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INTERVIEW

Japanese

イヌガヨ

2015年05月号掲載

イヌガヨ

Member:じゃっく(Vo/Gt) 岡部謙吾(Ba) 永江"アル"由侍(Dr)

Interviewer:蜂須賀 ちなみ

-5年ぶりの全国流通ということで募る想いは漲りつつも決してシリアスにはならない温度感で、泣き笑いに似た感動があるアルバムだと思いました。その"泣き笑い"こそがイヌガヨというバンドの生き様そのもののように感じられたのですが、ご自身ではどのようなアルバムになったと感じていますか?

じゃっく:ホント新旧織り交ざっていろいろな時期の曲が入ってて、2ndアルバムではあるんですけどある種ベスト盤的な趣きがあるっす。全部大事な曲ですねー。楽曲の制作時期がめっちゃ広いだけに、そこに彫り込まれてる感情や熱量がちょっと人より多めなんかもしれないですね。それがこの泣き笑いを生んでいるっちゅうか。

-「海亀と赤い惑星」は弧月のころからあった曲だそうですね。弧月とイヌガヨは活動方針が異なるものだったそうですが、この曲をイヌガヨでも演奏し続ける理由は何でしょうか?

じゃっく:まあやってる理由は単純にいい曲だからっていうところが大きいんですが。孤月は当時メインでやっていたバンドの別バンドとして発足しまして、ドラムの井村のポリシーで、セッションでしか曲を作らないという厳格なルールがあって、スタジオはひたすらセッションをしていました。なかなかしんどかったんですけど、かなり鍛えられましたね~。アイツともしずっとやってたらたぶん今ごろ100曲くらいストックあったんちゃうかな? まぁ会社員やったし、だんじりファイターやったんで、出られないライヴとかが多くて残念ながらイヌガヨ辞めてしまいましたけど。話がズレました。この曲の登場人物の ひとりが、俺にTHE BOOMのCD貸したやつなんですよ。やからきっと大事な曲なんやと思います。

-活動休止期間を挟むものの、イヌガヨは約15年間関西圏を中心に活動しているということになります。15年前と今とで、特に強く感じている関西バンド・シーンの変化は何でしょうか。また、逆に変わっていないと感じる箇所はありますか?

じゃっく:うーん、自分としては関西ゼロ世代の登場と余波が1番の衝撃だったというか。"アングラ以外認めない"っていう若者が異常なほど増えて、その時期イヌガヨはまったく人気なかったです(笑)。いや、僕もイヌガヨやる前はヘヴィ・サイケデリックのバンドやりたかったくらいそのへんのバンドとか好きなんですけど、"そんな猫も杓子もアングラアングラって、みんなホンマにノイズやサイケばっかり聴くんか? 空気に酔ってるだけとちゃうんか? ユニコーンとかRCサクセションとかも好きやろホンマは(笑)!"とか思ってましたねー。乱暴なことを言ってすいません! あと、メロディよりリズム重視のバンドが増えました。めっちゃ良い歌詞とメロディと歌のバンドに出会いたいですねぇ。変わらないところは、バンドやってるヤツは大体社会不適合者で世間から爪弾きにされてるんやけど、根はほんと純粋でいいヤツばっかり、ってことっすね。ずっと。僕の周りだけかもしれないですけど(笑)。

-ではその15年間の中で、イヌガヨというバンドはどう変化をしていったのだと感じていますか? 

じゃっく:作る曲を漫画に例えると、昔はどこかシリアスなストーリー漫画みたいな雰囲気があったんですけど、今はドタバタしたコメディ、且つ最後には泣けるアクション漫画みたいな感じでしょうか。昔より音も言葉もいい意味でシンプルになってんのかなぁ。ちなみにライヴに対する意識としては、この15年間ほとんど変わらなくて、男1匹板の上に立ってどれだけのもんができるんじゃい、くらいしかほとんど考えてないですね(笑)。

岡部:とにかくメンバー全員がやりたい放題やっていた時期もあって、それがアレンジに出たりしてたんですが、もっとシンプルでストレートになったと思います。遊び心もありながら、太く、潔い演奏になったと思います。それによって、歌ももっと伝わるようになったと思います。

-じゃっくさんは、波乱万丈のバンド人生を送りながらも、なぜバンドを組むことをやめられないのでしょうか? 例えばソロ・アーティストという形で音楽活動を続けるなど、バンド以外の選択肢もあったと思うのですが。

じゃっく:うーん、曲を作るときにセッションしながら骨組みを作って最後にメロディと言葉を乗せる、っていうやり方が多いんで、バンドがいないと曲があんまり作れないという(笑)。まあひとりで家で作ったりもしますけど(笑)。あと、やっぱ大の大人がデッカい音で青臭いこと唄うって、なんかファンタジーで美しいじゃないですか。忘れたくないですよね。"バンドもうできなさそう"って瞬間はめっちゃあったんですけど、岡部さんが何故か俺と一緒にバンドやってくれるんで(笑)。この人がおらへんかったら7、8年前にバンドやめて実家帰って畑耕してた気がします。よくもまぁこんなダメ人間に愛想尽かさずにやってくれてますわ(笑)。ありがたい話です。ソロはねぇ、弾き語りもバンドと同じ本数くらいライヴやってるんである意味ソロ・アーティストとしての活動もしてるんですけど、自分にとってはバンドもソロも同じくらい大事で。バンドで学んだことをソロでもやってみて、ソロで学んだことをバンドでもやってみて、って感じで行き来させることによって成長することができるんで、両方ないとバランスが悪いです。

-岡部さんと永江さんは、じゃっくさんのどんなところに惹かれて一緒にバンドをやっているのでしょうか。

岡部:バンドやる前の大学時代からの付き合いからですから、惰性ですかね(笑)。エエ曲書いて、エエ歌を唄うからですかね。まぁ、その曲には彼の人間性がよく出てると思うんですが、基本的に人が好きなんですよね。もちろん人とぶつかることもあるけど、それも人と向き合っているからゆえでしょうし。損得勘定なしで、人付き合いを大切にしてますしね。

永江:いい曲を作るところ。詳しく言うと、自分が唄いたくなる曲を作るところです。あとは出身地が同じ香川県ってとこですかね。

-今後の野望を聞かせてください。

じゃっく:デッカいのふたつ言います。いつかフジロックのグリーン・ステージのトリやってみたいです。あと、いい音楽を聴く、耳が肥えた人が多い社会を作りたいです。ひえー、デッカいこと言っちゃった。近く実現できそうな野望もあります。でもこれはまたブログとかで発表させてください(笑)。

-最後になりますが、読者へのメッセージをお願いいたします。

じゃっく:自分の本質に正直に、自分らしく生きましょう。