所だったんですけど、その児童館をお互いよく使っていて。そのときは何度かセッションしたことあるけど、面識があるっていう程度の知り合いだったんです。正ちゃんが上手に歌っていたのをたまたま聴いて、"あぁ、いい声してるな"と思っていました。

-大島さんはバンドに誘われてどうでした?

大島:びっくりしました。いきなり先輩から電話かかってくるし(笑)。違う学校の先輩だったんですけど、高校時代に一度だけ一緒にセッションする機会があって、彼(長弘)は淡々とベースを弾く人だなと思っていました。

-松隈さんと吉武さんはどういう経緯で?

大島:僕がふたりを誘ったんですけど、(長弘に)"真剣にやりたい"と言われていたので、真剣にやれる人を選びました。演奏面での技術はよくわかりませんが、単純に"上手だな"と思える友達だったし、上手な人がいたらバンドとしてなんとか形になるんじゃないかって思ってお願いしました。

吉武:このバンドを組む前に正太(大島)とは別のバンドで文化祭とか一緒に出てたので、そういう繋がりもあって誘ってくれたのかなと思います。

大島:彼(松隈)に関しては、当時よくコピーしていた音楽のジャンルが違っていて。僕は当時流行っていた下北系とかのバンドばっかりやっていたんですけど......。

松隈:僕はAcid Black Cherry やA9などのヴィジュアル系が多かったですね。そういう音楽が好きな友達が多くて、セッション・バンドをするときに頼まれてやることがよくありました。

大島:なので、"全員すごい技術もった人が集まったバンド"だとか"心が通じ合って始めたバンド"とかではないですね。でも、活動をしていく中で、メンバーが"こんな人だったんだ"って気づくことがたくさんあって。彼(長弘)の"バンドをちゃんとやってみたい"という思いから、何となく覚えていた"あの人"を引っ張り合って集まりました。それから1年間コピー・バンドをやりながら過ごして、ようやく"自分たちでちゃんと形にできるんじゃない?"みたいな流れでオリジナルを作るようになりましたね。

-松隈さんとはもともとコピーしていた音楽ジャンルが違うということですが、特に違和感なくオリジナル曲は作れたんですか?

大島:どういうふうにお互い接したらいいのかわからなかったということもあって......同じこと思ってたらしいね?(※松隈を見る)

松隈:うん、いや......そうね。もともとサポート・メンバーの期間がわりと長かったこともあったので、やっぱり3対1という感覚はありました。自分はこのバンドでやっていきたいなという気持ちはあったんですけど。

大島:たぶん、ちゃんとバンドを結びつけてくれたのは、前回リリースした「花火」(2015年8月リリースの1stシングル表題曲)なんだと思います。それがこのバンドを組んで1番最初に作ったオリジナル曲になるんですけど、"コピーも十分やったし、オリジナルをそろそろやろう"ってなったときに、やっぱり3対1の関係だったので、恐る恐る彼(松隈)に作ってきた曲を聴かせたら――

松隈:"1時間だけ時間ちょうだい"って言ってスタジオの外に出て、とりあえずイントロを考えようと思ってイントロつけて、1時間後にスタジオに持って帰ったらみんなが"いいね"って言ってくれて。それがそのまま「花火」のイントロになりました。

大島:怒っちゃったのかと思いました(笑)。でも、そのときに持ってきたフレーズが、僕が想像していたのと全然違ってたんです。そのことにすごく感動しちゃって、"あ、4人でやれる!"と思って。なので、そこでちゃんと"バンド"になることができたかなという感じはしますね。